三場 本当の最弱を見せてやる


    *    *    *



『選抜試合』の開始から、いったい何分が経過しただろう――。


二番目に弱い闘士と対峙し『はじめての殺し合い』を奇跡的にも制した直後、闘技場が大爆発。


――なになになになにっ!?


否、大喝采が巻き起こっていた。全方位からの観客二千人が一斉に湧き上がったことで、大音量に当てられたボクがそう錯覚したのだ。


――うわっ、ボクの勝利が祝福されてる?!


嬲り殺しになって当然の少女が真っ向勝負に勝利した。それは観客に一つ驚きを提供した事になるだろう。

観客は意地悪をしに来ている訳ではない。試合を楽しみに来ているのだ。だから、選手の活躍には素直な反応が返ってくる。


それにしても、金的が偶然決まってしまったにも等しいまぐれの勝利。けして胸を張れるような勝ち方ではなかった。



「ハハッ……」


ボクは無理して笑顔を作って見せると、手を振って勝利をアピールした。騒ぎ立てられると目立つし注目されたくはないのだけれど、この際は仕方がない。

ボクらは『見せ物』なのだ。コロシアムは大衆にとって絶対的な娯楽であるという実感がこの熱狂からは伝わってくる。


変な話、現世においてもこれだけの大舞台に、はたしてどれだけの人間が立てるものだろうか。

いったい何人が人生のうちにこれだけの喝采を浴びる機会を得ることができるのだろう。


そういう意味で、この血なまぐさい場所はまるで夢のステージみたいだった。



ドラが一つ鳴り響いた――。


あわや会場の熱気に呑まれかけていた意識が正気に戻る。

「何の合図!?」ボクがパニックになって周囲を見回すと「あと三分の一ッ!!」と、観客が叫んで状況を知らせてくれた。


――てことは、残り十人か!?


思ったよりもペースが早い。うち半分が勝ち抜けできるならば、生存の芽がだいぶ出てきたんじゃないだろうか。


いや、油断はできない。この人数になればもう弱者の存在が『眼中にない』から『目障り』に変わる頃合いだ。



さっそく一人、雑魚を狩ろうと背後から敵が迫っている――。


接近に気づけたのは観客の視線がそちら追っていたおかげだ。

目の前の選手を不意打ちにしようとする者がいれば視線はおのずと双方を行き来し、その表情は距離感までを丁寧に伝えてくれていた。


――ヤバイ。恐怖に心臓が破裂しそうだ。


振り返った瞬間、不意打ちを断念した敵は即座に襲い掛かって来るかもしれない。男性相手の真っ向勝負はそれだけでも分が悪い。

ボクは気付かない振りをおとりにして、敵の隙を引き出すべきだと判断した。


――どうか、うまいこと敵の虚をついて一瞬で勝敗がつきますように!!


