そこはキュビック

 部屋には二人。テーブルを挟み、向かい合うようにソファに座っていた。

 一人は中肉中背で割と整った顔立ちのどこにでもいそうな青年。もう一人は人目を惹く銀髪と抜群のプロポーションと相手を常に威嚇しているような鋭い目つきが特徴な女性だ。

 青年はどうしてかひどく憔悴していた。何かに悩んでいる様子だった。対して女性はけろっとした顔をしている。

 しばらく黙っていたが青年のほうから話をし始めた。その声は疲れ切っていた。

 『えーっと…。もう一回確認させてもらってもいいですか』

 『あぁ、いいぜ。何度でも答えてやるよ』

 女性は答える。対してこちらは、はきはきとした声だ。

 『まず、僕がトラックを引かれる直前に見た紫色のガス状の物体は幻覚ではなかったんですね』

 『そう。お前が見たのは紛れもなく現実で、おまけにそれは魂状態のオレだったわけだ』

 『それで、僕をあの事故から救ったのはあなたですか』

 『いやぁ、あの時はびっくりしたな。体に入ったと思ったら、いきなりお前と意識が入れ替わって、その時にはもうすでにお前はトラックってやつに吹っ飛ばされて宙を舞っていた。だが、オレは焦らずにほんのわずかな滞空時間の間に受け身の姿勢をとった。おかげで体はほぼ無傷、多少の擦り傷があるだけだ。よかったな』

 女性は意気揚々と楽しげに話した。

 『……』

 青年は顔をしかめている。解せない、といった様子だ。一呼吸置き、再び話し始める。

 『それで、あなたは誰にも見つからないように僕の記憶を頼りに二駅先の僕の住むアパートまで歩いて行ったんですね』

 『そうだ』

 『家に着いたあなた。いや、はベッドで眠りについた』

 『正確に言うならと言うべきかな』

 女性は強調して言った。

 『それも魔術ですか』

 青年は尋ねる。訝し気な目をして

 『いや、魔術なんて大仰なものじゃねーよ。意識のONとOFFは基本中の基本技術だ』

 『そして、今あなたの意識と僕の意識はOFFの状態なんですか』

 『そうだ』

 『今、確かにこうやって喋っていても』

 『今、確かにこうやって喋っていてもだ』

 『……』

 『……』

 しばしの沈黙。互いに一切視線をそらさない状態が続く。

 沈黙を打ち破ったのは再び青年だった。青年は部屋全体を見渡してから、女性のほうを向き言った。

 『この白を基調にした質素な部屋は本当に僕の心の中なんですか?バレナさん』

 『間違いなく、カイ、ここは心の中だ。オレたちは意識が実体を持って存在することができる人間の心の中の空間のことをキュビックと呼んでいる』

 女性は断言した。

 この時青年と女性はこの会話の中で初めて互いのことを名前で呼び合った。青年の名はカイ、班目斐。女性の名はバレナといった。

 


 何度も繰り返される同じ会話に僕はうんざりしていた。

 『バレナさん、いい加減僕をからかうのはやめて、本当のことを言ってくださいよ』

 『からかう?オレがいつおまえをからかったって言うんだ。オレはさっきからずっと事実しか言ってないぜ』

 ほら、また同じ。よくも一言一句間違えず同じことが言えるもんだ。思わず感心してしまう。多分、僕がバレナさんの言っていることを一切信じないように、バレナさんも自分の意見を突き通すという固い意志の表れなのだろう。

 二人の会話は永久に交わることのない平行線のようだった。どちらかが譲歩するしか終わらないように思えた。

 (ここで、譲歩なんかしたら今までのことがすべて泡となる。大体、魔術やなんてフィクションの世界にしか存在しないものだ。バレナさんは多分、アニメやそういう類の本に影響受けすぎたイタイ大人なのだろう。だから、ここで負けてはいけない)

 と決意を新たに終わらぬ戦いに挑もうとしていた僕に、出鼻をくじかれたようなことが起きた。

 『仕方ねーな。ここが心の中だってことを証明してやるよ』

 『へっ?』

 虚を突かれた僕は間抜けな声をあげた。今、なんて言った。

 『だから、このままお前と話を続けてもらちが明かねぇからな、ほら、立て』

 そう言って、バレナさんは僕たちの間にあるガラステーブルを軽くまたいで目の前に立った。嫌な予感しかしなかったが、僕は言われるがままに立ち上がった。

 どうも僕はバレナさんに逆らえない。それは威圧的な眼差し《まなざ》のせいか、目上の人には決して逆らえない性分なのか、それとも僕がただ単に女性に弱いだけなのか、結局のところ定かではない。


 『じゃあ、始めるぞ』

 とバレナさんは指をぽきぽきと鳴らしながら言った。まだ何も説明を受けていないんですけど、と言おうとしたとき、そんなことはお構いなしに唐突にみぞおちへ鋭い右アッパーが放たれた。

 『ぐぅぇ』

 今までに出したこともない、カエルが車に轢かれたときに出しそうな声が出た。 間髪入れずに、顔面に左ブローがはいる。左へ倒れこみそうになる体を真っすぐに起こすように今度は脇腹へミドルキックが入る。次に顔、みぞおち、脇腹に流れるようなコンボが見事に決まる。

 それから数分間、僕は倒れることが許されないままサンドバッグのように殴打され続けた。普通なら失神。いや、死んでもおかしくないのにも関わらず不思議と意識は明瞭としていた。

 打撃の颶風ぐふうがおさまると、流水のようにバレナさんは僕の右腕を掴み、背負うような形で肩に担ぎ、勢いよく体を回転させガラステーブルへと投げた。見事な一本背負いが決まった。


