二場 客いじり


仲間の半分が戦闘不能に追い込まれてやっと、ボクは敵の存在に気付いた。


このパニックは自発的な物ではない。あの『山羊』のいななきがボクたちの神経に異常を引き起こしているんだ。

それが魔法なのか催眠的なものなのかは分からないけれど、はじめにボクがパニックを起こして無謀な特攻に走ったのもそのせい。


冷静なゼランが怒鳴り散らしているのも、ジェロイが倒れたのも、クロムの消耗が激しいのも、すべてはあの山羊のしわざだ。

獅子の力強さや大蛇の速度に目を奪われて、山羊の厄介さに気付くのが遅すぎた。


「山羊だ!! 先にやっつけなくちゃいけないのは!!」


ボクの一言でクロムたちも状況を把握できたようだ。


「だけどよ、攻撃がとどきゃしねえよっ!」


ゼランが山羊を仕留められない根本的な原因に言及した。標的は獅子の背の上にあり、地面からは四メートルほどの距離がある。

魔獣キマイラの頑丈さから投石や武器の投擲で決定的なダメージが見込めるとは考えにくい、ハシゴか飛び道具でもなければ届かないだろう。


「結局、脚をけずって獅子を転ばすしかない!」

「だから、そうするには蛇が邪魔だって言ってんだろうが!」


クロムとゼランがどんどん険悪になっていく、それぞれの主張を正当化すべくクロムは獅子にゼランは蛇へとつっ掛かっていった。


――このままじゃ、二人ともやられる!


正常な判断力を失った人間にどうにかできるサイズじゃない。自分より大きい相手に挑むときは見合った工夫が不可欠なことは身に染みている。


動物はゆっくり動くものよりも速く動くものを追う習性がある――。ボクは思い切って駆け出した。急に走りだした獲物に反応して魔獣キマイラは追撃を開始する。


「イリーナ!!」


クロムが取り乱した声をあげた。さぞやうかつな行動に見えただろう。でもこれには訳があったし、目的はおそらく達成された。


――ひゃああああ、怖かったああああ。


壁に手をつくと案の定、キマイラはある鉄則に従って追ってこない。一定の距離をたもって足踏みをしている。

魔獣が駆け出したことで二人も特攻を中断。ボクは心配するクロムに手を振って無事を伝えると、立ち止まって呼吸を整えた。



「さて……」


魔獣の標的からはずれたのを確認すると、ゆっくりとジェロイのところまで移動する。倒れてしまった彼に変わって弓で戦うつもりだ。


キマイラに刺さっている矢に深く埋まっている物と外皮で止まっている物がある。ジェロイは曲射や連写が可能な長弓と、単発で威力重視のクロスボウとで使い分けている。

剣を貫通させられなかった非力なボクでも、クロスボウならば腕力に関係なくあの怪物の外皮を貫くことが可能なはずだ。


「うわっ、でもどうすんだ、コレ……?」


武器を手に取ったは良いけど射出準備がととのわない。ボクがもたもたしているとジェロイがよろよろと上体を起こした。


「……お姉ちゃん」


「ジェロイ君、無事?」


「あんまり……」


そうだろう。体調が万全でないことは顔色を見れば分かる。


「原因はどうやら山羊の鳴き声みたいなんだ。まずはあれを止めなきゃ」


ジェロイはボクからクロスボウを取り上げると、巻き取り機を使って弦を張っていく。そして矢をつがえたクロスボウをボクに返した。


「こいつは射程が短い、威力を発揮できるのは近接でだ。その代わり、素人のお姉ちゃんでも簡単に命中させることができるし、魔獣にだってダメージを与えられる」


「分かった、ありがとう!」


ボクはクロスボウを持って立ち上がる。一発ごとに装填作業が必要になるから無駄撃ちはできない。


「援護する」


長弓を構えてジェロイも立ち上がる。足元はおぼつかない。


「無理しないで」


「ここで無理しなきゃ」


顔色は最悪だけど瞳は強い輝きをたたえている。「だね」とボクはうなずいた。彼の見せた根性がなんだか嬉しい。



激しく動きまわるクロムとゼランにキマイラは気を取られている。ボクは存在感を消しながらジリジリとキマイラとの距離を詰める。ジェロイが反対側に回り込んで牽制をはじめてくれた。


