七場 ボクの記憶


くしゅん! ぶべっぇくしゅ! ……がはっ、げぼぁっ!?


女の子の可愛らしいクシャミの音で目が覚めた。ボクのクシャミだ。


どうやら見慣れない部屋のベッドの上――。


「おおっ! お目覚めですか、勇者様! お加減はいかがですか、痛むところはありませんか?」


ボクはカッと眼を見開いて魔術師を凝視した。そしてマヌケ面の胸倉を掴むと、グイと眼前に引き寄せる。


「――おっ、おっ、なんです?」


「ふん!」


そして思い切りその顔面を殴りつけた。


予期せぬ暴力にアルフォンスはおおげさにひっくり返る。


「痛ったぁぁぁぁいッ!? な、なにをするんですかっ?!」


抗議してくるがこっちのセリフだ。


「頼むから! どうか起こし方には気を使って!」


アルフォンスが手にした一本の藁、それで鼻を刺激されたのがクシャミの原因だった。


粘膜に刺さって超絶不快だったし、勢い余って脳とか突かれそうで怖い!


「勇者様の目覚めを待つのが、あまりにも退屈だったもので……」


「なに、その落ち込んだ態度。おまえがすべきは落胆じゃなくて反省なんだけど!」


もともと夢見、寝起きは良くない方なのに、ぞんざいな起こし方をされてはたまったもんじゃない。


おかげで頭が働かないけど、殴りつけたのとは逆、左手と肩に痛みを覚えたので患部をさすりながら記憶をたどる。


「えーと、なんだっけ? 異世界に召喚されて……」


自分の胸を掴んだ、ある。


そうだ、見知らぬ女子に憑依させられたんだ。


「――で、魔王を倒すんだっけ?」


悪の王から囚われの姫を救うとかなんとか――。


「違います、コロシアムの頂点を取るんですよ。勇者様はあのゼランと決闘をして――」


そうか、猿顔の殺人鬼と闘って、頭をかち割られて九針縫った……。


「あっ、ループ物?」


「勇者様、しっかり!」


意識がハッキリしないけど、そのゼランに頭をかち割られて、たしかクロムが助けてくれて、えーと……。



「安静にしていろ、傷はふさいだがかなりの出血だった。記憶が混乱しても仕方がない」


記憶を手繰るボクに、これでもかというくらいに渋い声が掛けられた。


「……あ、看守のオッサン」


そうだ、この厳つい顔の壮年男性はティアンの世話を焼いている看守のオッサンだ。


「おまえは試合に勝利した直後、待機場で意識を失ったのだ」


試合に勝利……。ああ、そうか、そうだ。ボクはゼランに勝負を挑んで勝った。

そして王様にできる限りの条件を了承させることに成功したんだ。


そのまま気絶してしまったらしいけど、いつのまにか止血などひととおりの治療がされているようだ。


「そうか、ボクはあのゼランに勝てたのか……」


なんだか感慨が沸いてこない。ゼランを殺したこと自体はべつに嬉しくないし、その結果クロムが帰ってくる訳でもない。


むしろ仇を討ったことでクロムのことが完全に終わってしまったように思えて、寂しくすらある。


――終わったよクロム。終わっちゃったよ。



「勇者様のおかげで、これまでゼランに殺された人々の魂と、ゼランに殺されるかもしれなかった人々の命が救われましたね」


アルフォンスが言った。あれ、気を使ってくれた?


