カクヨムを楽しもうへの応援コメント
なろうはコミケ。カクヨムは同人誌。おもわず膝を打ちました。
二次創作に歴史に残るような名作はない…原作と違い。これも事実ですね。
二次創作が最初だったという漫画家さんはたくさんいらっしゃいますが。
良い面と悪い面、両方発展させたのがコミケだったんですね。
こういう両方を見ている文章はなかなかないので、おもわず一気読みで、ハートボタン押すのも忘れて読みつづけてしまいました(;^ω^)
なんか自分でも企画をやってみよう!とおもいました。こんな苦労もなくできるなんて、確かに楽しんだほうがいいですね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。かなり前の考察なのに、今だに読んでいただけるのはありがたい限りです。
これからもバランス感覚を忘れずに活動していかなければと思います。
カクヨムを楽しもうへの応援コメント
もともと二次創作好きで、地元のコミケに参加したり、友達と同人誌を作っていたりしたので、あちこち頷きながら読みました。ほんといい時代だと思います。
カクヨム様も大好きですし、なろう様も大好きです。
自分が疲れているときは、なろう様がありがたいです。でも言われてみれば、確かに最初は作者名で読んでなかったです。
最近になって、ようやく好きな作者が出てきて、新作が出たら追いかけています。
カクヨム様では交流ありきなので、先に作者様の印象があって読む感じなので、正反対だなぁと思いました。そこが面白いので、自分も楽しみたいと思います。
作者からの返信
これは同人誌のプラス面に注目した考察です。同人誌、もしくは同人誌的なコミュニティーにはマイナス面もあります。
そのあたりの考察には、どうやら需要がないようです。
編集済
読みやすい文章という違和感への応援コメント
読みやすい文章、読みやすい段落分け、小説書いてると、そんなことをたしかに考えがちです。昔マンガを描いていたことがあり、なるほど、と思いました。読みやすければいい、という訳じゃない。そりゃそうですよね。
文字は音符、文章は楽譜、って思います。
分かりやすさもある程度大事ですが、響きや、そこからくるイメージを重視したいです。
作者からの返信
文章は楽譜。いい例えだと思います。
わかりやすく相手に伝わることは大事ですが、それはスタートであって終着点ではない。そこから広っていかないと……ということですね。
カクヨムを楽しもうへの応援コメント
私もカクヨムは大好きです。唯一不満に思っているのは、レイティングがR15な点。R18にしてくれたら良いのにな〜。
奈月沙耶様の作品、私は同人誌作りも誰かと一緒に創作活動もしたことないので、疑似体験するつもりで拝読しました。
ホント、自分が書いた小説を読んでもらうだけで大変な努力が必要ということでしたよね?
今、カクヨムで創作活動をしている人々の中で、どれほどの人が同じことが出来るのか? 私は絶対に出来ません。断言★
作者からの返信
ここでの考察はカクヨムは同人誌である。それも過去に同人活動をやっていた人間の視点からすれば非常に優れたツールである。ということです。
実は僕もネットのない大昔、同人誌を連携させてコミュニティーを作れればと考え、同人誌の交流かわら版みたいなものを発行しようとしたことががあります。雑誌の同人誌交流コーナーなんかも利用して。切手代を相互に負担する感じで……。
気力と現実の壁に阻まれて頓挫しましたが、それがデフォルトで既にできていると考えると凄いことです。
編集済
ウェブ小説の対極にあるものへの応援コメント
江戸時代の将棋棋士天野宗歩さんとか、戦前の阪田三吉さんが全盛期時代の年齢の頃と、現代のプロ棋士とが戦ったら、どうなるか?
並のプロ棋士と10戦して、おそらくは2勝8敗とか1勝9敗とかの成績になると思われます。10戦全敗も有り得るでしょう。
これは彼らが活躍していた時代から、将棋の指し方(定跡)や戦法などが進歩しているためで、如何に実力があってもさすがに勝負にはならないのです。
これは小説も、似たようなことがいえる側面があるんじゃないかな?
SFでたとえると、星新一先生が活躍していた昭和の時代と今では、科学の水準がまったく違っています。
当時は、ダークマターやダークエネルギーなんて言葉もなかったですし、冥王星が第九惑星であったり、ブラックホールなどの研究も充分ではなかったでしょう。
私は、そのような現代の知識を踏まえて作品を書く場合、昭和のSF小説を圧倒しないとおかしいと考えています。科学の裏付けがはっきり違いますから。
昭和には、スマートフォンもGPSもインターネットもなくて、AIなんかも現代とは比べるべくもなくて、今は無人の兵器が戦場を飛び回っていたりします。
最強の戦艦大和も、攻撃機から発射された対艦ミサイル数発で沈んでしまうでしょうし。現在は『戦艦』という艦種はないそうです。海上でドンパチする時代ではない、と。そういうのは第一次世界大戦までで、第二次世界大戦では既に戦艦が主役ではなく、大型空母を駆使した航空戦力がそれに取って代わっていたのです。
私は、平成に書かれたSF小説をほとんど読んでいないのですが、世界最高峰のSF作家と勝負出来るアイディアを持っているつもりです。そうでないとプロはめざせないとも思っています。
さて、天野宗歩さんや阪田三吉さんが現代に転移してきて3年。彼らはどうなっているのでしょうか?
おそらく、トップ棋士と互角以上の戦いをしているでしょう。3年あれば現代将棋を学んで対応出来るはずです。
そうなれば、歴史に名を残す名棋士が弱い道理がないでしょう。
ただ、時代の流れはどうしようもない。
小説の分野にもよると思いますが、プロを目指す作家志望の人間は、平成の作品に負けてはダメだと思います。
とはいえ、小説の世界では多くのアイディアが出されていて、新しい鉱脈を発見するのが難しいとも言えます。
また最近、筒井康隆先生の『旅のラゴス』という作品を読んだのですが、『カクヨム作家とはレベルが違う』と思わされました。
小説と一口にいっても、時を経て廃れるモノと輝きを失わない作品がありますよね?