ここはボクに託された場面だと言える。重大な局面だ。


だけど現実的に考えてクロスボウの一撃で山羊を黙らせることはむずかしい。あのサイズだ、脳に達しでもしない限り一撃必殺にはならないだろう。

それに下方から急所を狙うのはむずかしい。近付くほどに射角はきつくなり、離れるほどに威力は損なわれるからだ。


高台から狙えれば変わってくるけど、それは無い物ねだりだ。


ボクはキマイラを回り込む。頭が痛くて観察どころじゃないけれど、後衛の自分が突破口をみつけなくては全滅は免れない。


――ダメだ、吐く。そして気絶する。


朦朧とする意識の端、獅子のたてがみに喰われたアルフォンスの服が引っかかってはためいているのが見えた。

思い返せば良いところなんて一つもない、ただひたすらに迷惑なだけの男だったのに、いなくなると寂しいのはなんでだろう。


――仇は討ってや「おおっ!?」


ボクはつい驚きの声を上げた。服だけじゃない、天才魔術師アルフォンスが獅子のたてがみに張り付いている。

喰い殺されたどころか無傷の様子。最初の襲撃の時点でボクシングのクリンチ作戦よろしく張り付いて、たてがみの中に潜んでやがったんだ。


仲間の攻撃が被弾しなくて良かったな、あの馬鹿。


「アルフォンス!!」


たてがみを両腕に巻き付けてしがみつくのに精一杯って感じだ。それがきっと、いまになってボクと同じ理由で上を目指している。

登ってしまえば山羊は仕留められる。そのためにはアルフォンスが振り落とされずに登りきる必要がある。


彼が自由に動けるように、一度キマイラの動きを止めてやらなくては。例えば、チュアダムが捕食されていた時みたいな状況を作れれば――。



「アルフォンス! 揺れるぞ、落ちるなよ!」


ボクはキマイラの正面に回り込む。それは、いつの間にかクロムと入れ替わって獅子の相手をしていたゼランを驚かせる。


「おい、なんのつもりだ?!」


彼の体力も限界に近い。ボクは山羊に放つはずだったクロスボウの一撃を正面から獅子に向かって撃ち込んだ。

さすがは鉄板を貫通する威力。矢は鼻先に深々と突き刺さった。


そしてボクはクロスボウを投げ捨てると、キマイラに背を向け後方へと全力ダッシュした。


「馬鹿なッ!?」「お姉ちゃん!!」


仲間たちの悲鳴。キマイラはこれでもかと視界をうろつくボクにターゲットをロックオン。一歩、例の跳躍で瞬時にボクに追いついた。


「どぅおおお!?」


寸でのところで直角に曲がる。むちゃな方向転換で地面を転がり、すぐさま立ち上がって走った。

キマイラは追ってくる。移動距離は馬鹿げているけど巨体なぶんだけ小回りは利かない。捕獲するか、でなければ通り過ぎてしまう訳だ。


ボクは運動量を限界まで駆使してジグザグに逃げる。キマイラが前脚を振りあげた。


「ひぃぃぃぃ!!」


巨大な爪がかすりでもすればボクの体は中身をぶちまけて飛び散るだろう。これもギリギリで回避出来た。むしろキマイラの脚が止まって余裕ができた。


闘場の端までたどり着くと、ボクは三メートル上方の客席に向かって手を伸ばす。


「引き上げて!」


キマイラが迫っている。観客だって一斉に逃げだす場面だ。でもボクは知っている。観客にはステージ上の人間に構われるのが大好きなタイプが結構いるし、ボクは可憐な少女ですでに結構なファンを獲得している。


「手をっ!!」


求めると複数の男たちが身を乗り出して手を伸ばしてきた。跳躍してそれを掴むとボクの身体は軽々と客席まで引き上げられた。

どさくさにまぎれていろいろなところを触られたりしたけど、彼らのほとんどは下心から助けてくれた訳じゃない。言うなら、ノリで助けてくれた。


最強こそが崇拝の対象だったコロシアムではありえない展開、アクシデントに彼らは興奮し瞳をキラキラと輝かせている。

剣闘士が客席に乗り上げるだなんて前代未聞に違いない。けど、フォメルス王は咎めやしない。なぜなら、ボクがいま観客を沸かせているから。オモシロイは正義、それがライブ感だ。


フォメルス王はステージを分かっている。それがこの魔獣戦における逆転の糸口だ――。



「さあ、来い!」


ボクが挑発するまでもなくキマイラは突進してくる。観客たちはさすがに散りぢりになって逃げ出したけど、ボクは逃げるために客席に上がった訳じゃない。


壁の淵に立ってキマイラを引き付ける。


直立で六メートル、全長十メートルの巨大生物だ。三メートルていどの壁はなんでもないはずだ。しかし、魔獣は眼前で立ち止まり客席に乗り上げて来ることはしなかった。


ボクとキマイラはにらめっこ状態だ。


当たり前すぎて誰も確認しないようなことも含めて、舞台には鉄則がある。好き嫌いはあるけれど、ステージの人間は観客を弄ってもかまわない。

いまボクがしたみたいに第四の壁を破って観客とコミュニケーションを取ることは手段の一つだ。


それと同時にステージの人間は決して観客に危害を加えてはならない――。


観客に怪我人がでた時、ましてや死人が出た時、どんなステージであろうと必ずそれは失敗する。客は身の安全が保証されることで、はじめて安心して娯楽を楽しむことができるのだ。

ステージ上で人が死ぬのは構わないけど、客席ではただの一人も死んではならない。それは絶対だ。娯楽王様がそこを外すことはない。


この全長十メートル、秒速百メートルの巨獣を直径二百メートル程度のステージで暴れさせる以上、セーフティは不可欠。

それを確認するためにボクは壁沿いを走ってみたりもした。結果、薬か魔法か、なにかしらの手段で客席に乗り上げられないよう調整がされていることを確信していた。


ボクを仕留めたい。でも、この先には行けない。プログラムエラー、行動を制限されたキマイラは動きを止めた。


そして、アルフォンスの手が山羊の角に掛かる――。


「仕留めろ、アルフォンス!」


「了解です!」


アルフォンスは逆手にかまえた剣を思いきり脳天に叩き込んだ。剣は根元まで埋め込まれ山羊の脳を破壊する。

ボクらをもっとも苦しめてきた三つ首の一つは背筋が凍るような断末魔が炸裂させると、忌々しい呪いのいななきを停止させた。





『アンサンブル』▶︎

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