「――ところで、実際どうなんです?」


そして、意味不明な質問をしてきた。


「なにがさ?」


主語をくれ。


「これだけの活躍ができるのです。そろそろ記憶が戻っているのではないですか?」


なるほど、あれほど助けないって念を押したのに、ボクの記憶が戻ればなんとかなるという希望をまだ捨て切れないでいるらしい。


「残念だけど戻ってないね」


「そうですか」


意外にもアルフォンスの返答に残念そうなニュアンスはない。


「あれ、もどってほしくないの?」


「いまの勇者様でしっくりきているので、改めて正体が明かされなくても構わないって気がしています」


「まあ、そうか」


記憶が戻ることで人間関係に影響がでるかもしれないしな、ある程度の関係が構築されたいまとなってはそんなものかもしれない。


「最強剣士にもどれたところで、どうせ私を救い出してはくださらないのでしょう?」


ボクはそれを笑い飛ばす。


「ハッハッハッ、当たりまえだろ!」


「いやー、当たり前でしたかー。先祖代々研究を重ねてきた魔術研究も私の代でおしまいですねー。あはははっ、あはははっ!」


だったらもう少し必死になって闘えばいい、剣の腕だってボクより遥かに立つのだから。



「記憶は戻ってない。でも、自分が何者なのかは分かった気がする」


失われていたボクの正体があきらかになったかもしれない。


「え、本当ですか?」


先程の試合でボクは自分の得意分野を駆使して闘っていた。魔獣キマイラとの対戦でもそのスキルに助けられていた気がする。


「推測でしかないよ?」


「なんですか、勿体ぶらないで教えてくださいよ」


いや、勿体ぶるよ。それが大物やスーパーヒーローならボクも気負いなく披露できる。

けれど、ボクの正体がアルフォンスの想定しているハードルを越えることはありえないんだから。


ボクの正体は――。


「『劇作家』だよ、多分……」


はじめはパフォーマーや演者なんじゃないかと思ったけれど、それにしては肝が小さすぎる。

与えられた役割を信じてまっとうする役者にしてはシナリオや構成に口出ししすぎる。


そしてただの作家にしては演出にこだわりすぎている。だからきっと、舞台の台本を書く劇作家ではないかと推測する。


「ゲキサッカ、とは、どんな英雄なのですか?」


「え? あ、そうか……」


もしかしたら演劇とかないのか。じゃあ、この世界で言うところのなにに当たるだろうか。


「――吟遊詩人……かな?」


吟遊詩人とは神話や歴史を歌にして、それを演奏することで伝承する楽師のことだ。


と思う、多分。


「え!? じゃあ、あの神々しいまでの勇者様の口上は、他人の武勇伝だったってことですか!?」


アルフォンスは素っ頓狂な声を上げる。


「武勇伝とは違うかな。劇作家は物語の創作家。実在しない人物や出来事を創って、人々を楽しませるんだ」


「それは……」


「うん」


「嘘吐き?」


「違うよ!! それが大衆娯楽なの!!」


そこで培った技術がコロシアムというステージで観客を楽しませることに役立った。



「では、千の魔人と百の竜を打ち倒し、神をも殺したと言うのは作り話だったのですね……」


「だろうね」


むしろ、なぜそれを鵜呑みにしたのかと問いたい。


「あんまりですよ! それじゃあ私は一族の秘宝を消費までして、英雄ではなく詐欺師を召喚したことになるじゃないですか!」


アルフォンスは激昂した。


「詐欺師じゃない! 事実確認を怠ったおまえの自業自得!」


失礼だぞ!


もしかしたらアルフォンスは全部計算づくなんじゃないかって、この適性がコロシアムで生かされることを見越した上で呼び出されたんじゃないかって、ちょっと深読みしたくらいなのに!



「お楽しみのところ悪いんだが」


ボクたちの不毛なやり取りにいい加減痺れを切らしたのか、看守のオッサンが割り込んできた。


「お楽しんでない!」


「最悪ですよ! もう、最悪!」


なんだとこの、イヌフォンス! ぶち殺すぞ!


火花を散らし合うボクらに構わず、オッサンは本題に入る。


「次はウロマルドに挑むと宣言したな、勝算はあるのか?」


ボクは即答する。


「ないっ!」


「…………」


あまりの勢いオッサンは閉口した。


だって、ある訳がない。もう単に引っ込みが着かなくなっているだけだ。


「人生を闘いに捧げているやつに、ボクみたいな素人が勝とうなんて馬鹿げてる。努力に対する冒とくだ!」


ウロマルドはゼランみたいな中途半端なやつとは違う。本物のスターだ。


「――ボクはアスリートを尊敬してるし、努力を積み重ねることの尊さと、そのたしかさを理解してるつもりだよ」


それこそ毒殺とか、騙し討ちとか、英雄に対する冒とく行為でしか勝ち目があると思えない。


でも、そんな手段じゃあ報奨は得られないだろう。


「ならば、どうする?」


オッサンに神妙な態度で言われると、説教されているような気分になる。


そりゃあ、自分の問題なんだけど……。



「――俺にできることはあるか?」


ボクが答えに窮していると、オッサンが協力を申し出てくれた。


なぜ、こんなにも世話を焼いてくれるのだろう。ティアンのためだろうか? だとしても、コロシアムの職員ってことはフォメルス王の部下だろうに。


「できることって……。ウロマルドには誰も勝てないって、それ言ってたのオッサンだよね?」


コロシアムの看守をしていたら当然の見解なのだろう。けど、オッサンがウロマルドを語る時の調子が、なんだか英雄を語る時の口調とは違う。


「俺はウロマルドとは何度か剣を合わせている。そして、決定的な敗北を味わった」


そう、まるでライバルを語る時のそれだった。





『ロリコンではなかった』▶︎

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