客席に気を取られ接近に気づいていない振りをして備える。

敵に背を向け、客席には唇に人差し指を当てて『黙って』のサインを送った。


仕留められると判断した距離でそいつは武器構える。タイミングは観客の表情から計る。

――今ッ!! ボクは相手の距離を外しながら振り返り、動作の硬直を狙って戦槌を叩き込む。


必勝のカウンターは容易く敵の盾によって弾かれ、ガインっと鈍い音を残した。


標的を打ち漏らした同士、不平の声が重なる。


「「くそっ!!」」


鋭い攻撃だった。女性に対する背後からの一撃にも迂闊な大振りなどはせず盾も高く掲げていた。

歴戦の戦士。かどうかは分からないが、少なくとも素人でないことは明らかだ。



「チッ、しくじったぜ!」


不意打ちに失敗した猿顔の男が人語で愚痴った。そいつは見るからに品のない。好意を持つに値しないルックスの男だ。

美醜の問題ではない。その卑劣な性分がにじみ出た人相をしているからだ。女性を背後から襲ってきた時点でお察しだろう。


中背で特別マッチョということもない。ただ、何かしらの職人なのか前腕が大きく発達しており、毛深さも相まってより猿感を演出していた。


「いやぁ、ぜんっぜん惜しくなかったけど?」


ボクはとっさに挑発的な返答をしていた。気が強くなったわけじゃない。もの凄く舐められるか、あるいはもの凄く買被られた方が良い。そう考えたからだ。

実力を看破されたが最後、油断も小手調べもなく適切な対応を取られて軽く捻られてしまうのは目に見えてる。


油断されてもいい。警戒されてもいい。ただ、正確な実力を把握されるのだけは勘弁だ。


――どうするどうするどうするどうする。


チンパンジーを死に物狂いで倒した直後のオランウータン戦。ハードすぎる。


一人目を倒した経験から、対峙する相手に決定打を当てることの難しさを思い知らされていた。

できることなら、不意打ちのつもりで手を出してきたところにカウンターを決めて倒してしまいたかった。


睨み合い、三歩の距離で仕切り直す――。すぐに手を出せるが、反応もできるひりついた距離。



「だてに剣闘士をしてないってわけか。ただの女がこんな場所にいるはずがねえもんな?」


仕留め損ねたのは想定外だったと、猿顔の男は力量を測るための探りを入れてきた。


「さあ、どうだろうね」


なんて、意味深な返しをしてみたけれど、こんな所にいる理由を知りたいのはむしろボクのほうだ。


「なにを考えてる? 女の癖に冷静だなんて気味が悪いぜ」


用心深い性格だ。それはボクや、さっき倒した彼みたいな臆病から来るものではないだろう。

殺しでぶち込まれたのが容易に想像できる。明らかに荒事に慣れた輩だ。


「おっさんに気味悪がられるのは心外だ。周りをご覧よ、こんだけ男たちが発狂してるなか、女が冷静でいてなにがおかしいっての?」


ボクの場合、冷静というよりかは単に腰が引けているだけなのだけれど。


しかし、オランウータンには余裕がある。剣闘士たちが気が触れたように殺し合うなか、言葉を交わす余裕があるだけさすがは森の賢人といった所か。



周囲には死体、血だまり、死体、血だまり。


人数が減れば闘場も広くなっている。乱戦は終わり一対一の局面が多い。それぞれが決着すれば残り時間だって長くはない筈だ。


――うん、コイツさえ退けることができれば、ステージクリアは可能かも。


この大猿がボクにとってのステージボス。そう想定することでモチベーションを上げるしかない。

問題は、体格だけが劣っていた一人目と違い、二人目は正面からやり合ったら絶対に勝てない相手だということ。



「どうかな色男、ここからは二人で手を組んでみないか?」


共闘を持ちかけてみた。こんな、いかにも野蛮で信用ならないオスと手を組むだなんてまっぴら御免だけれど、それしか生き残る術がない。


せっかく話ができるんだ、何とか雑談でこの場を乗り切りたい。


「手を組むだあ?」


猿男は首を捻る。少なくとも、それは公正な手段ではないだろう。その腕一つで生き残るのが闘技場の原則であることは言うまでもない。

しかし、バトルロイヤル形式となれば状況下によって他者を利用することは自然と行われる。ならば、偶然二人が同様の相手を狙うことだって不自然じゃない。


「そうさ、このペースならもうすぐ定員数に達する。二人掛かりなら、確実に勝ちを拾えるだろ?」


――そういう訳だからボクを見逃してよ! 見逃してかつ守ってよ!



