読みやすい文章っていうのは、前提条件だと思うんですけれどね。あえて、読みにくくしているのでない限りは、読みやすくて当たり前なんじゃないかな?
だから、『読みやすい文章』なんて、褒めてることにならない気がします。到達点どころか、スタートラインなんじゃないのって?
とか言いつつも。私って、一文が長いから、読みにくい文章かもしれない。スタートライン以下じゃん! やべぇ★
作者からの返信
ここでも書いていますけど、それでいいと考えるのは底が浅いですね。文章の長さとか。セオリーに沿って書けば読みやすくはなりますが、それが全てではないはずです。
読み易い文章とは、書き手が想像している情景・状況を、読者全員が共有出来る事にある、と私は考えます。
同じ設定を想像して頂かなくては、物語りの感情移入が出来ないからです。
この要点については、いつも苦労致します・・・
妄想ではありません。
いつか、Web小説原作の作品、というヒット作が登場する事でしょう。
人気を博した分野からは、必ず時代の寵児が生まれる・・・
これは、今までの歴史が証明しています。
・・ただ、Web小説は現在、渾沌としています。
過渡期に移行するのは、もっと後ではないかと私は考えています。
何がファンタジーなのか? SFとの違いは?
自分が書いているジャンルすら分からず、ただ単に、異世界モノがファンタジーであると認識している人たちが闊歩・謳歌している間は、夜明けは遠いです。
作者からの返信
書き手が想像している情景・状況を、読者全員が共有出来る文章は、ただの読みやすい文章ではなく優れた文章です。この評論ではそう定義しています。
内容がわかればいい。あとは妄想すればいい。そんな浅いものが到達点とされてしまうことに、私は危機感を覚えています。
これについては、私のエッセイでも書きましたが、読者が求めるものが違うからだと思います。
そもそも「従来の形の小説」を求めていないので、単文で短文の文章が「読みやすい」と良しとされるのではないかと考えました。
「ゲーム文化」、言わば「画面の中の文字を読む」文化から生まれた評価ではないかと思えます。
その点で、こちらのコメントで蜂蜜 最中様が書いている「スマホで読んでいるから」という指摘は実は結構重いのかと思えます。
「なろう」の方で「2か月で書籍化した」という内容のエッセイを書いている方の戦略は「スマホで読みやすいように1話は1000字程度」というものでした。
そのあたりを読んで、スマホという媒体で読む場合に特化した文章というのが求められているのかもしれないと思うようになってきたんです。
もしかしたら、我々は今、グーテンベルグ以来……あるいは、下手をすると蔡倫以来のメディアの大変革期に居るのかもしれません。
ケータイ小説というものもあったように、新しい形、新しい時代の「スマホ小説」というようなものができつつあるのかもしれず、「なろうテンプレ」あるいは「Web小説」というのは、その嚆矢なのしれないと、あのエッセイに付けられた感想を読むうちに思うようになってきました。
作者からの返信
ここ、いろいろな考え方がありますよね。
新しいスタンダードが生まれているのか、ただのあだ花か……。
もし、それが新しいスタンダードなら、その中での進化とか差別化とかが必要でしょうね。もう少し、注意深く見る必要がありそうです。
編集済
こんにちは、南雲 千歳(なぐも ちとせ)と申します。
特にWeb小説において、何故「読みやすい文章」と言うキャッチフレーズが台頭するのか……。
それは、読み易いor読み難いと言う判断が、或る程度、客観的な基準で言える事だからであると思います(*'▽')
面白いor面白く無い、と言う判断は、十人十色と言う言葉が示す通り、かなり読者や視聴者、鑑賞者など、それを消費する側の主観に依存する物ですので、それが例えダヴィンチの絵画の1つ、「モナ・リザ」であったにせよ、1つの作品に対して、相反する反応をする人がいる以上、全員が面白いと感じる芸術作品など存在し得ません。
よって、コンテンツを提供する供給側としては、ジャンルやらストーリーの概要、キャラクターや舞台の設定など、なるべく客観的に断言出来る部分でそのコンテンツを紹介する以外に選択肢は無いのでは無いかと考えます。
「凄く面白い作品!!」と言うのは客観性が担保されておらず、言い換えれば真偽不明で怪しい言葉ですが、「(普通の人なら)泣けるストーリー!」ですとか、「全体が1万字以内でサクッと読める作品」と言う謳い文句は、かなり客観的ですので、その言葉には一定程度の信頼性があります(*'▽')
そもそも、供給側と消費側との間の感情面の動きを捉えても、「面白いor面白く無い」は消費側が判断する事ですから、基本的に供給側が最初からそれを断言する事は僭越であり、宜しく無いと思います。
作者からの返信
