黒髪少女とアフタースクール
午後の授業も寝ずに終えた僕は教室で帰り支度をしていた。引き出しを整理していると一冊のハードカバーの本を見つけた。確か、剛に勧められて図書館で借りた本のはずだ。内容は、研究者の道を目指していた主人公が家業の町工場を継いでロケットの部品を生産して何かする話だったはず。あまり記憶にないので読破してないのだろう。
本を開くとやっぱり紙が57ページのところに挟まっていた。貸出期限はとっくに過ぎていた。しおり代わりの紙は返却の催促状だった。
非常に面倒だが催促状の日付からひと月経っているのでさすがに申し訳なく思った。僕は二階の図書館に向かうことを決めた。
階段を下りながら斐は事件について考えていた。
一つ目の事件の女子生徒の自殺は犯人を目撃した人物がいたらしいが単なる噂なのでほぼ自殺とみて間違いがないだろう。しかし二件目の男子生徒集団自殺はあまりにも不自然すぎる。
話によると、男子生徒たちの死因は全員首吊りによるもので、死体は三つある個室のドアに付いてる荷物掛けに掛けられたロープに首を通して、一体ずつぶら下がっていたらしい。単なる自殺のように見えるが、首吊りに使われたロープには誰の指紋も一切ついていなかったらしい。
この点に僕は違和感を覚えた。自殺をする人間がこんな凝った隠蔽工作をするのだろうか、と。
しかし、当時の警察は少しおかしいな程度にしか思わなく、深く考えなかったらしい。その結果、男子生徒たちの死は集団自殺とされた。
本当にただの奇妙な自殺なのだろうか、誰かがあらかじめ男子生徒を殺して自殺に見せかけたのではないのか、一件目の事件と二件目の事件に本当に関連性は無いのか、などと頭の中でいろいろなことを考えていると
「斐君」
背後から女性の声がした。その声は清流のように澄んでいて穏やかな声だった。現実に引き戻された僕は集中していて、気付かぬうちに二階の階段を降りようとしていた。
声のした方向に振り向くと、艶のある黒髪のミディアムヘアにたれ目、餅のように白く柔らかそうな肌の制服を着た女子生徒がとっ、とっ、と階段を下りてこっちに向かって来てる。
呼びかけられたがそれを無視して、図書館に再び向かった。
「ちょ、ちょっと待ってください! ねぇ、斐く…きゃっ!!」
ドスッ
何かが落ちた音がした。振り返ると、さっきの女子生徒が倒れていた。
「いてて…。あっ!ひどいですよ斐君、無視するなんて!」
「……」
女子生徒は倒れたまま僕に向かって怒っている。
「あっ、また無視ですか」
違う、と僕は面と向かって言いたかったが、言えなかった。みだらな幼馴染の姿を直視することはできない。仕方なく僕はそっぽを向きながら言った。
「
「へっ?」
そう言われて、千弦は自分の姿を見る。すると、白色の肌がみるみる紅潮していき、今にも燃え上がりそうだ。チェックのスカートは大胆にめくれ、その下に隠れていたパンツが惜しげもなく露になっていた。救いだったのは僕と千弦は知り合いで、この場に僕ら以外がいなかったことだろう。
「見ましたか」
「いや、見てない」
僕は即答した。しかし、
(信じてもらえないだろうな……)
その証拠に僕の視線は宙をさまよっていた。
「なにか、僕に御用でしょうか」
僕はかしこまった口調で目の前の少女。
「特に用があったわけではありませんけど…」
千弦は、ぼそっと小さな声で言った。目には今にも零れ落ちそうなほどの涙が貯められていた。
「そうか」
僕は短く返す。会話がうまく続かない。
僕たちは、とりあえず落ち着いて話せる場所として僕の用事もあったので図書館に来ていた。二人で図書館にある木目の丸テーブルに向かい合って座った。図書館の人たちの好奇心と驚きの視線が向けられる。喧嘩したカップルにでも見られているのだろうか、はたまた一方的に僕が泣かせたと思われいるのかもしれない。なぜなら、男の方はバツが悪そうにきょろきょろとして、女の方は今にも泣きそうだからだ。
気まずい雰囲気が続く中、今度は千弦から話しかけてきた。
「剛君と一緒じゃないんですか」
「あぁ、あいつは今部活中だよ」
「野球部ですか」