「…………」


提案に対する品定めだろうか、オランウータンは血走った眼でこちらを舐めるように観察してきた。

とても不快ではあるが、熟考の余地はあるみたいだ。これは交渉成立かもと返答を期待していると、ウータンは結論を告げる。


「駄目だな」


「なぜですかっ?!」


ボクは悲鳴を上げた。ウータンは親切に落選理由を教えてくれる。


「どうにも、コレが戦力になるとは思えねえ」


ぐうの音も出ない。


「――おそらく、コレを殺した時点で勝ち上がりは確定だろう。手を組んでおれになんの得がある? 搾取されるだけじゃあないのか?」


一言目は提案に対してかとも思ったけれど、確かにやつはボクのことをコレと呼んだ。


「はぁ、そうですよね。でもぉ、そこを何とか……」


はあ?! アホかっ!! テメーからその戦力外のルックスを差し引いて、ボクの実力不足と合わせてトントンだろ!! この不細工ッ!!


ブサイクブサイクブサイクブサイクブサブサ……ッ!!


「それともう一つ」


「ブサッ……はい、何でしょう?」


ウータンはボクを見下ろし、汚らしく舌なめずりをした。


「おれはなあ、コイツで女の腹を解体するのが大好きなんだよ。今やっておかなきゃ、この先チャンスがなさそうだろ?」


猿男は手に持ったグラディウスを何度も腹に突き立てるしぐさをした。


はい、交渉決裂! そりゃ刑場にぶち込まれるわ! 生きてちゃイケナイ人間ですわ!


「あー、もう、分かった」ボクは汚い猿顔を睨み付ける。「掛かって来いよ、ウータンヅラ!!」


懐柔できない、挑発にも乗ってこないで、相手のペースを崩すことは諦めた。なにより、ボクがコイツを許せなかった。


「いいね、嬲り甲斐があるぜ」



ウータンは広刃の短剣とマンホールみたいな形をした丸盾を構えている。盾は木製で軽量だが、外周と要所を金具で割れ難く補強してあるみたいだ。

盾と剣がしっかりと左右をガードしていて、非力なボクのハンマーでそれをこじ開けるのは不可能に思える。


ダメージを見込める頭部にしても、低い位置から有効打を狙うのは難しい。遠いし、盾で遮られて剣でザクリだ。

肉体のスペック以前に、熟練者はスタンスが違う。素人では不意打ち以外に有効打を当てることすら叶わない。


――この人でなし、痛い目見せてやる!! だなんて、ちょっとでも思うんじゃあなかった。


勝ち目がないのは前提、はじめから真っ向勝負の選択肢などはない。だから、ボクは不意打ちを狙う。



「――ねえ、背後には気を付けて」


それまでずっと相手から外さなかった視線を、ボクはふとその肩の先へと向けた。


UFOだっ!! なんて、この状況下でそんな子供じみたフェイントに引っかかるやつがいるかって?

ところが、ウータンだけはそれを無視することができない。


これはバトルロイヤルであり、出場者の中でボクの脅威レベルは極めて低く、そしてなにより、ついさっき『彼自身が背後からの奇襲を行った』のだ。

加えて、本当の奇襲に目を奪われる観客の反応を、リアルタイムで観たばかりのボクがそのまま再現した。我ながら完璧な演技だった。


要素が幾重にも噛み合った奇跡的な余所見に釣られ、ウータンは首だけを捻って背後を確認した。


――今ッ!!


三秒もなかったと思う。さすがとしか言いようがない。ウータンは背後の憂いを断つために二秒のリスクを負う選択をした。

慎重。襲い掛かるボクを迎え撃つのに、支障のないロスを二秒と判断したということだ。


ボクは構わずに飛び込んだ。ここまで一切の冷静さを失わなかった猿男から、はじめて戸惑いを感じ取ったからだ。

踏み入れたのは相手の左手側、盾を構えている方。ウータンがボクを剣で迎撃するには距離があり、また盾が邪魔になる。敵の盾で攻撃を遮る形。


それと同時に二択を迫っている。


【選択A】腰をひねって剣で攻撃をする。

【選択B】相手の攻撃を盾で防御する。


両足を地面にベタ着けしている状態で、両手に物を持っている相手がこの二つから大きく逸脱できるとは考えにくい。そういう位置取りだ。


――盾が動いた、敵の選択は【B】。ありがたい!


