第4話

娘に聞かれない様にと、寝室に鍵をかけて、妻は小さな箱を取り出した。

「これ、お隣の奥さんから……あの……犬が持って行ってたみたい」

箱を開けると私は言葉を失った。

そこに居たのはファーちゃんだった。いや、今娘と部屋で会話している方のファーちゃんではない。

私が初めて家に買って来て、娘と友達になった最初のものだ。

しかし、その様子は酷いものだった。

歯型にあわせて禿げた体の毛はべったりと体に張り付き、木の葉の欠片や枝がこびりついてた。

土に埋めてあったらしく、土埃が酷い。

片方の瞼は壊れたのか閉じられたままだ。

「……故障しているのか?」

妻は首を振ってファーちゃんを人差し指で押す。途端にファーちゃんから言葉が漏れる。

「ナニ~?」同時にファーちゃんの瞼がカタカタと動く、私は思わず身構えた。

「完全に壊れては無いの。センサーはおかしくなっているみたいだけれど、充電スタンドに置いたら、まだ動くみたい」

「どうする?」と私は妻に恐る恐る聞いた。

「あの子はもう新しいのをファーちゃんだと思ってるわ。古い方は見せない方が良いと思うの」

「私もそう思う。会社に連絡して引き取ってもらおう」


私は直ぐに電話をした。新しい人形を送ってもらったが、古い人形が出てきてしまった。どうすれば良いのか。私の質問に担当者は明るい声で答えた。

「お客様のIDは新しい方に引き継がれましたのでご安心下さい。ああ、古い方は処分していただければ」

「処分? といわれても」

「お住まいの自治体の区分にしたがっていただければそれで十分です」

私はしばらく考えた。反応が無いのを見て、担当者が続ける。

「つまり、廃棄していただければ宜しいです。まあ要するに……ゴミですね」その言葉に一瞬心がざわつく。

「あ、その……引き取ったりはしてくれないんですか? その、不要になった人形を」

「当社としてはそのようなサービスは承っておりません」

「じゃあ、サービスを停止する時はどうやって……」

「お客様。当社が提供するのは、電子ペットとのふれあい、コミュニケーションです。

人形はただの入れ物に過ぎません。電子ペットの記憶、それから個性などは全てネットワーク上に存在し、それは不滅です。決して『死ぬ』ことはありません。だからそれはただの不要物です。廃棄されて一向に構いません」

苛立ちすら感じる、あまりにドライな言い分に私は混乱した。確かに担当者の言葉は正しい。

本物のファーちゃんは今、二階で娘と一緒に遊んでいる方だ。

段ボール箱の中で壊れかけているあれはただのバージョン違いの不要品だ。

であるならば、廃棄しても問題は無いはずだ。

しかし、何かが私の心に引っかかっていた。


電話を切って私は、壊れかけのファーちゃんを手にとった。ふと電源を探してみたが、見当たらなかった。

「ペットの電源が入ったり消えたりすることの方が不自然」だと言う妻の言葉を思い出した。その言葉は正しい。

ならば、電源が入ったままのペットを捨てることは自然なのか。


「どうだった?」と妻が聞いた。

「捨てろってさ」

「あらそうなの。じゃあ捨てましょう」妻は怖いほどあっけらかんに言った。

「君は変だと思わないのか?その……人形を捨てることにさ」

「確かに……ちょっと嫌だけれど、新しい人形がもうあるんだもの。仕方ないじゃない。それにそれ……汚いし」

「そんなこと言っても」

「じゃあ、ずっと置いておくの? あの子が見たらショックを受けるわ。大体そのファーちゃんの記憶も、癖も、全部新しいファーちゃんに受け継がれているじゃない」

「そうじゃなくて……思い出が詰まった物をそんな簡単に捨てるのは……」

「思い出が詰まっていても、捨てるときは捨てるわよ。服だって古くなったら捨てるでしょ? そんなものよ」

「だって……」私はファーちゃんの瞼を見た。片方しか開かない瞼が微かに動き、プラスチックの眼球が私達を見つめる。

「……生きて動いている」思わずその言葉が口から出た。言った後に随分と馬鹿馬鹿しいことを言ったものだと自分でも思った。

「おかしなことを言うのね。それは錯覚よ。それは生きていないわ」

錯覚。確かに錯覚だ。この動きの後ろにはただの数式があるだけだ。妻の様な理論整然として、しっかりとした人間が、組み立てた数式とルールが存在するだけだ。だけれど、それはあまりにも良く出来ていて……

人形は瞼を軽く動かしながら「アァアァ」と何かを呟いた。


「例えば猫が死んでいるとして」私は言葉を切った「お墓を作ってあげるだろ? ゴミ箱には捨てない」

「お墓なんて作っても、唯の不法投棄になるだけじゃない」

私は静かに首を振った。妻の言うことは正しい。反論は不可能だと自分でもハッキリと解る。それでも心が動くのは、妻の言うとおり、私は錯覚しているのだろう。これ以上は無理だと確かに悟った。