そもそも、人間の本質なんて紀元前から変わらない訳ですし。人間ドラマを中心に据えると、百年千年時を経ても色褪せにくい。
つまるところ、小説って人間ドラマなんですよね。
作者からの返信
脱字を修正しました。ありがとうございます。
小説については、技法にしても技術的な進歩(あるいは新しい発見)はあると思います。ですが、過去の作品の価値がなくなるわけではないでしょうね。例示した火星シリーズもSFの他の名作も面白い物は今でも面白い。これは間違いありません。
筒井康隆先生がカクヨム作家と次元が違うのは当然です。そういう正常な感覚を持ち続けることが大切だと僕は考えています。
編集済
カクヨムは作者ばかりへの応援コメント
私は、カクヨムに書きに来たはずなのに、現状は9割以上読んでる気がします。
最初は正直、素人の書く小説なんてたいしたことないでしょ? くらいに思ってたんだけれど、驚くほど水準が高いです。
私は、小説家を目指すにしては読書の絶対量が少ないので、カクヨムでそれを埋めようと思ってます。もちろん、書籍の本も読んでいますけれど。
ウェブ小説を投稿してるけれど、自分はほとんど読まないという人。どんだけ天才なの? ……と言いたい。そんな人の書くモノが面白いはずがないと思うんだけれどな〜。
カクヨムは読者の絶対数は少ないかもしれないけれど、書き手=読み手でコメントとかは有益なものが多いです。
『応援コメントが優れている人は、小説も優れている』
これは私の持論で、かなり妥当すると思います。
でもカクヨムも、もっと読者が増えて欲しいです。
ウェブ小説ではなく、小説を書いてるセミプロ級の方がいっぱいいるんだから、しかもタダなんだから、もっと読みに来て欲しいな〜☆
作者からの返信
応援コメントが優れている人は、小説も優れている。
しっかりと内容を理解して、何を書けばその人のためになるかを考える。これはもちろん、小説を書く能力と関連がありますからね。その通りだと思います。
読みやすい文章という違和感への応援コメント
読みやすい文章っていうのは、前提条件だと思うんですけれどね。あえて、読みにくくしているのでない限りは、読みやすくて当たり前なんじゃないかな?
だから、『読みやすい文章』なんて、褒めてることにならない気がします。到達点どころか、スタートラインなんじゃないのって?
とか言いつつも。私って、一文が長いから、読みにくい文章かもしれない。スタートライン以下じゃん! やべぇ★
作者からの返信
ここでも書いていますけど、それでいいと考えるのは底が浅いですね。文章の長さとか。セオリーに沿って書けば読みやすくはなりますが、それが全てではないはずです。
なろうとカクヨムへの応援コメント
私は、いわゆる『なろう小説』というのがよくわかっていなかったのですが、コミケとたとえられて腑に落ちました。
油布先生の考察は素晴らしいです。お陰で『公募』と『カクヨム内のコンテスト』の違いも明確にわかってきたような気がします。
私も公募をメインに据えて、プロのラノベ作家を目指そうと思います。
けれども、カクヨムサイトは書く人間にとっても充分に有益ですよね? 昔は、自分の書いた小説を読んでもらおうと思ったら、同人誌作ってコミケとかにもっていかないといけなかったようですから。
サイトで発表したら、誰かが読みに来てくれて、感想とかをくれることもある。これは、本当にありがたいことです♡
作者からの返信
先生はやめましょうね。終わっちゃうから。
たぶん理解されていないようなので、解説しましょう。これはカクヨムのようなサイトのマイナス面です。書いても殆どの人は理解しないか拒絶します。
交流が進んでくると、みんななんとなく対等な気分になってきます。そして場を提供できる人が上のような雰囲気ができます。これは普通の社会では当然のことで、特に問題ではありません。
しかし小説を書いて上を目指すのであれば話は別です。シビアに自分の作品を常に見つめて問題点を分析することが必要です。必要以上に褒め合うことは、毒にもなります。コミュニティの拡大が自分の能力向上と混同されるようになってくる。本当は天と地ほども実力の差があるのに、実力面でも対等だと思うようになっていく。
二年も経てば自分の作品がこのままでは通用しないことに内心では気づくようになります。しかし先生になったつもりでいると、それが認められなくなってしまうのです。
結果、自分の作品の欠点についても『あれは実験作だから』『あれはそう書いているんだからいいんだ』『とにかく書けばいいんだ』とか言い始めます。やけに(笑)とかでごまかすことが多くなります。そこまでくれば黄色信号です。
小説は多くを作者の精神的なエネルギーに依存しているので、どんなに技術が優れていても、プロでさえもそこで終わります。
これは僕にとっては明白な事実であり非常に悲しいことなので、交流のあった方に忠告することがあります。そして大抵の場合、そこで交流は終わります。自分の現状認識を変えることより、忠告する人間の方を否定するわけです。実際、コメント拒否とかもされています。
まあ、それがわかっていても。どうせ一度の人生。ネット上の付き合いくらい嘘で固めたくない。そんな風に考えています。
出版社にとってのウェブ小説への応援コメント
ふと思ったのですが、プロのウェブ小説作家って生まれないでしょうか?
読みやすく誰からも親しまれる文章が書けて、テンプレから魅力的な物語を作り出す能力に長けた作家。
異世界転生モノが廃れても、すぐに新しいテンプレから魅力的な作品を作り出せる。
その結果、ウェブ小説のランキングでは常にトップグループにいて、書籍化もされる。
そういった優れたウェブ小説を書くことに特化した新しいタイプの小説家像。
『一から物語を作り出す』ということを放棄しているため、その分の労力を他に回すことが出来る。
クリエイターではなくアレンジャー。ウェブ小説というニッチな市場に特化した小説家の進化系と言えないでしょうか?
退化ではありません。進化です。必要のないしっぽやら水かきやらえら呼吸なんかを削ぎ落として、必要な部分の能力を高める。これぞウェブ小説時代の新しい小説家像なのです!!
いえ、私は従来の小説家を目指しますけれど。
作者からの返信
例えば同人誌作家のカリスマですね。同人漫画の世界にいたような作家は当然生まれてくると思います。というか、もういますよね。
ただ、魔女っ子★ゆきちゃんさんが言うような、それを超えたスーパーな作者はどうでしょう。
オリジナリティーがなく、編集者の求めに従って人気ジャンルを書きなぐるシナリオライターもどきの作家は過去にも多数いました。必要なのは高い文章力だけです。
しかし今はむしろ、そういう作家こそがウェブ小説によって淘汰されたのではないか。そう感じます。
スーパーなウェブ小説作家は必要ないのです。常に多数の中から選べばいいのですから。
人気ジャンルで常に魅力的な作品を生み出す能力がある作家は、ここで規定するウェブ小説作家ではありません。
編集済
ウェブ小説の弱点についてへの応援コメント
油布先生の考察は素晴らしいです。
>弱点とは常に利点と表裏一体のものだ。
これは私も常に考えています。
具体的にいうと、私は文章……、特に描写が絶望的に下手なんだけれど、それを最大の武器にしてライトノベル作家デビューを目論んでいるんですよね。詳しくは文章論のところで書きます。
クトゥルフ神話でしたっけ? まったく読んだことはないんですけれど。
あれって、オリジナルの作家っていないんじゃなかったかな?