「いや、なんか野球よりバスケのほうが女にもてる、って言って今はバスケ部だよ。まぁ、あの長身と長細い手足はバスケには最適かもな」
「剛君らしいですね」
ふふっ、と千弦は小さく上品に笑った。その笑いに僕はほっ、とした。
薬師千弦とは剛と同じで幼稚園からの付き合いだ。彼女はこの辺では有名な歴史ある神社の娘で成績は優秀、上品でかわいらしい顔立ち、おっとりとしていて人当たりの良い性格で運動音痴。校内では五本の指に入るほどの男女ともに人気の高い人物である。今では「薬師チヅル親衛隊」など言われる非公式ファンクラブができていている。
「おまえは今日は部活ないのか」
「えぇ、火曜日は茶道部も料理研究会もオフの日なんですよ」
「そうなのか。それより全く知らなかったな、お前が部活やってるなんて」
「4月のクラス替えから全く話しませんものね」
「あぁ、剛になんか久しぶりに会って話したよ」
「斐君と剛君の教室は端っこ同士ですからね」
それから僕らはクラスメイトのことや先生のこと、部活のことや最近起きた出来事とかを話し合ったり聞いたりして、それぞれの日常を共有しあった。
気づけば図書館の中には生徒は僕らしかいなくて、外の太陽も沈み始めていた。
「あら、もうこんな時間なんですか。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいますね」
と千弦は言った。まだまだ話足りない、といった様子だ。
「じゃあ、そろそろ帰るか」
「迎えの車が来ているんですけど、斐君乗ってきますか」
千弦の家はお金持ちなので、平気で家にお手伝いさんがいる。いつもの僕ならお言葉に甘えて家まで乗せてもらうところだが、今日は何となく一人で帰りたい気分だった。らしくない自分に君の悪さを感じつつも今日はそんな気分だった。
「今日はいいや」
「そうですか。わかりました」
「じゃあな」
と言ったが、すぐに返事が返ってこなかった。
「どうした」
不思議に思ってそう聞いた。
「あの。……その最後にあれを見せてもらえませんか…」
と千弦は申し訳なさそうに答えた。最後の方は小さくて聞こえなかった。あれと言われてすぐに僕は思いつかなかったが千弦の表情からピンときた。
「あぁ、あれか。あのことならもう気にしなくてもいいよ」
そう言って僕はバッグの中から留め金のない水晶のような宝石で装飾された金属の腕輪を取り出し、千弦に渡した。
「いや、でも」
「立ち話もなんだから、玄関まで歩きながら話そうか」
「いつ見てもきれいですね。銀のベルトに水晶みたいなのが七つ飾られているだけのシンプルなデザインなのにどうしてこんなに惹かれるのでしょうか」
そう言って千弦はそれを不思議そうにうっとりした目で見ている。
「そんなにいいならやるよ」
「そっ、それは、ダメです!絶対に、だって…」
と言って千弦の顔には元気がなくなる。
昔から変わらず優しい奴だな、と感心し羨ましく思った。
「大切なものですから斐君にとって」
「そうだな」
しばらく二人は喋らなかった。まわりの自然の音、日常の音は静寂に包まれていった。空間を満たしていく静寂は二人の心の間に見えない薄氷の壁を作り上げる。その壁を壊すのはいたって簡単だが、それを拒み恐れるものがいる。それは男の方か、女の方か、あるいは両方なのか、分からない。しかし、本人たちはもちろん分かっている。
僕らは黙ったまま玄関に向かった。二階から玄関までは大した距離ではないのにとても長く感じられた。さっさとこの沈黙を破ってしまいたかったけど、それは何かが壊れるような気がして、僕は話し出すのを躊躇していた。
玄関で外履きに履き替え、玄関のドアに手をかけたとき
「斐君。はい、これ」
沈黙を破ったのは千弦だった。僕はひどく自分が情けないと感じた。千弦の手にはさっき渡したバングルが握られていた。それを受け取ると
「今日はとっても楽しかったです。また、お話ししてくださいね。」
とにっこり笑って、校門前に止まっている高級車に向かって走っていった。
僕もドアを開けて外に出る。五月の風は少し肌寒かった。
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