読みやすいって、確かにわかりやすい基準ですよね。誰でもわかります。つっかえなくて、スムーズに読めれば読みやすい。
でもそこが終着点じゃないだろうっていうのが、ここの論点です。
客観的、主観的という考え方については難しいですね。
スマホから読む人が多いせいかなーなんて思います。
紙と違って読み返すのもめんどくさいWeb小説は流し見しながらでも大体の物語が頭に入る書き方の方が人気が出やすいのでしょうね。
>これは例えるなら、余計な線を省けばマンガの絵が見やすくなると言っているようなものだ
とても納得のいく表現です。
私はあまり異世界転生ものとかは読まないのですが、スカスカした文章と、わかりやすい文章は全然違うと思います。
>むしろ見えないからこそ永遠に世界が広がっていく
そう、まさに。
私が詩や小説を好きなのはこの点なのです。
好きな小説がドラマや映画になったとき、「広がりがなくなった」と感じてしまうこともよくあります。
カクヨムで面白いな、と思ったのは、マイナーな漢文の翻訳や紹介をやっている人が結構いることでした。トップページはテンプレものばかりですが、その人の専門知識を活かしつつ、漢文や中国史に興味のない人たちにも「面白い!」と思わせる「わかりやすい」文章を書いている人たちがいるのです。原文の漢籍の雰囲気を損なわず、情景が目に浮かぶような描写…web上にもこういうのがあるのか、と楽しくなりました。
作者からの返信
本文にもちらりと触れましたけど、多様性はカクヨムのもっとも魅力的な部分だと思います。
中国の歴史物とかも結構ありますよね。
書き手の立場なら勉強になりますし、読み手としても色々と楽しめるサイトだと思います。
これまで、文章を読む速度は
分速400~500文字といわれていた(らしい)。
それがWeb小説の場合には
分速1000~2000文字である……(らしい)のです。
つまりWeb小説の読者が行っている行為は
「読む」というより「見る」のほうが近いといえる。
だから本当は「この小説、見たよ」なのに
行為としては「読んだ」のだから、
コトバとしても「読みやすい」となる。
……という状況だと思うのですね。
ササッと軽くページをめくれて(≒時間をつぶせて)、
なんとなく物語世界を楽しませてくれるもの……
がWeb小説だとすれば、そこで必要とされる
「読みやすさ」の質も変わってくる。
と、私は思ってるわけです。
たとえば新宿で外人に道を聞かれて、
「僕に渋谷が行く」
と言われたとします。
そのとき、日本人なら誰でも真意をくみ取って
渋谷までの道案内をしてあげるはず。
「僕」「渋谷」「行く」の3語が示すものを
脳内で合成できるからです。
「僕は渋谷に行く」と
「僕に渋谷が行く」は、ほぼ同じ。
Web小説の読まれ方って、こんな感じだと思うわけですよ。
ぶっちゃけ、文法そっちのけでいいんです(笑)。
……マズいですよね? 私はマズいと思います(笑)。
とはいえ、カクヨムにも
「きちんとした作品」は多々あるし、
骨太の作品を書こうとしている作者も
大勢いらっしゃいます。
そういう作品に出会うというか、見つけ出すというか、
そんな楽しみ方ができるのも
Web小説の一側面ではないか……とも思います。
油布さん、興味深いエッセイをありがとうございます。
長文になってしまいました。お許しを<(_ _)>
作者からの返信
ウェブ小説が創作をする人間の目標になると、ただ読みやすい文章こそが完成形だと思ってしまう恐れがある。
もう、そういう傾向が顕れているんじゃないか。そういう恐れを感じたのでこの章を書きました。
食レポで、「この料理どうですか?」「うん、食べやすいですね」みたいな感じ。
表現力がなくてもいい。「美味しい」って言えないのかな。
確かに「スラスラ読めます」などの感想には違和感を覚えますね。小説ってそもそもアニメやマンガよりも集中しないとその作品が持つ魅力を理解できませんし……。前に一度流し読みしてしまった作品を読み直したら面白くて震えた、なんて経験があるので余計そう思います。
作者からの返信
読みやすい文章が、ウェブ小説の完成形、終着点になっているとしたら寂しいですよね。
ご意見をいただいて、嬉しいです。
編集済
読みやすい文章、読みやすい段落分け、小説書いてると、そんなことをたしかに考えがちです。昔マンガを描いていたことがあり、なるほど、と思いました。読みやすければいい、という訳じゃない。そりゃそうですよね。
文字は音符、文章は楽譜、って思います。
分かりやすさもある程度大事ですが、響きや、そこからくるイメージを重視したいです。
作者からの返信
文章は楽譜。いい例えだと思います。
わかりやすく相手に伝わることは大事ですが、それはスタートであって終着点ではない。そこから広っていかないと……ということですね。