複数の作家が書いて、世界観を作ってるんですよね?(違ってたら、ごめんなさい★)
興味はあるんだけれど、手を出すには至っていない。
オリジナルの舞台、作りたいですぅ〜。
『鬼狩り神三郎』は、独自の世界観の構築に成功してます。
オリジナル部分は、おそらく。
①鬼神に身体の一部を食わせて、契約をする。
②人の身体を食べた鬼神は、それと同じ質量分の身体が、こちらの世界にくる。
③自分(あるいは近い関係の人)を食わせた人間は精神的優位に立ち、鬼は契約に拘束される。
④陰陽道の術によって、式神の能力に差が出てくる。
……などでしょうか? この基本設定が、『女神様によってチート能力を与えられる』みたいなお手軽なものではなく、チカラを得ようとすれば大きな代償を支払うことになる、ということで絶妙に生きています。
面白いです。凄惨で覚悟の物語であるのにも関わらず、コメディ的要素もあって、八咫烏さんが実に良い仕事してます。作品内がぴりぴりしてないので読みやすい。
ただ、最新話に追いついちゃったので更新待ちがね〜★
作者からの返信
先生はやめてね。自分が偉い気持ちになると終わっちゃうから。
弱点と利点の話。例えば逆に描写が上手かった場合、描写ばかりに目が向いてストーリーがお座なりになることがあります。描写はあくまでストーリーを語る手段なのにね。そういうの、多いですよ。
『鬼狩り神三郎』の話。整理していただいて嬉しいです。
僕は自分に何がどこまで書けるのかを確認したいと考えているので、今までカクヨムで発表した作品は全部毛色が違います。SFショートショート、ハイファンタジー、ギャグ込み連作短編、一人称ハードボイルドファンタジーですかね。伝奇は初めてです。自分の力量ギリギリの所で書いてますが、難しいですね。
編集済
ウェブ小説についてへの応援コメント
私の師匠は星新一先生です。もちろん、勝手に言ってるだけで、お会いしたことはありませんが。
星先生のエッセイなどを読むと、初期のSF作家の苦労が伺えます。
サイボーグとか宇宙人とか、まずそこの用語から説明しないといけないのです。
その説明に紙幅を費やし、深い内容の物語が書けないという……★
なんか、今の異世界転生モノとは正反対ですね。
日本のSFは、そういうところからスタートし、昭和で終わったような気がします。私は長くSF作家志望であったにも関わらず、平成時代にデビューして活躍したSF作家を1人も知りません。
カクヨム内で異世界転生のパロディであったり、皮肉っている短編作品をいくつか見て、それ自体は面白いんだけれど、『異世界転生テンプレ』の知識があること前提の作品は書く気がしませんね。
それって、20年後、50年後、100年後の読者に説明なしで伝わるのかな? と思うのです。今の私たちだけにしかわからない物語ってどうなの? って。
星先生の作品は、古いものは60年以上前に書かれてますけれど、多くの作品は今でも輝きを失っていないです。
私はそういう作品を書きたい。さらにいうと、100年後に『タイムトラベル』モノの古典的名作と呼ばれるものを残したいと存じます。
異世界転生モノで100年後も読まれている名作ってあるでしょうかね〜?
作者からの返信
異世界転生モノで100年以上読まれている作品があります。ERバローズの『火星シリーズ』です。ターザン書いた人です。
魅力的な設定とキャラクターの存在感、小説全体に流れるエネルギー、良い物は全く色褪せません。
逆に、現在ブームになっている同人誌の延長のような作品は、おそらく一つも残らないと思います。
星新一先生には僕も私淑しています。
SFショートショート。実はまだ、ジャンルとして書くことは可能だし面白いものを書くこともできると思っています。
いつか、一冊分になる作品を書き溜めるのが目標です。(星新一先生には遠く及ばないですが……)
カクヨムにも4作品のSFショートショートを掲載しています。
『タイムマシン』『青い地球』『レトロブーム』『数え年』です。
良かったら、覗いてみてください。
ウェブ小説についてへの応援コメント
カクヨムで作品を発表していながら「ウェブ小説」というものをほとんど読んでこなかったので、「ウェブ小説って何なんだろう」とずっと考えておりました。ですがこの考察を読ませていただき、胸のつかえが下りたような気持ちになりました。
異世界転生というテンプレと二次創作の性質が同じというのは、とてもわかりやすい論旨でした。そう、手っ取り早いんですよね。私自身も過去に二次創作を書いていたことがあるので、よくわかります。
けれども楽しいのは書いているときだけで、その後はとてもむなしい気持ちになったのを覚えています。借りてきた立派な入れ物に、好きなおもちゃを雑多に詰め込んだだけのような……。
異世界転生ものがこれだけ市民権を得ていることを考えれば、こうしたテンプレも、うまく使えば魅力的な作品が生まれるのでしょう。そして同時に、それを求めている人もたくさんいる。
けれども私は入れ物から全て自分で作りたい。やはり「ウェブ小説」ではなく「小説」を書きたいのだ、と気づくことができました。
ありがとうございました。
作者からの返信
借りてきた立派な入れ物に、好きなおもちゃを雑多に詰め込んだだけ……いいえて妙ですね。
僕も個人的には、やっぱり小説を書きたいと思っています。
読みやすい文章という違和感への応援コメント
読み易い文章とは、書き手が想像している情景・状況を、読者全員が共有出来る事にある、と私は考えます。
同じ設定を想像して頂かなくては、物語りの感情移入が出来ないからです。
この要点については、いつも苦労致します・・・
妄想ではありません。
いつか、Web小説原作の作品、というヒット作が登場する事でしょう。
人気を博した分野からは、必ず時代の寵児が生まれる・・・
これは、今までの歴史が証明しています。
・・ただ、Web小説は現在、渾沌としています。
過渡期に移行するのは、もっと後ではないかと私は考えています。
何がファンタジーなのか? SFとの違いは?
