運命の糸に導かれ

  さっきまで橙色にあたりを照らしていた夕陽はもう体の半分近くを地平線にうずめていた。

 駅前は学校帰りの他校の生徒や買い物帰りの人達でそこそこ賑わっていた。

 僕は駅前の交差点で信号が変わるのを待っていた。周りの人たちはスマホでゲームや友達とLINEをしたり、音楽を聴いたりしている。僕は上空に浮かぶ警備用ドローンBIEを見ていた。


 ドローン警備とは僕が生まれる10年前―2025年―から日本に本格的に導入された次世代警備システムである。

 それは赤外線カメラ付きAIを搭載した自律型ドローンを24時間巡回させ不審な動きがあれば警察に報告したり、必要ならば自ら犯人を追跡するものだ。

 システム導入までには法整備や墜落事故や国民の安全といった様々な課題があり、システム導入までには多くの時間を要したが導入後は着実に犯罪件数を低下させていき、7年後の2032年には日本全地域に導入された。今では企業や個人でも警備ドローンを設置しているところもある。

 そのためドローン業界では熾烈な開発競争が起こった。その中で圧倒的な他社との技術力の差で競争を制した企業があった。

 それは「アームズテック」というアメリカの今年で創立5年目のドローンメーカーだ。

 アームズテックの警備用ドローンはあらゆる点で勿論トップクラスの性能を持ち、その中でも飛行時間は当時の平均の1時間を大幅に上回る8時間と他社と比べて群を抜いていた。そのため日本の空を飛ぶ警備用ドローンの多くはアームズテックのものである。

 今、斐が見ているのはアームズテックの最新型ドローンBIEである。

 僕はこのアメンボが逆さに向いたようなフォルムの浮遊物体を見るといつも嫌な気分になる、球状の胴体に潜む全方位のカメラから人間が見ているような生々しい視線を感じるのだ。本来の職務とは別に何かを探しているような感じだ。

 しかし、そのつや消しブラックのそいつは僕の気持なんかお構いなしに上空をうろつく。まぁ、僕も自意識過剰なのかもしれない。

 

 「きゃーーーー」

 突然、空気を甲高く震わす悲痛に満ちた絶叫が鳴り響いた。

 直後、目の前にいた一人の女性が崩れ落ちるように地面にへたり込んだ。女性は震える指をさしながら涙まじりの声で叫んだ。

 「誰か、うちの娘を助けて!!」

指のさす方は横断歩道の真ん中だった。

そこには信号が赤にもかかわらずどこかの幼稚園の制服を着た少女が糸でがんじがらめにされたかのように硬直していた。そして、横からはトラックが突っ込んで来ている。

 トラックの運転手は少女の存在にまるで気づいてない様子でスピードが緩まる気配は全くない。

 母親は顔を手で覆いわんわんと泣き続けている。

 少女の顔は死の恐怖によりひきつっていた。

 周りにはさっきの悲鳴を聞いて、野次馬がぞろぞろと集まっていた。無駄に騒ぎ立てたり、興奮したりする者もいれば目の前の出来事に呆然と立ち尽くす者、自分に全く関係ないのに泣き崩れる者などいろいろな感情で溢れかえっていた。

 ただし、その場に少女を助けに行く者は一人としていなかった。だからといって少女に死んでほしいと思っていたわけではない。他の誰かがやってくれる、誰もがそんな他力本願な気持ちで少女の生還を願っていた。


 この時すでに運命の糸は確実に彼を捕縛し、運命から逃れられないようにしていた。すなはち、これから彼の身に起こることはただの偶然ではなく、必然なのである。そしてそれはプロローグに過ぎない。しかし、本人も仕掛けた人も周囲の人もこのことは知らないし結末も知らない。だからこそ運命は美しく劇的なのだ。

 

 僕は周りを人に囲まれ、その場から脱する機会を失っていた。

 (ったく…面倒なことに巻き込まれちまったな)

 思わず舌打ちをしそうになったが、一人の人間が死ぬかもしれないという状況だということを思い出してやめた。しかし僕はもう助かるのは無理だ、と諦めていた。僕は少女に冥福の祈りをささげようと手を合わせようとした。

 その時、僕の右手は意思に反して外側に向き、あろうことか横の女性を思いっきり押したのだ。女性は驚いた様子でこちら見る。驚いたのはこっちだと言いたかった。

 今度は左手が勝手に動き出し横の同じ男子高校生を押し倒した。僕は睨まれたのですみません、と謝った。両足も動き始め僕は乱暴に力づくに人をかき分けて前へ前へと進んでいった。

 何度も動きに逆らおうとするが無意味だった。まるで誰かに操られているような感覚だ。

 一番前まで来ると少女とトラックの間隔は約20mくらいになっていた。そして、僕はようやく謎の力から解放されたと思いきや、それもほんの束の間で再び体の制御が奪われ、意思に反して少女の元へ全力で走り始めていた。

 手と足の動き方が普段と違って、ひどく気持ち悪い感じがした。

 常識の範疇を超えた不可解な現象に僕はもう何がなんだか分からなくなり、なるようになれという投げやりな気持ちになっていた。

 

 少女の元にたどり着くと再び手足が自由になった。少女の視線はトラックに釘付けで僕が来たことに気づいていない。

 トラックはもうすぐ目の前に迫って来ていて、僕は死を覚悟した。 

 しかし、一向にトラックは来ない。実はもうとっくにひき殺されていて、今までのことは全部過去の出来事で、幽霊という非現実的な存在となった僕の回想なのかもしれないと思った。

 そうではなかった。

 つむっていた眼を開けると先刻まで猛スピードで走っていたトラックがカタツムリくらいの速さになっていた。周りを見渡すとあらゆる動きがスローモーションになっていた。これがいわゆる“走馬燈のように走る”ということなのだろう。だけど、普通こういう時には家族や友達との思い出とがダイジェストで流れるはずなのに、流れなかった。まさか、僕にはそんな思い出は無いのか。そう考えるといろんな人に申し訳なく悲しくなった。

 この時間は決して長くは続かない、と本能的にわかった。

 だったら今僕が最もするべきことはなんだ!

 不思議なことにスローモーションの世界の中で僕だけは普段と同じように動ける。少女の服を掴んで僕は思いっきり引き寄せて、そのまま後ろに投げた。後ろに車がないことはさっき確認済みだ。

 一連の動作を終えると疲労感に襲われた。力が抜けて倒れそうになったが何とか踏ん張った。視界の外側から黒いもやが少しずつ迫って来ていた。意識が朦朧としてきた。

 とうとう、僕も終わりだ。まぁ、やるべきことはやっただろう。

 その時、狭まる視界で淡い紫色に輝くガスのような物体を捉えた。

 ついに、幻覚まで見えるようになったのか。

 まさに横を通ろうとするそれを何気ない気持ちで掴もうとする。

 『おいっ!!てめえ、邪魔すんな!』

 あぁ、幻聴まで聞こえた。本当に終わりが近づいてるらしい。

 それは意思を持っているかのように僕の手から逃げようとした。しかし、その動きは僕には遅すぎた。動きが変化する直前を見切って、僕はそれに触れた。

 その瞬間、体の中に何かが入り込んで、隅々まで広がる感覚がした。

 『やめろぉぉぉぉぉ』

 またも幻聴が聞こえた。そこで、僕の意識は消えた。

 猛スピードのトラックは今にも倒れそうな少年を正確にとらえた。「ミシッ」と生々しく何かが軋むような鈍い音がした。

 

 

 

 

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