ガードを固めれば肘が上がる。肘が上がれば腰から下への対応が遅れる。ボクの狙いは膝より下、スイングの要領で脛を狙った。

軌道が低く盾が遮蔽物になることで、完全に視界の外からの攻撃になった。これは防げない!


もし相手が【A】の選択肢を選んでいたなら、先に攻撃が届くかはほとんどバクチでしかなかった。

ボクは賭けに勝った。これ以上のことは思いつかないし、思いついたところで実現は不可能に違いない。


膝でも足の甲でも構わない。破壊してなお勝てる確証はないけれど、足を負傷した相手から走って逃げることは容易だ。


――ボクは生き残れるッ!!


「もらったッ!!」


勝利を確信した次の瞬間、激しい衝撃がボクを襲った。予期せぬダメージにパニックを起こす。



「――!?」


吹き飛ばされて転倒した場所から、ボクは意図的に後方へと派手に転がる。ダメージの軽減だなんて気の利いた狙いはない。転倒した場所に留まれば、追撃で命を落とすと思ったからだ。


――なんだ!? なにが起こった!? 衝突した。なにか、大きな塊が。


案の定、ウータンは既に追撃体勢へと移行しこちらへと踏み込んでいる。衝突した物は……盾だ!?


猿男のした選択は【B】ではなく【C】。『盾で防御する』ではなく『盾で攻撃する』だった。

死角からの攻撃を避けずに、体ごとぶつかって攻撃可能な間合いをつぶして対処した。


――読み負けた!?


こちらの狙い程度、いくらでも対応可能なだけの蓄積が相手にはあったんだ。


逃げなきゃ。「ガハッ、ゲホッ、ゲホッ……!?」


盾を挟んだタックルは強烈で、その一撃でボクの体は完全に機能障害を起こしていた。呼吸が、できない。


即座に立ち上がれないボクの後頭部を敵の靴底が強打した。踏み付けるような前蹴りで完全に転倒する。

剣によるトドメよりも、ダッシュから狙える最速の攻撃でこちらの行動を阻止することを優先してきた。どこまでも冷静だ。


ブサイクなのに、いやな奴なのに、圧倒的に強い。いや、ボクが弱いだけなのか。なにをしても勝てる気がしない――。



体がまったく動かない。頭部への強打は頸椎を揺さぶり三半規管をマヒさせていた。

地面の固さを感じながら、ボンヤリとした視界に映る空と、トドメを刺そうとする猿顔を眺めることしかできない。


口をパクパクとさせて何かを言っているようだけれど、いやらしい笑みを浮かべていることからどうせ悲報に違いない。

そう考えればすっかり興味が失われたのだった。これ以上、憂鬱な情報なんて入れたくない。


幸い、音はもうボクには届かない。


――最後くらいは奇麗なものを視界に収めて死にたかったな……。


鮮明なのは鉄の味だけ。どこから溢れ出しているのか、窒息するほどの血液の味。


例え生き残れたとして、こんなに痛い思いをするくらいなら、いっそ死んでしまった方が楽だろうとすら思えてしまう。

それくらいにボクの心は折れてしまっていた。死へといざなわれる安らぎにも似た感覚が、もはや足掻くつもりはないということの表れだ。


――なにも考えたくない。指の一本すら動かない。


こうなることは初めから分かっていたし、身の丈に合わない努力だったのだ。もう諦めよう。

ボクはこの世界に一体、なにをしに来たのだろう……。考えても仕方ない。ボクは死ぬのだ。


ああ、どうかせめて、この猟奇殺人鬼がボクの体を弄ばずに、ひと思いに命を絶ってくれますように。そう祈りながら瞼を閉じた。





『ボクっ娘にコロシアムの頂点は取れない』

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