『コピーは、オリジナルを超えられない』
これは、創作をする人にとって、絶対に理解しておかなければならない真実だと思っています。 二次創作を趣味としている人も、オリジナルに拘る人も。
そもそも、私には、二次創作の醍醐味を理解する事が出来ません。原作の設定をしている時こそ、ワクワクするものだと思うのですが・・・?
設定の全てが『現存』する以上、展開は、状況変化のみに限られます
創造性の無い創作は、やがて息詰まる事でしょう・・・
まあ、何に創作の醍醐味を見い出すかは、人それぞれですが。
作者からの返信
そもそも二次創作って言い方が、どうなんでしょう。
創造性の無いものを創作と言っていいものかどうか……。
あえて言うのなら、パロディーとか連想とかですよね。
価値とは受け取り手が決めるものですから、需要がある以上はコピー作品にもそれなりの価値があるとは思います。ただ、概念としてはしっかりと分けておくべきではないでしょうか。
ここのご指摘は、正にその通りかと思います。
ただ、これについて言えば「使い捨て」の娯楽はすべからく、その傾向があるかとは思えます。
「ライトノベル」について言えば、十年前の作品で生き残っているものは稀少です。
推理小説のトリックについては生き残るものもあるかもしれませんが、時刻表トリックのようなものは簡単に時代遅れになります。
時代風俗を描いたものは古くなるのはしょうがないかなと思ったりもします。
歴史小説こそ変わらないかと思えるかもしれませんが、最近では「桶狭間は奇襲ではなかった」「長篠の鉄砲三段撃ちは無かった」みたいな研究も出てきていたりして、古くなってしまうものがあるかと思います。秋山信友が秋山虎繁だったりとか、人名についてもかつて標準だったものが変わってしまったりすることもあります。
ただ、本当の名作はそんな細かい部分の古さは乗り越えて時代を超えて愛されるものだとは思います。E.E.スミスの『レンズマン』って非常に古いんですけど、ガジェットの一部をリニューアルすれば現代でも通じるほど面白いんですよ。
書くなら、そういうものを目指したいなあとは思います。できるかどうかは別ですけど(笑)。
作者からの返信
単純に時代の古さが合わなくなっているものは、リメイクしたときに修正しただけでも面白さは変わりません。
逆にその時代があって、初めて面白いとされていたものはリメイクしてもダメでしょう。
普遍的なものと、そうでないもの。時代で評価が違ったとしても、似て非なるものだと思います。
編集済
油布先生の考察は素晴らしいです。
>弱点とは常に利点と表裏一体のものだ。
これは私も常に考えています。
具体的にいうと、私は文章……、特に描写が絶望的に下手なんだけれど、それを最大の武器にしてライトノベル作家デビューを目論んでいるんですよね。詳しくは文章論のところで書きます。
クトゥルフ神話でしたっけ? まったく読んだことはないんですけれど。
あれって、オリジナルの作家っていないんじゃなかったかな?
複数の作家が書いて、世界観を作ってるんですよね?(違ってたら、ごめんなさい★)
興味はあるんだけれど、手を出すには至っていない。
オリジナルの舞台、作りたいですぅ〜。
『鬼狩り神三郎』は、独自の世界観の構築に成功してます。
オリジナル部分は、おそらく。
①鬼神に身体の一部を食わせて、契約をする。
②人の身体を食べた鬼神は、それと同じ質量分の身体が、こちらの世界にくる。
③自分(あるいは近い関係の人)を食わせた人間は精神的優位に立ち、鬼は契約に拘束される。
④陰陽道の術によって、式神の能力に差が出てくる。
……などでしょうか? この基本設定が、『女神様によってチート能力を与えられる』みたいなお手軽なものではなく、チカラを得ようとすれば大きな代償を支払うことになる、ということで絶妙に生きています。
面白いです。凄惨で覚悟の物語であるのにも関わらず、コメディ的要素もあって、八咫烏さんが実に良い仕事してます。作品内がぴりぴりしてないので読みやすい。
ただ、最新話に追いついちゃったので更新待ちがね〜★
作者からの返信
先生はやめてね。自分が偉い気持ちになると終わっちゃうから。
弱点と利点の話。例えば逆に描写が上手かった場合、描写ばかりに目が向いてストーリーがお座なりになることがあります。描写はあくまでストーリーを語る手段なのにね。そういうの、多いですよ。
『鬼狩り神三郎』の話。整理していただいて嬉しいです。
僕は自分に何がどこまで書けるのかを確認したいと考えているので、今までカクヨムで発表した作品は全部毛色が違います。SFショートショート、ハイファンタジー、ギャグ込み連作短編、一人称ハードボイルドファンタジーですかね。伝奇は初めてです。自分の力量ギリギリの所で書いてますが、難しいですね。