自分が書いているジャンルすら分からず、ただ単に、異世界モノがファンタジーであると認識している人たちが闊歩・謳歌している間は、夜明けは遠いです。
作者からの返信
書き手が想像している情景・状況を、読者全員が共有出来る文章は、ただの読みやすい文章ではなく優れた文章です。この評論ではそう定義しています。
内容がわかればいい。あとは妄想すればいい。そんな浅いものが到達点とされてしまうことに、私は危機感を覚えています。
なろうとカクヨムへの応援コメント
『書籍化は、作家として認められたからではなく、作品の人気が認められただけ』
同感です。
更に加えれば、『単に、ある程度は売れそうだから』となるでしょう。
どこのサイトでも、読者選考なる方式で、人気上位の作品が書籍化されているようですが、こういった『ポイント制』は、
はたして良作を導き出しているのでしょうか?
私には、単なる『慣れ合いポイント』のような気がしてなりません。
近況ノートにも書きましたが、『SNSカルテル』・『学校カルテル』の存在がありますし・・・
作者からの返信
作家になることと書籍化されることはイコールではない。
昔からそうだったとは思いますが、その傾向が顕著になっているような気がします。
ウェブ小説の読者は似たりよったりの題材の中にある、新しい切り口を求めています。それならむしろ、作家買いは効率的ではありません。別の作者の方が新鮮です。それが一人の作者が長持ちしない理由の一つではないでしょうか……。
ウェブ小説の弱点についてへの応援コメント
『コピーは、オリジナルを超えられない』
これは、創作をする人にとって、絶対に理解しておかなければならない真実だと思っています。 二次創作を趣味としている人も、オリジナルに拘る人も。
そもそも、私には、二次創作の醍醐味を理解する事が出来ません。原作の設定をしている時こそ、ワクワクするものだと思うのですが・・・?
設定の全てが『現存』する以上、展開は、状況変化のみに限られます
創造性の無い創作は、やがて息詰まる事でしょう・・・
まあ、何に創作の醍醐味を見い出すかは、人それぞれですが。
作者からの返信
そもそも二次創作って言い方が、どうなんでしょう。
創造性の無いものを創作と言っていいものかどうか……。
あえて言うのなら、パロディーとか連想とかですよね。
価値とは受け取り手が決めるものですから、需要がある以上はコピー作品にもそれなりの価値があるとは思います。ただ、概念としてはしっかりと分けておくべきではないでしょうか。
ウェブ小説についてへの応援コメント
初めまして。
夏川 俊 と申します。
Web小説も、音楽や映画・詩などと言った『創作』の一手法だと思います。
創作である以上、訴えるべきテーマが存在するかと。
巷に溢れている『異世界モノ』のほとんどには、それがありません。
「こんなシーンが描きたい」・「こんなキャラに、こんなコトさせたい」etc…
これは願望であって、テーマではありませんよね?
しかし、世間では支持され、書籍化もされているのが現実です。
当然でしょう。 ある程度の販売が見込めるのですから出版社は書籍化します。
油布 様も指摘されていらっしゃる通り、『良い』・『悪い』ではなく、『必然』です。
カクヨムも異世界ワールドの増殖には、基本的には関知していません。
漫画を19年描き、その後、Web小説を始めて17年・・・
まさに、ジジイのぼやきとなりますが、異世界モノには閉口しています。
私は、手塚治虫 先生とも関わりを持つ過去がありますが、先生曰く、
「テーマ無きものは、創作にあらず。芸術とは、ヒトに訴える思考あればこそ、芸術となる」
これを肝に命じ、コツコツと創作を続けています。
油布 様は、多くの方とのディスカッションを求められているご様子ですね。
お邪魔かも知れませんが、参加させて下さい。
作者からの返信
手塚先生は、日本人のクリエイターの中で私がもっとも尊敬する方です。その言葉、重みがありますね。
この話については、私も考察してみました。番外編の『ストーリーとは何か』で、ストーリーとは作者が意図をもって作品世界を編集することによって生まれるとの分析をしています。これが先生のおっしゃるテーマに近いものだと思います。よろしければ、ちょっとのぞいてみてください。
余談ですが、私が理想とする文体は手塚先生の絵のようなものです。ゴテゴテと飾りたてたわけでもなく、すっきりと見やすいのに、シリアスにも童話にもギャグにも対応できる。あらゆるジャンルを目指した先生だけがたどり着いた境地です。そのような文体を身につけられたらと常に思っています。
出版社にとってのウェブ小説への応援コメント
実際にイオンにある本屋で働いている兄がいますが、ウェブ小説はあまり売れてないそうです。
他の店では売れてるのかもしれないですが、とりあえず兄の店では売れてません。
私の予想ですが、おそらくテンプレ物が流行っているかのように印象づけるためだけに、テンプレ物で棚を埋めてるのではないかと思います。
「流行ってるのかな?」と思わせて一巻だけでも買わせる手口。
そうやって上っ面だけよく見せてるせいで、続きを買う人が少なく、2、3巻で打ち切られるパターンが多いのではないかと。
まともなソースがあるわけじゃないので、あくまで推測ですが。
作者からの返信
かもしれませんね。
ほんと、打ち切られるパターンが多いですからね。
出版社にとってのウェブ小説への応援コメント
この作品を読んでみて思ったのは、
素晴らしいという言葉です
今後も執筆頑張ってください。
作者からの返信
ありがとうございます。
色々と考察をしているので、それに対する意見などもいただけたら嬉しいです。
ウェブ小説の対極にあるものへの応援コメント
至極妥当なご意見かと思います。
その一方で「テンプレ」というのは、その原型が書かれて、多く支持されたからこそ「テンプレ」として成立するようになったわけです。
その「原型」を書いた作家というのは、やはり偉大ではないのかなと思えるのですよ。
というのも、例に挙げられているE.R.バローズの『火星シリーズ』。私はこれをWeb小説を始めてから、ほかの人に勧められて読んだんです。衝撃的でしたね。
「これ『異世界トリップ俺Tueee!』そのものじゃん!」と。
その前から「内政チート」はマーク・トゥエーンの『アーサー王宮廷のコネチカットヤンキー』が元祖じゃないかと思っていたんですよ。
今の「Web小説」とか「なろうテンプレ」の原型って、意外に古いんだと。
正に「年月を経ても失われない」ものなんだなあと。
逆に言うと、そこまで支持されるものは、もはや「テンプレ」ではなくて「王道」なのかなとも思えます。
そういう「原型」みたいな作品を描けるようになりたいものです。