 『いたたっ……って、あれ?痛くない』

 どういうことだ。確かに僕は今、ガラステーブルに叩きつけられたはず。それなのに、全くと言っていいほど無事だった。さらに、数十分間にもわたるサンドバッグ状態の跡が一つもない。骨折も内臓破裂もあざも出血も全くない。

 呆然としている仰向けの僕をバレナさんは手荒く起こした。

 『証明その一。って言っても、まぁこれはあまり重要じゃないんだけどな』

 『重要じゃないんかい!』

 思わず突っ込んでしまった。らしくもない。でも、たいして重要でもないのに人をあそこまでボコボコにするか。常人の行いではない。

 『で、どうだった。私の攻撃のオードブルは』

先の一連の攻撃がオードブルだったという事実に身の毛のよだつ思いだが、素直な感想を述べた。

 『全く効きませんでした』

 『効かなかっただと。じゃあ、次はメインを食らわせてやろうか』

 バレナさんの鋭い目がさらに鋭く凶悪的なものになり、再び構えをとる。

 何かまずいことでも言っただろうか。慌てて弁明をしようとするが、口がうまく回らない。余計に慌ててしまう。

 すると、構えを解くとバレナさんは突然、笑い出した。僕はまたもあっけにとられた。

 『冗談だよ、冗談。お前もやっぱりまだ子供だな、カイ』

 ニヤニヤしながらバレナさんは言った。少しイラっとして、何か言おうとしたら遮るようにバレナさんは喋り始めた。

 『さっきの続きだ。まず、キュビックには現実世界と違って、欠落しているものがいくつかある。カイが痛みを感じなかったのはキュビックには痛覚がないからだ。他にも暑さとか寒さとか冷たさも感じられない。それに臓器や骨や血も存在しない。これがキュビックの特徴の一つ目だ』

 手首を触ってみると確かに体温が感じられなかった。それに、脈も動いていなかった。

 『だからこんなことをしても』

 そう言って、バレナさんは僕の右肩に手刀を振り下ろした。すると、腕はボトリと床に落ちた。腕の切断面は生々しい血肉ではなく、マネキンのように滑らかなプラスチックのようだった。

 僕は絶句した。恐ろしさよりも驚きでだ。

 『きれいに切れたなぁ』

 バレナさんは自分の腕前に感心したように、僕の腕を見ている。

 『あの、どうするんですか』

 『何が』

 『僕の腕ですよ』

 『治んねえよ』

 『えっ、嘘!?』

 『ウソ』

 くそっ、からかいやがって。

 『さてと、分かっただろ。この世界はお前が生きている現実世界と違うってことが』

 『本当にどうするんですか、僕の腕』

 『さぁ、次が本番だ。行ってこい』

 バレナさんは僕の質問をまともに取り扱ってくれなかった。

 それに何だ、行ってこいって。この部屋にはドアが一つだけ。まさかその先へ行けということなのか。

 すると、バレナさんは僕の胸ぐらを掴んで持ち上げて、ドアの方へ放り投げた。

 空中で何の抵抗もできないまま僕はいつの間にか開いていたドアへと吸い込まれるように入った。

 ドアの先は奈落のように暗く、先の見えない穴だった。落ちていくうちに意識は薄れていった。

 


 目が覚めると、仰向けで寝ていた。しかし、先までの白で統一された奇妙な部屋とは違い、懐かしい感じのする部屋だった。

 体を起こすと、納得した。ここは僕の部屋だ。だが、いつ僕は部屋と部屋を移動したのだろうか。確か、ドアに放り投げられて、暗い縦穴へと落ちたはずだ。そして、だんだん意識が薄れていって。

 『おーい。戻ったか』

 回想していると、バレナさんの声がした。あたりを見渡すが、部屋には誰もいない。

 『この家にはいねーよ』

 また、声が聞こえた。このとき、普段と違う聞こえ方に違和感を覚えた。なんというか、脳に直接語り掛けてくるような感じだ。

 『いい線いっていると思うぜ』

 まるで、僕の心の中を見透かしたようにバレナさんは言う。ん?心の中だって?

 「まさか」

 『ご明察。そう、オレは今、お前のキュビックにいる。お前の心の声は筒抜けだよ』

 そんなバカな、そしたら僕のプライバシーの権利はどうやって守られるんだ。

 いや、違う。重要なのはそこじゃない。勢いに呑まれて、危うく信じ込みそうになっていたが心の中に何て行けるわけがない。

 何か仕掛けがあるに違いない。今までの出来事の全てにおいて。正体不明のグラマラス外人女性も痛覚を感じなかったのも腕から血が飛び出さなかったことも。それこそ、非現実的な思い込みだが、そうでないと理屈が通らない。そうでないと世界の均衡が破られる。そうでないと僕のアイデンティティが崩れ去ってしまう。

 『まぁ、そう簡単には信じてくれねーわな。てめぇは筋金入りの現実至上主義者っぽいからな。だから、賭けをしようぜ』

 ここは身を引くべきだった。少なくとも条件だけでも聞くべきだった。そうすればこの先起こる事件に巻き込まれずに済んだかもしれない。だが、この時の僕は極端に未知の存在に恐怖していた。

 恐怖は人の判断力を鈍らせる。

 「いいでしょう。なんでも受けて立ちますよ」

 『言ったな。もしお前をと現実世界を自由に往来させたら認めろ。キュビックも魔術も。現実として受け入れろ』

 「代わりに、バレナさんもそれができなかったら金輪際、僕には関わらないでください」

 と僕は一人しかいない部屋で強く言い放った。

 対するバレナさんは不敵と自負に満ち溢れた声で言い放った。

 『いいぜ。見てな、これから魔術ってやつを見せてやるよ』


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 


 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 



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