第3話

「今日はびっくりするようなことがあるよ」数日後、家に帰るなり、私は娘に小さな包を差し出した。

「ほら、ファーちゃんだ」娘の目が驚きで丸くなる。

娘はぽかんとした顔で包みを破る。そして、そこから出てきた新しいファーちゃんを持ち上げ、信じられない物を見るように、しばし動きを止めた。

ファーちゃんは外の光に機械仕掛けのまぶたを瞬(しばた)かせた。

私はその様子を満足気に眺めた。これでいい。これで全てが解決した。そう私が思った時だった。娘の表情が強張るのが解った。


「ファーちゃんじゃない」

「え?」娘の言葉に私は思わず聞き返した。

「これはファーちゃんじゃない! ファーちゃんはどこ?」

「ボクハココダヨ?」

「違うわ、貴方はファーちゃんじゃない!」

「何を言ってるんだ? ファーちゃんじゃないか!」私は思わず大きな声を上げた。娘が何を言っているか解らなかった。

「違う! 違う!」娘は泣きそうな顔でそう繰り返した。


私はどうしたらいいか解らずに、思わずファーちゃんを娘から取り上げた。

娘に何が違うのか問うことも出来たのかもしれない。でも、まだ小さい娘は答えることが出来ないだろう。言葉に出来ない違和感を、娘はその顔で、そして声の調子で、訴えていた。

私は、ただ、同じ言葉を繰り替えすことしか出来ない。

「そんなこと言ってもお前、これはファーちゃんだよ」

「パパには解らないんだわ!」

そして、娘は自分の部屋へと戻ってしまった。


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「困ったわね。あの子、ファーちゃんが同じだって認めないの?」

「ああ、そうなんだ」

部屋から出てこない娘について、妻と私はリビングで話をする。

妻は大げさにため息をつくと、こう続けた。

「だって、データを上書きしたんでしょう? だったら同じものなんでしょ」

私はじっと静かに考えた。思い当たる節がある。

少し間を置いて、私は口を開いた。

「小さい頃、お気に入りの毛布があったんだ」

「それ、貴方の話?」

「ああ、そうだ。なんて言ったらいいのかな。ただの毛布なんだけれど……とにかくそれを気に入ってた。持ち歩いたりはしなかったんだけれどね。毛布というものは不思議なもので、使えば使うほど体に馴染んでくる」

「靴とか……自転車みたいな感覚かしら」

「そうだね。それに近いのかもしれない。自分の体に合わせてすり減ってくるんだ。こう、丁度自分を取り巻く世界を自分に合わせて加工していくような、そんな感じだよ」

「解らなくもないけれど……」

「だから、毛布には思い入れがあって、それを捨てられた時に悲しくて無いたんだ」

「お気に入りの物を捨てられたってこと?」

私は静かに首を振る。

「いや、それよりは、どちらかというと毛布が可哀想で泣いていたと思う。擬人化っていうのかな。毛布自体への愛着が強くて……そうだね。あの時の私には、毛布は友達だったのかもしれない。焼却炉で焼かれていく毛布を思い浮かべて、ずっと泣き続けたんだ。新しい毛布を買ってもらっても全然嬉しくなかった」

「私はそういうことはなかったけれど……ぬいぐるみが無くなった時と同じような気持ちかしら」

「うん近いかもしれない。だからそういうものだと思う。大人から見れば同じ大量生産品でも、あの子にとっては世界で1つだけのオリジナリティを持った存在なんだ。だから、同じ商品を買ってきても、あの子には同じと認識できなかったのかもしれない。あの子が一緒に遊んだ毛並みも、間違って汚してしまった染みも、モーターの劣化具合に起因する癖も、何もかも無いんだから」そういって、私は箱に収まっている新しいファーちゃんをちらりと見た。

「確かに……頷ける話ね」

「だったらどうすれば良い?」

「きっと……メーカーの人に相談するのが良いと思うわ。この手の問題はきっとあの子だけじゃないだろうし」

「そうだね」と私は妻の言葉に頷いた。単純な方法だが、それが一番確実に思える。

「私は他の家の人にも聞いてみるわ。同じような年の子供が居る人だったら何か良い方法を知っているかも」

「ありがとう。助かるよ」

時間はもう遅い。サポートセンターも閉まっているだろう。連絡は明日にして、私たちは寝ることにした。


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「おとなりの奥さんに聞いてきたわ。こういう時はこう言うんだって『人形は今旅をしているんだ』って」

次の日、仕事から帰ってきた私を妻はそう言いながら出迎えた。

「それで?」

「それで旅先からの手紙を書いてあげるのよ。今日はどこどこ、次の日はどこどこみたいに人形に旅をさせるの。そして最後に新しい人形を渡すんだって。旅をしていたから、少し様子が変わっているって。そうするとショックが少なくて済むって。そう言ってたわ」

「随分と古典的な手法だね」

「でも効果的じゃない? 貴方の方はどう? サポートセンターの人はどう言っていた?」

「何も」そう言って私は首を振った。

「こういうことは良くあるらしい。でも、数日で大体収まるから心配しないで良いって言ってたよ。見た目が変わったけれど、中身は変わっていないと言うことを納得させれば、後は時間の問題だと言っていた」

「そんなに上手くいくのかしら?」

「解らない。でも、それが一番確実な方法だって言ってたよ」

「どう納得させようかしら?」

「入院して暫く休んでいたから、毛が生え変わったとか、そういうのじゃダメだろうか?」

「それは……どうかしら……? でもそういう言い方しか無いのかも……」

「じゃあ、そうしよう。ファーちゃんは外に出た時に車にぶつかって、それで今まで入院していたって。中身はどうせ一緒なんだ。いくつか質問させれば、きっとあの子だって同じだって解ってくれるよ」


思いの外、その考えは上手く行った。娘は……ファーちゃんと称して全く違う物を渡されたショックから、大分疑り深くなっていたけれど、二人しか知らない質問を何度か繰り返すうちに、次第にその新しい人形がファーちゃんだと認識し始めたようだ。

数日もしないうちに、娘はまたファーちゃんに夢中になった。

妻と私はすっかり安心し、その様子を見守っていた。これで本当に全ては解決したのだ。


少なくともその時は、そう考えていた。


ある日家に帰ると、妻が真剣な顔で私を呼び出した。

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