作者からの返信
そうですね。「原型」にはオリジナリティーがあります。
「テンプレ」をなぞって製造した作品にはオリジナリティーはあまりありません。オリジナリティーのある作品には、ただ最初に書いたとかじゃなくて特別なエネルギーみたいなものがあるような気がします。
読みやすい文章という違和感への応援コメント
これについては、私のエッセイでも書きましたが、読者が求めるものが違うからだと思います。
そもそも「従来の形の小説」を求めていないので、単文で短文の文章が「読みやすい」と良しとされるのではないかと考えました。
「ゲーム文化」、言わば「画面の中の文字を読む」文化から生まれた評価ではないかと思えます。
その点で、こちらのコメントで蜂蜜 最中様が書いている「スマホで読んでいるから」という指摘は実は結構重いのかと思えます。
「なろう」の方で「2か月で書籍化した」という内容のエッセイを書いている方の戦略は「スマホで読みやすいように1話は1000字程度」というものでした。
そのあたりを読んで、スマホという媒体で読む場合に特化した文章というのが求められているのかもしれないと思うようになってきたんです。
もしかしたら、我々は今、グーテンベルグ以来……あるいは、下手をすると蔡倫以来のメディアの大変革期に居るのかもしれません。
ケータイ小説というものもあったように、新しい形、新しい時代の「スマホ小説」というようなものができつつあるのかもしれず、「なろうテンプレ」あるいは「Web小説」というのは、その嚆矢なのしれないと、あのエッセイに付けられた感想を読むうちに思うようになってきました。
作者からの返信
ここ、いろいろな考え方がありますよね。
新しいスタンダードが生まれているのか、ただのあだ花か……。
もし、それが新しいスタンダードなら、その中での進化とか差別化とかが必要でしょうね。もう少し、注意深く見る必要がありそうです。
なろうとカクヨムへの応援コメント
「なろう」の運営方針がコミケっぽいというのは、非常に納得がいきます。
また、一部の需要に偏っているので、違う需要層を求めてカクヨムに流れたというのは、カクヨム初期の傾向としてあるかなと思います。
ただ、結果的にユーザーと読者が増えると、好まれる作品が同じような傾向になってきてしまったように思えます。結局「なろう」とカクヨム両方に登録しているユーザーも多いことから、あまり差別化できていないのかなという感じもあります。
その一方でカクヨムの方がユーザー間交流が盛んだという印象はあります。サイト構築初期には、むしろユーザー間交流を遮断する形の構造をしていたのに、それが逆転したというのが面白い所かなと思えます。
だから、「なろう的部分」を分割して別サイトにするという方向性は正しいのかなと私にも思えます。
作者からの返信
最近、なろうの読者が、かなりカクヨムに流入してきたと感じています。
カクヨムも常に変化をしています。
出版社にとってのウェブ小説への応援コメント
これなんですが、意外にテンプレって書籍化しても売れないかもしれないと思うようになったんですよ。
あのエッセイの「なろう」の方の感想に「スマホでソシャゲー感覚で読んでる」から「無料ならともかく本を買おうとは思わない読者が多いんじゃないか」というのがあったんです。
そのあたりが結構明確になってしまったのが、いわゆる「なろうバブルの崩壊」みたいに言われたレーベル廃刊とかなんじゃないかなと。
ただ、テンプレとかWeb小説を書いた作家様の中にも「本物」はいて、そういう作家様は「作者買い」されるような固定ファンもつくし、一般書籍市場でも売れる作品を書けて、続編とか新作を依頼されるようになるのかなとも思います。
作者からの返信
テンプレを好み、買う層がどれだけいるかって話でしょうね。
ブームでそういう層の人が増えたということはあるでしょう。その人たちがたくさん買うということもあるでしょう。
しかし、それが多数派で永続的なものになるかはわかりません。
むしろ僕は、否定的に考えています。
ウェブ小説の弱点についてへの応援コメント
ここのご指摘は、正にその通りかと思います。
ただ、これについて言えば「使い捨て」の娯楽はすべからく、その傾向があるかとは思えます。
「ライトノベル」について言えば、十年前の作品で生き残っているものは稀少です。
推理小説のトリックについては生き残るものもあるかもしれませんが、時刻表トリックのようなものは簡単に時代遅れになります。
時代風俗を描いたものは古くなるのはしょうがないかなと思ったりもします。
歴史小説こそ変わらないかと思えるかもしれませんが、最近では「桶狭間は奇襲ではなかった」「長篠の鉄砲三段撃ちは無かった」みたいな研究も出てきていたりして、古くなってしまうものがあるかと思います。秋山信友が秋山虎繁だったりとか、人名についてもかつて標準だったものが変わってしまったりすることもあります。
ただ、本当の名作はそんな細かい部分の古さは乗り越えて時代を超えて愛されるものだとは思います。E.E.スミスの『レンズマン』って非常に古いんですけど、ガジェットの一部をリニューアルすれば現代でも通じるほど面白いんですよ。
書くなら、そういうものを目指したいなあとは思います。できるかどうかは別ですけど(笑)。
作者からの返信
単純に時代の古さが合わなくなっているものは、リメイクしたときに修正しただけでも面白さは変わりません。
逆にその時代があって、初めて面白いとされていたものはリメイクしてもダメでしょう。
普遍的なものと、そうでないもの。時代で評価が違ったとしても、似て非なるものだと思います。
ウェブ小説についてへの応援コメント
改めてお邪魔します。こちらで「Web小説」と書かれているものは、私は「なろうテンプレ」あるいは「テンプレ」と書いたものと同じかなと思います。
>投稿された無数の作品の共通部分が一般化され、省略される傾向が発生したのだ。
>それはほとんど共通の課題であり、ほぼ同じ設定として軽く触れられるか、あるいは無視される。無数の同傾向作品を読んでいる読者の立場からすれば、それはむしろ当然だ。
これこそ、私が自分で「テンプレを書いてみる」ときに一番苦労したことになります。どこまで書く必要があるのか、どこを省略していいのか。
その塩梅がわからず、結局テンプレとして不完全なものしか書けませんでした。
ただ、ここの説明を省略できることこそテンプレのメリットであるというのは、恐らくこのエッセイで学んだ知見かと思います。
作者からの返信
過去に読んだ作品の続編、という感覚でいいと思います。
続編なら雰囲気をつかむための軽いなぞりが必要なだけで、設定の細部を繰り返す必要はないでしょう。ギルドとかダンジョンとかレベルアップとか。その辺の説明を最初から長文でやってしまうとくどいってことになります。
