応援コメント

ウェブ小説の対極にあるもの」への応援コメント


  • 編集済

     江戸時代の将棋棋士天野宗歩さんとか、戦前の阪田三吉さんが全盛期時代の年齢の頃と、現代のプロ棋士とが戦ったら、どうなるか?
     並のプロ棋士と10戦して、おそらくは2勝8敗とか1勝9敗とかの成績になると思われます。10戦全敗も有り得るでしょう。
     これは彼らが活躍していた時代から、将棋の指し方(定跡)や戦法などが進歩しているためで、如何に実力があってもさすがに勝負にはならないのです。

     これは小説も、似たようなことがいえる側面があるんじゃないかな?
     SFでたとえると、星新一先生が活躍していた昭和の時代と今では、科学の水準がまったく違っています。
     当時は、ダークマターやダークエネルギーなんて言葉もなかったですし、冥王星が第九惑星であったり、ブラックホールなどの研究も充分ではなかったでしょう。
     私は、そのような現代の知識を踏まえて作品を書く場合、昭和のSF小説を圧倒しないとおかしいと考えています。科学の裏付けがはっきり違いますから。
     昭和には、スマートフォンもGPSもインターネットもなくて、AIなんかも現代とは比べるべくもなくて、今は無人の兵器が戦場を飛び回っていたりします。
     最強の戦艦大和も、攻撃機から発射された対艦ミサイル数発で沈んでしまうでしょうし。現在は『戦艦』という艦種はないそうです。海上でドンパチする時代ではない、と。そういうのは第一次世界大戦までで、第二次世界大戦では既に戦艦が主役ではなく、大型空母を駆使した航空戦力がそれに取って代わっていたのです。

     私は、平成に書かれたSF小説をほとんど読んでいないのですが、世界最高峰のSF作家と勝負出来るアイディアを持っているつもりです。そうでないとプロはめざせないとも思っています。

     さて、天野宗歩さんや阪田三吉さんが現代に転移してきて3年。彼らはどうなっているのでしょうか?
     おそらく、トップ棋士と互角以上の戦いをしているでしょう。3年あれば現代将棋を学んで対応出来るはずです。
     そうなれば、歴史に名を残す名棋士が弱い道理がないでしょう。
     ただ、時代の流れはどうしようもない。
     小説の分野にもよると思いますが、プロを目指す作家志望の人間は、平成の作品に負けてはダメだと思います。

     とはいえ、小説の世界では多くのアイディアが出されていて、新しい鉱脈を発見するのが難しいとも言えます。
     また最近、筒井康隆先生の『旅のラゴス』という作品を読んだのですが、『カクヨム作家とはレベルが違う』と思わされました。
     小説と一口にいっても、時を経て廃れるモノと輝きを失わない作品がありますよね?
     そもそも、人間の本質なんて紀元前から変わらない訳ですし。人間ドラマを中心に据えると、百年千年時を経ても色褪せにくい。
     つまるところ、小説って人間ドラマなんですよね。

    作者からの返信

     脱字を修正しました。ありがとうございます。

     小説については、技法にしても技術的な進歩(あるいは新しい発見)はあると思います。ですが、過去の作品の価値がなくなるわけではないでしょうね。例示した火星シリーズもSFの他の名作も面白い物は今でも面白い。これは間違いありません。

     筒井康隆先生がカクヨム作家と次元が違うのは当然です。そういう正常な感覚を持ち続けることが大切だと僕は考えています。

  • 至極妥当なご意見かと思います。

    その一方で「テンプレ」というのは、その原型が書かれて、多く支持されたからこそ「テンプレ」として成立するようになったわけです。

    その「原型」を書いた作家というのは、やはり偉大ではないのかなと思えるのですよ。

    というのも、例に挙げられているE.R.バローズの『火星シリーズ』。私はこれをWeb小説を始めてから、ほかの人に勧められて読んだんです。衝撃的でしたね。
    「これ『異世界トリップ俺Tueee!』そのものじゃん!」と。
    その前から「内政チート」はマーク・トゥエーンの『アーサー王宮廷のコネチカットヤンキー』が元祖じゃないかと思っていたんですよ。
    今の「Web小説」とか「なろうテンプレ」の原型って、意外に古いんだと。
    正に「年月を経ても失われない」ものなんだなあと。

    逆に言うと、そこまで支持されるものは、もはや「テンプレ」ではなくて「王道」なのかなとも思えます。

    そういう「原型」みたいな作品を描けるようになりたいものです。

    作者からの返信

     そうですね。「原型」にはオリジナリティーがあります。

     「テンプレ」をなぞって製造した作品にはオリジナリティーはあまりありません。オリジナリティーのある作品には、ただ最初に書いたとかじゃなくて特別なエネルギーみたいなものがあるような気がします。

  • うっ、ラストの一行、カ…カッコイイ (ノ∀`)

    作者からの返信

     書籍化作品の作者と小説家、違うと思うんです。
     書籍化したのに、またスタートラインに立たされる。それって実力を認めてもらっていないということですよね。それが常識化するってどういうことなんでしょう。


  • 編集済

     前の話に書かれていましたが、油布浩明様は公募の方のようですね。

     WEB小説を様々なサイトで学ぶ以前は、公募を様々なサイトで学んだものでした。
     どこかで読んだような話はダメ。オッドアイなんて出てきた時点でマイナス。第一声が「おはよう」なんてもっての外、なんて事まで書かれていたものです。

     油布浩明様のご意見で、一つ判明したことがありました。
     何で一作品だけ★が多い作者ばかりなのだろうと。
     作者が買われているわけではない。作品が買われている。
     残念な話です。

     自分が気に入った話を書いた作者様の、他の話も面白いはず。私はそう思って他の作品も読みます。
     作品からそう思ってもらえないというのは、作者側の力の足りなさなのでしょうかね。

     基本的な3要素、プラスαは人を惹きつけます。
     私もそうありたいと精進するとしましょう。

    作者からの返信

     公募の方というより、こういうウェブの世界を知らなかった訳ですよ。
     プロフィールでも触れていますが、若い頃小説を書いていて限界を感じて辞めちゃって。それでカクヨムを始める半年前からまた書き始めました。
     2作品ほど書いて、せっかくだから公募にでも出そうと思っていたら。ウェブで発表してもいい公募が多いようだったので、じゃあその前に反応を見たいな……と考えたのがきっかけです。
     
     作者ではなく作品を買われている。
     これは僕も衝撃でしたね。

     カクヨムでも宣伝している竜皇杯。書籍化を経験した作者の作品をウェブで一部公開して投票で書籍化を決定する。作家として育てるどころか、その作品を売り出すかどうかの判断まで放棄しちゃってる。

     テンプレ作品なら、中身は大差ないからそれでいいんでしょう。
     悲しいことです。

  •  職業小説家と自他共に認められる人たちがどれだけいるのか。しかも生涯に渡って。
     そもそもそれだけの覚悟がなければ踏み込めない世界だった気がします。作家になるって。

    作者からの返信

     敷居が下がるってことは、得られるものも少なくなること。そういうことだと思います。

     これは自分が言いたいことであると同時に、自分を苦しめる言葉でもあります。でも正しくものを見ていたい。そう思って書いた文章です。