どこでもドアの原理の一説で「肉体情報が光速で転送されて目的地で再構成されると同時に発信地の肉体は分解消去することで転送を模している」というのがありますが、
ならばそれはドアを潜る度にその人を殺しているのと同じではないか?
という哲学問題を思い出しました。
どちらかというと直感的で感受性の高い旦那さんは機械人形のことを「生きてる」と表現するのに対して、奥さんのは基本的に淡白。
そんな奥さんの最後のシーンにおける人形への反応が興味深かったです。「不気味の谷」を超えたものは、頭では機械だと思っていても感覚的にはもはや生物と同じとしか感じられないのでは…と思わせる物語でした。