ロールプレイングゲームのファンがチュートリアルを飛ばすようなものです。
もちろん、僕はテンプレ小説推奨派ではないので、単なる分析です。
ウェブ小説の対極にあるものへの応援コメント
うっ、ラストの一行、カ…カッコイイ (ノ∀`)
作者からの返信
書籍化作品の作者と小説家、違うと思うんです。
書籍化したのに、またスタートラインに立たされる。それって実力を認めてもらっていないということですよね。それが常識化するってどういうことなんでしょう。
ウェブ小説の弱点についてへの応援コメント
何て言うかすごく分かり易い文章なので、いちいち主張に説得力がある。全て貴方の言う通りだと得心してしまった。いや、こういう精神では書き手としてマズイんだろうけど (ノ∀`)
作者からの返信
ひとつの考察です。
違う意見があってもいい。でも、何か考えるきっかけになってほしい。そう思って書きました。
編集済
読みやすい文章という違和感への応援コメント
こんにちは、南雲 千歳(なぐも ちとせ)と申します。
特にWeb小説において、何故「読みやすい文章」と言うキャッチフレーズが台頭するのか……。
それは、読み易いor読み難いと言う判断が、或る程度、客観的な基準で言える事だからであると思います(*'▽')
面白いor面白く無い、と言う判断は、十人十色と言う言葉が示す通り、かなり読者や視聴者、鑑賞者など、それを消費する側の主観に依存する物ですので、それが例えダヴィンチの絵画の1つ、「モナ・リザ」であったにせよ、1つの作品に対して、相反する反応をする人がいる以上、全員が面白いと感じる芸術作品など存在し得ません。
よって、コンテンツを提供する供給側としては、ジャンルやらストーリーの概要、キャラクターや舞台の設定など、なるべく客観的に断言出来る部分でそのコンテンツを紹介する以外に選択肢は無いのでは無いかと考えます。
「凄く面白い作品!!」と言うのは客観性が担保されておらず、言い換えれば真偽不明で怪しい言葉ですが、「(普通の人なら)泣けるストーリー!」ですとか、「全体が1万字以内でサクッと読める作品」と言う謳い文句は、かなり客観的ですので、その言葉には一定程度の信頼性があります(*'▽')
そもそも、供給側と消費側との間の感情面の動きを捉えても、「面白いor面白く無い」は消費側が判断する事ですから、基本的に供給側が最初からそれを断言する事は僭越であり、宜しく無いと思います。
作者からの返信
読みやすいって、確かにわかりやすい基準ですよね。誰でもわかります。つっかえなくて、スムーズに読めれば読みやすい。
でもそこが終着点じゃないだろうっていうのが、ここの論点です。
客観的、主観的という考え方については難しいですね。
編集済
なろうとカクヨムへの応援コメント
こんにちは、南雲 千歳(なぐも ちとせ)と申します。
投稿サイト毎に、読者層の毛色が違っていると言うご意見は、全くその通りだと思います(*^_^*)
統計的な事を言えば、どの投稿サイトのユーザー集団であっても、その需要たるニーズや、供給たる作品の傾向には、やはり一定の偏りがあり、小説コンテンツの読者全体を代表する母集団では無いでしょう。
このカクヨムにおいて、単に作者が登録したタグ等で識別するのでは無く、ジャンル毎に個別ページを設けた方が良いのではとのご意見にも賛成です。
私はカクヨムが気に入ったので、「小説家になろう」では無く、ここを発表の場の中心とする事にしたのですが、ランキングなどを見ても、いかんせん、異世界物が異世界物を呼ぶ「異世界転生スパイラル」とでも呼ぶべき現象の真っ最中です。
そのストーリーと設定で、どうして異世界に転生し無ければなら無いのか……。
そんな作品までもが、まるで金太郎飴の工場でその製造工程を見学しているが如く、ものの見事に異世界物になっていて、驚嘆する反面、少しゲンナリとして仕舞いました。
なので、私の様な書き手は、実に肩身の狭い思いをしております(*'▽')
リアル大好き人間で、特に学園物の好きな自分としては、実にいたたまれ無い現状ではありますが、誰でも良いから多くの人に読んで欲しいと思っている訳でもありませんので、当面はここで発表して行こうと思います(*^_^*)
それでは恐縮ながら、応援させて頂きますo(*^▽^*)o~♪
作者からの返信
ありがとうございます。
この評論は皆さんのご意見で完成するものと思っています。
これからも一緒に考えていきましょう。
編集済
ウェブ小説の対極にあるものへの応援コメント
前の話に書かれていましたが、油布浩明様は公募の方のようですね。
WEB小説を様々なサイトで学ぶ以前は、公募を様々なサイトで学んだものでした。
どこかで読んだような話はダメ。オッドアイなんて出てきた時点でマイナス。第一声が「おはよう」なんてもっての外、なんて事まで書かれていたものです。
油布浩明様のご意見で、一つ判明したことがありました。
何で一作品だけ★が多い作者ばかりなのだろうと。
作者が買われているわけではない。作品が買われている。
残念な話です。
自分が気に入った話を書いた作者様の、他の話も面白いはず。私はそう思って他の作品も読みます。
作品からそう思ってもらえないというのは、作者側の力の足りなさなのでしょうかね。
基本的な3要素、プラスαは人を惹きつけます。
私もそうありたいと精進するとしましょう。
作者からの返信
公募の方というより、こういうウェブの世界を知らなかった訳ですよ。
プロフィールでも触れていますが、若い頃小説を書いていて限界を感じて辞めちゃって。それでカクヨムを始める半年前からまた書き始めました。
2作品ほど書いて、せっかくだから公募にでも出そうと思っていたら。ウェブで発表してもいい公募が多いようだったので、じゃあその前に反応を見たいな……と考えたのがきっかけです。
作者ではなく作品を買われている。
これは僕も衝撃でしたね。
カクヨムでも宣伝している竜皇杯。書籍化を経験した作者の作品をウェブで一部公開して投票で書籍化を決定する。作家として育てるどころか、その作品を売り出すかどうかの判断まで放棄しちゃってる。
テンプレ作品なら、中身は大差ないからそれでいいんでしょう。
悲しいことです。
ウェブ小説についてへの応援コメント
未だWEB小説というものが理解できない私であります。この世界に足を踏み入れて数か月、色々なエッセイや指南書の類の物を読みましたが、よくわかりませんでした。
そもそも、テンプレって何?
小説って、どこか他で読んだことあるような話は絶対にダメじゃないの?
と、公募オンリーだった私はショックを受けた訳です。
それが悪いことだとは言いませんが、少し寂しくも思えました。
そこから傑作はでるだろうか?
