読みやすい文章という違和感

 カクヨムのレビューを眺めていると、文章が読みやすい。という評価が目につく。私はこれに、以前より違和感を覚えていた。


 読みやすい文章を書くことは重要だ。しかし、読みやすい文章と言っても色々ある。どうして一様に読みやすいという評価ばかりが目立つのだろうか。


 ただ、読みやすい文章を書くだけなら比較的簡単だ。そういう指南書も山ほどある。文章を短く切り、内容ごとに段落で丁寧に区切る。余計な描写を詰め込み過ぎないようにする。説明っぽくしないで、なるべくキャラクターに語らせる。会話文を多くする。それだけで、かなり読みやすくなるはずだ。


 しかし、こんな風に何行かで語れることが文章の到達点だとしたら、あまりにも文章というものは底が浅い。


 これは例えるなら、余計な線を省けばマンガの絵が見やすくなると言っているようなものだ。昨今では、マンガ作品にそのような批評が寄せられることは、同人誌レベルでも稀だろう。

 今のマンガを見てみよう。題材や作者の個性に合わせて、魅力的な様々な画風がある。


 ベルセルクのように書き込んだ高いクオリティーの絵があって、それが読みにくくない。マンガなんて読みやすいだけで、ただ読み飛ばすためのだけのものだ。そんな時代が大昔にあって、マンガは長い努力でそれを克服した。それが今、代表的な日本の知的財産として実を結んでいる。


 小説はどうだろう。

 マンガの暗い過去に、自分から首を突っ込んでいるのではないだろうか。描写を放棄しても、書籍化の際にはイラストがつくから問題ない。重厚な作品には対応できない文章でも、流行りの小説は決まっているから問題はない。それはあまりにも安易なのではないだろうか。


 魅力的な文章というものがある。

 小説を書いている人間なら、誰でも一度は出会ったことがあるはずだ。イラストがなくても目に浮かぶ。むしろ見えないからこそ永遠に世界が広がっていく。そんな文章だ。


 マンガは動かない。でもアニメより下ではない。動かない欠点が、逆に時間を自由に支配できる長所になる。


 小説は画像すらない。しかし時間も空間も、イメージだけでどこまでも表現することができる。


 ウェブで読む小説には、魅せる文章は必要ない。ただ読みやすさだけが求められている。そう語る人もいる。本当にそうだろうか。


 マンガが過去にそう揶揄されていたことを知っている者なら、いつかはそれを克服した素晴らしいものが生まれてくる。そういう時代が来る。そう思い、心から願う。

 それは妄想だろうか。


 


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