「……ああ、解ったよ。君の言うとおりだ。これは生きてないんか居ない。とっとと捨ててしまおう」

私は自分の感情をすっと押し殺してそう答えた。

「ええ、そうしましょう。あの子に気が付かれないようにしないと。どうするの? ゴミ捨ての時にそれが喋ったら、それだけでおしまいだわ。電源は切れないの?」

「それがついてないんだ」

「じゃあ、壊してから捨てましょう。金槌で壊せるかしら?」

「多分」そう言って私は工具箱をしまってある棚を開けた。


金槌はいつもよりずっと重く感じられた。

私はそれを妻に渡す。

しかし、妻はそれを受け取らなかった。

「嫌よ。貴方がやって」

「僕だって嫌だ。君は生きてないと先ほど言ったね。だったら君がやってくれ」

「だけど……」妻は口を閉ざした。

妻の態度に私は内心腹を立てた。でもその気持ちも理解できた。

私たちはどちらも、この人形に魂なんて無いことを知っている。魂と呼べる存在は、ネットワーク上の、コンピュータ上に存在していて、こいつはただの、二階に今いる新しい個体の不完全な過去の姿に過ぎない。

それは解っている。でも、私以上に理論整然と考える妻でさえ、嫌だという感情は強いのだ。

でも、二人のうち、どちらかがやらないと、何も進まない。

私はため息をつくと、金槌を構えた。


一呼吸おいて、目をつぶると、金槌を振り下ろした。

鈍い衝撃と共に「イタイ」と声がした。

じっと自分に言い聞かせる。これは生きてなんか居ない。衝撃をセンサーが感知して、反応を返しているだけだ。そこには痛みも恐怖も有りはしない。

隣の妻が、私の体にじっとしがみつくのが解った。妻も怖いのだ。

金槌を何度か振るったが、一向に壊れる気配はなかった。何しろ子供向けの玩具だ。丈夫さには気を使っている。

「ヤメテ」

「ヤメテ」

無機質な声が何度も繰り返される。私の心臓は早鐘を打って暴れまわる。

「ヤメテヤメテヤメテ」

無機質な音声と、金槌の衝撃が何度も続き、遂に私は手を止めた。

「ドウシテコンナコトスルノ」人形の声が響き、私は奥歯を噛み締める。

「だめだよ。これは壊せない。頑丈すぎる」

「どうするの?」

「明日。ゴミにだそう。その間、君は二階であの子を引き止めていてくれ。その間に私がなんとかする」

「そうね……」と妻が少し青い顔でつぶやいた。


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人形は三重にした袋の中に入っていた。

私はそれを手に取ると、玄関のドアを閉め、ゴミ収集車に向かって近づいていく。


何も悪いことはしていないのだが、後ろめたい気持ちから体の後ろに袋を隠す。

運転手に軽く会釈すると、私は人形が入った袋を、そのまま収集車のプレス機構の中に入れた。


運転手はイヤホンで音楽を聞きながら、機械を操作する。

たちまち、大きな音を立てて、機械が動き始める。

ゴミの塊を押しつぶす巨大な金属板が上からジリジリと下がっていく。


これで全てが終わった。そう私が思った時、機械音に混じって、人形の声が聞こえてきた。私は心臓を鷲掴みにされたような気分を味わった。

「ヤメテヤメテヤメテ……」

「アアアアアアア、アアアアアアア、アア゛アアーッ」

小さな機械とは思えない絶叫だった。それは本当に玩具が出していたのか、それとも私の罪悪感が生み出した幻聴なのか今となっては確かめる術はないが、地獄の底から聞こえてくるようなその声に私は背骨がそのまま氷に変わってしまったような悪寒を覚えた。

隣の運転手は次のゴミ袋を片手に、イヤホンから流れる音楽に合わせて軽く体を揺すっている。

ゴミが軋む音が響く。

私はこの瞬間が早く終わってくれと神に祈った。

必死に自分は何も悪いことをしていないと自分に言い聞かせても、全身から嫌な汗が吹き出し、吐き気に襲われる。

やがて、その声が聞こえなくなった時、私はほっと胸をなで下ろした。

「あんた大丈夫? 顔色悪いけど」

そう運転手が私に聞く。

「いや、大丈夫だよ。少し、体調が悪いだけだ……そう朝からちょっとね」そう言うと、私は家の方に足を向けた。

これで全てが終わった。全てが元通りだ。娘の事を思い出すと、幸せになった。


家の前から娘が走ってくるのが見えた。手には人形を抱いている

「オハヨー」と人形が喋った。私はその玩具に挨拶を返した。

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電子ペットは滅びない 太刀川るい @R_tachigawa

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