作者からの返信
これはひとつの考察です。
1年3か月前にカクヨムを始めたとき、僕もワケがわからず悶々としていました。
それから色々なエッセイを読み、他のカクヨム作家の人たちとも知り合って、半年くらい経った頃にまとめたのがこの評論です。
これが絶対の結論と思っている訳ではありません。興味や疑問を持っている方と一緒に語り合えたらいいと思っています。
読みやすい文章という違和感への応援コメント
ですよねー!!
って思いました。
文章じたいが魅力である作品というのも、たしかにあります。
キャラもストーリーも重要だけど、でも、「この文章をずっと忘れない」というくらいガツンとやられたことがあります。
下手な奴がごちゃごちゃ描写するより、描写放棄して会話中心にしたほうがずっとマシになる、とはよくいわれることですが、それは赤点を回避する方法であって、天を目指す方法ではないんですよね。
作者からの返信
小説を読んで、時間を忘れる。自分を忘れる。そんな小説が理想です。
文章を読み続けていたい。そう思わせるような小説を、本当はみんな求めているんだと思います。
読みやすい文章という違和感への応援コメント
スマホから読む人が多いせいかなーなんて思います。
紙と違って読み返すのもめんどくさいWeb小説は流し見しながらでも大体の物語が頭に入る書き方の方が人気が出やすいのでしょうね。
カクヨムを楽しもうへの応援コメント
>私には同人誌に見える
私もそんな感じでやってます。
最初はプリントアウトして友人に渡して読んでもらっていたのですが、遠方の人に読んでもらうのに、カクヨムを使えばいいのではないか、というすごく昔の人のようなことを考えて、カクヨムを始めました。つまり、プリントアウト&郵送の手間を省くため・笑)
中東の歴史物というマニアックなものを書いているので、その友人(カクヨムユーザーですらない)以外読む人いないかな?と思っていたのですが、全然知らない方からも読んでもらえ、結構びっくりしています。私の大好きな中国の詩人が好き、という人にも何人も出会え、昔の歴史・文学同人誌の世界みたいだ~っと、楽しくてたまりません。
歴史ジャンルはコンテストすらありませんが、こういう形でカクヨムの隅っこで楽しむのもいいなあ、と思う今日この頃です。
作者からの返信
サロメ様のページを覗いてみました。
他の方とは違った作品が並んでいて興味をそそられました。そういう方のページにふらっと訪問できるのが、同人誌としてのカクヨムの面白さですよね。
歴史小説は、書くのはともかく読むのは大好物です。
イスラム世界にも興味があるので、また、お邪魔させていただきますね。
読みやすい文章という違和感への応援コメント
>これは例えるなら、余計な線を省けばマンガの絵が見やすくなると言っているようなものだ
とても納得のいく表現です。
私はあまり異世界転生ものとかは読まないのですが、スカスカした文章と、わかりやすい文章は全然違うと思います。
>むしろ見えないからこそ永遠に世界が広がっていく
そう、まさに。
私が詩や小説を好きなのはこの点なのです。
好きな小説がドラマや映画になったとき、「広がりがなくなった」と感じてしまうこともよくあります。
カクヨムで面白いな、と思ったのは、マイナーな漢文の翻訳や紹介をやっている人が結構いることでした。トップページはテンプレものばかりですが、その人の専門知識を活かしつつ、漢文や中国史に興味のない人たちにも「面白い!」と思わせる「わかりやすい」文章を書いている人たちがいるのです。原文の漢籍の雰囲気を損なわず、情景が目に浮かぶような描写…web上にもこういうのがあるのか、と楽しくなりました。
作者からの返信
本文にもちらりと触れましたけど、多様性はカクヨムのもっとも魅力的な部分だと思います。
中国の歴史物とかも結構ありますよね。
書き手の立場なら勉強になりますし、読み手としても色々と楽しめるサイトだと思います。
読みやすい文章という違和感への応援コメント
これまで、文章を読む速度は
分速400~500文字といわれていた(らしい)。
それがWeb小説の場合には
分速1000~2000文字である……(らしい)のです。
つまりWeb小説の読者が行っている行為は
「読む」というより「見る」のほうが近いといえる。
だから本当は「この小説、見たよ」なのに
行為としては「読んだ」のだから、
コトバとしても「読みやすい」となる。
……という状況だと思うのですね。
ササッと軽くページをめくれて(≒時間をつぶせて)、
なんとなく物語世界を楽しませてくれるもの……
がWeb小説だとすれば、そこで必要とされる
「読みやすさ」の質も変わってくる。
と、私は思ってるわけです。
たとえば新宿で外人に道を聞かれて、
「僕に渋谷が行く」
と言われたとします。
そのとき、日本人なら誰でも真意をくみ取って
渋谷までの道案内をしてあげるはず。
「僕」「渋谷」「行く」の3語が示すものを
脳内で合成できるからです。
「僕は渋谷に行く」と
「僕に渋谷が行く」は、ほぼ同じ。
Web小説の読まれ方って、こんな感じだと思うわけですよ。
ぶっちゃけ、文法そっちのけでいいんです(笑)。
……マズいですよね? 私はマズいと思います(笑)。
とはいえ、カクヨムにも
「きちんとした作品」は多々あるし、
骨太の作品を書こうとしている作者も
大勢いらっしゃいます。
そういう作品に出会うというか、見つけ出すというか、
そんな楽しみ方ができるのも
Web小説の一側面ではないか……とも思います。
油布さん、興味深いエッセイをありがとうございます。
長文になってしまいました。お許しを<(_ _)>
作者からの返信
ウェブ小説が創作をする人間の目標になると、ただ読みやすい文章こそが完成形だと思ってしまう恐れがある。
もう、そういう傾向が顕れているんじゃないか。そういう恐れを感じたのでこの章を書きました。
食レポで、「この料理どうですか?」「うん、食べやすいですね」みたいな感じ。
表現力がなくてもいい。「美味しい」って言えないのかな。
カクヨムは作者ばかりへの応援コメント
はじめまして。色々考えさせてもらったので、恐縮ですがコメントいたします。
私も十数年ウェブ小説を愛好する者として、「なろう」をはじめ、様々なサイトの動向は逐一チェックしてきました。その上で見ていくと、作者と読者のバランスが崩れているサイトは長続きしないな、と思っています。
黎明期から今も続いている老舗サイトがある一方で、利用者不足などから消えていったサイトもあります。こういったサイトでは、作者側の方が利用者が多くなって、反応が作者側に伝わらなくなって、作者側が他のサイトに流れていった、という状況を何度も見たことがあります。
読者が不足する現象、これは、実は書き手(つまり物語の作者)と言うのはあまり本を読まないから、ではないかと思うのです。私はインプットこそ自分の表現の幅を広げると思っているので、ライトノベルは2000冊読みました。しかしラノベを書きたいと思っている人が集まるとあるサイトでそんな話をすると、ラノベを書きたい人が集まっているサイトなのにも関わらず全然ラノベを読んでいないのです。それどころか小説を読んでいないと言う人すらいる始末。要するに、承認欲求だけで小説を書いているので、純粋に物語を楽しもうと思っておらず、他人の作品にまるで興味を示さないんですね。こんな人、一人や二人じゃありませんでした。小説投稿サイトなのに自分の文章ばかりに酔って、他人の文章を読まないんですね。そのサイトでは、自分が小説を投稿する際には、他人の投稿作に感想を書き込まなければならないというルールがありましたが、それくらいやらないとこの書き手の偏重は解消しないのではないかな、と思っています。
ウェブ小説における書き手と読み手は完全に分かれるのではないか、と思うのです。なればこそ、もっと読者(読み専だけでなく、書き手と兼任でも可)を優遇する施策をやるとか、あるいは上述のように書き手は強制的に他者の作品を読まなければいけないとか、そういうルール作りも必要なんではないかと思うのです。
文章に共感することが多く、また自分も近況ノートで扱った題材だったので、長文になってしまいました。失礼いたしました。
作者からの返信
ご意見、ありがとうございます。
サイトでの活動では、すぎさんの方が圧倒的に先輩です。参考になります。
実は僕も公募目的で小説を書いていて、カクヨムに参加した当初は、勝手に誰かが自分を見つけて評価してくれればいいと思っていました。他人の作品などは読まずに放置して、たまにちらりと自分の作品の評価欄を覗くだけ。そんな感じで参加している人も多いかもしれません。
あまりにも作品を読んでもらえないから、自分から読んだらお返しに読んでもらえるかもしれない。最初はそういう不純な動機で他人の作品を読みました。
感想を書いたりレビューしてみたりして。
そのうち相互とかなんとかじゃなくて、単純に作品を通じて触れ合えることが嬉しくなりました。
カクヨムにはそういう繋がりがいっぱいあります。
今、こうしてコメントを返しているのもその喜びのひとつです。
この評論も、そんな仲間たちへの問いかけのつもりで書いています。
ウェブ小説の対極にあるものへの応援コメント
職業小説家と自他共に認められる人たちがどれだけいるのか。しかも生涯に渡って。
そもそもそれだけの覚悟がなければ踏み込めない世界だった気がします。作家になるって。
作者からの返信
敷居が下がるってことは、得られるものも少なくなること。そういうことだと思います。
これは自分が言いたいことであると同時に、自分を苦しめる言葉でもあります。でも正しくものを見ていたい。そう思って書いた文章です。
読みやすい文章という違和感への応援コメント
いいことを書きますね。その通りだと思います。
僕は、文章というものは漫画に例えると絵柄だと思っています。
世の中では画質うんぬん、作画うんぬんとかなんとか言っているわりに、文章に関してはその逆流が収まらない。
言葉が平均化しすぎて個性が感じられない時すらあります。
作者からの返信
そうですよね。
それがさらりと流されて、常識みたいになっていることへの違和感なんです。
ご意見、ありがとうございます。
読みやすい文章という違和感への応援コメント
確かに「スラスラ読めます」などの感想には違和感を覚えますね。小説ってそもそもアニメやマンガよりも集中しないとその作品が持つ魅力を理解できませんし……。前に一度流し読みしてしまった作品を読み直したら面白くて震えた、なんて経験があるので余計そう思います。
作者からの返信
読みやすい文章が、ウェブ小説の完成形、終着点になっているとしたら寂しいですよね。
ご意見をいただいて、嬉しいです。
なろうとカクヨムへの応援コメント
これ正に私が思ってたことと同じです!
カクヨムは運営の目的とユーザーの思惑が両極化している。それがなろう化と一部の人たちが主張している現象のせいであり、だけどユーザーの中でも求める作品(評価する作品)の傾向が両極化されつつあるのではと分析していました。
改善策までは思い付きませんでした。良いですね。
作者からの返信
奈月さんの近況報告を読んで、カクヨムやウェブ小説のことを僕と同じように悩んでいるんだと思って。僕なりの答えが伝えられたらと思ったのが、この文章を書き始めた動機でした。
本当は近況報告にこっそりコメントしようとも思ったんですが、メールにするには長すぎるし。誤解があってもいけないのでしっかり書こうと思ったら、こんな形になりました。
ウェブ小説についてへの応援コメント
そうでした。そうでした。
BL人気の勢いで次々とオリジナルBL商業誌が刊行され、二次創作で大手と目される作家さんたちがスカウトされて行きました。小説メインの雑誌にも字書きさん方が流れていきました。
正直、いいのか? って疑問を感じたのは、同人誌で発表したのをキャラクターの名前をオリジナルに付け替えただけの物。話の筋もオリジナル展開の作品ではあったけどキャラの人気ありきだったわけで、こんな使い回しってあるだろうか、と衝撃でした。
二次創作の元ネタありきの共通認識が、異世界物のテンプレ、お約束になるわけですね。私みたいな昔の人間には分かりやすいです。
作者からの返信
僕は歴史好き33なので、歴史の視点で考えました。
現状の分析や未来の予測にもっとも有効なのは、過去の類似事例にあたることです。
これってマンガの世界で一度あったことじゃないか。
そう思ってこれを書きました。
カクヨムは作者ばかりへの応援コメント
はじめまして、水ぎわと申します。
Webで3年ほど、書いております。
カクヨムは、書き手のための場だな、と思うと同時に
”男のための書き手、読み手”の場だな、と感じることも多いですね(笑)
だから、なろうと比較すると、
圧倒的にジャンルが固定化されます。
うまい書き手、という点では、カクヨムも、なろうも変わらない。
だとすると。
カクヨムのメリットは カドカワがバックについているという事なのですが…
書き手の数、作品数に対して
リアルにデビューして、続いている作家、作品数が
非常に少ない、とは感じます。
書籍化する数は多いのですが。
単発が多いのです……
これは、なろう、アルファポリス、エブリスタなどなどと比べた
個人的な感覚です。
カクヨムのメリットって
なんだろう、と。最近考え込んでいます(笑)
良いところですよ。だから3年、使っていますが。
カクヨムでないとダメだ、という利点は
あるんでしょうか?
クリエイター同士の交流、という点では
noteには 勝ててないと思いますしね…