運命の仕掛人
私は死んでしまいたいと思うくらい退屈と心の渇きに苦しめられていた。
本部からは何の連絡もないし、あのむかつく上司は「後処理が大変だから」とか言ってあんまり“実験”をやらしてくれない。いい加減に我慢できない。
私は仕事をさっさと終わらせて駅前の交差点で信号が変わるのを待っていた。相変わらずこの時間帯は人が多い。私がこの町に来てから全く変わらない日常の光景なのだが今の私には有害以外何物でもないのである。
足音、喋り声、服の擦れる音、呼吸音が私に嫌というほど人間を知覚させる。
「あぁ、殺したい殺したい殺したい……」
ブツブツ何か言う私を隣の人は不気味なものを見るような目で見る。
気を紛らわすために私は職場で会った男の子たちのことを考えてた。
一人は私に話しかけてきたメガネのノッポ君だ。「お綺麗ですね」、「何歳ですか」と手慣れたナンパ師みたいにグイグイ話しかけてくるなれなれしい感じが気持ち悪かった。
しかし、私はそんな素振りを一切見せずあくまで普通の優しいお姉さんを演じた。途中で、私は仕事を理由に話を打ち切った。「また話しましょうね」と彼が元気よく言ったので、「うん、そうね」と私も嫌な気持ちを見せないように愛想よく返事をした。
もう一人は中肉中背で割と整った顔立ちをしていた子だ。彼とは一度すれ違っただけで話したりはしてない。外見はいたって普通なのに何かとてつもない可能性を秘めている感じがした。
その可能性とは私や私の同僚達のような
考えている間に信号は変わってなかった。今日は一段と時間の流れが長い気がする。故障でもしてるんじゃないかと少し疑った。
すると、前のほうのどこかの幼稚園児がバッ、と勢いよく道路に飛び出した。母親は「ちょっと、待ちなさい」と呼びかけるが、幸いその時は車は一台も通ってなかったので母親も特に心配していなかった。
巡ってきたチャンスに、彼女はニヤリと悪魔のような歪んだ笑みを浮かべた。
そして、彼女は肩にかけている大きめのトートバックの中から一組の手袋を取り出した。それは高級そうな黒色のメンズ用ガントレットレザーグローブであった。 この季節にこんな厚手の手袋はどうかと思うが彼女は何の躊躇もせず手にはめる。前腕の半分を覆うほどの大きさの手袋は色白で華奢な手にはあまりにも不釣り合いだった。
「うふふ、この感じ」
私は久しぶりの感触にうっとりする。そして十分味わうように手を何度も何度も握ったり開いたりを繰り返した。
彼女が準備している間に、少女はもう横断歩道を渡り切ろうとしていた。
「簡単には渡らせないわ」
と少女に語り掛けるようにやさしく呟いて、私は一瞬だけ目をつむった。頭には死の恐怖に戦慄する少女の顔や、絶望のどん底に叩き落されたかのような母親の様子が浮かんでいた。鮮明なその姿に私は興奮のを感じずにはいられなかった。
そして、すぐに別のことを想像する。これはあることをするのに大切な所作の一つなので疎かにできない。
すると、彼女の両手が薄い白色の
左手の手のひらを少女に向け、人差し指、親指、薬指、中指の順に動かす。それに対応して少女の右足、右腕、左足、左腕が動く。不自然な少女の後ろ歩きに周りの大人たちはざわめきだした。
そして、横断歩道の真ん中まで少女は戻されそこで静止する。少女は訳が分からないといった様子で今にも泣きそうだ。
「はい、完成♪」
私は仕上げとして左手をギュッと握りしめた。少女の動きは石像のように固まった。 少女は苦しそうにうめく。その姿を見て少し満足するが全然足りない。
その時、遠くからこっちに向かってくる一台の大型トラックを視認した。
私は抑えつけていた衝動がむくむくと膨れ上がっていくのを感じた。そして麻薬の中毒症状のようなのどの渇きと体の震えが起こった。本部も上司も関係ない。私は自分のしたいように動く。私に快楽を!
「殺す」
彼女はボソリと呟いた。その声はひどく冷たかった。
俺は高校を卒業してすぐにトラック運転手となった。元々、勉強が嫌いだったから大学に行こうとは思わなかったし、両親も別に反対はしなかった。トラック運転手になった理由は特にない。働いてお金がもらえるならどこでもいいとさえ思っていた。
しかし今、俺は後悔していた。
ネット通販の拡大で運送料は増加の一途を辿り、さらに、再通達を気軽に頼むお客により通常業務が滞る。長時間労働に少ない休暇。割に合わない給料に入社二年目でもう心身ともに疲労困憊だった。
今日もいつも通り激務に追われ、トラックを走らせていた。
外の景色を見ると駅前は昔とほとんど変わらなかった。俺が学生の頃も学校帰りは駅前で遊んだな。ただ若干、車の往来が少ないなと感じた。
次いで、ハンドルを握る自分の手を見る。細く枯れ木のように節くれ立ったその手は今の生活を象徴している。
高校生のときも特別健康だったわけでもないが卒業して一人暮らしを始めて食事はコンビニで済ますようになり、仕事の疲労ストレスや不規則な生活は体をボロボロにしていった。
(あぁ、死にてぇな)
いつからか、いつもこのことばかりが頭に浮かぶ。
「っが!?」
突然、首が何かに締め付けられた。キリキリと気道がすぼまっていくのが分かる。だんだん息が苦しくなってきた。これは人間がやっているとしか思えないほどの力と正確さだ。だが、運転席には俺以外に誰もいない。
首に巻き付くなにかを振り払おうとするが、ハンドルから手が離れない。両手も見えない何かに押さえつけられている。
(あぁ、俺死ぬのか)
俺は抵抗をやめ、そのまま意識がなくなるのを待った。なぜか、涙が頬を伝って零れ落ちた。
(やっぱり、俺し…)
そこから先は覚えてない。
「……よし」
運転手の意識が落ちたことを確認し、硬く握りしめていた右手を緩める。後はトラックの進路方向を補正して、少女に照準を合わせるだけ。
久しぶりに魔術にめまいがする。けれど
(今はまだ気づかないでしょう。あのトラックが突っ込んでくるなんて)
この先を想像するだけでゾクゾクしてしまう。思わず笑みがこぼれそうになるのをこらえる。
トラックはぐんぐんスピード上げて向かってくる。ようやく異常な事態を察した周りはざわざわとする。
間もなく、少女の母親の悲鳴が聞こえた。悲鳴に集まってきた野次馬たちも加わり、その場は感情のるつぼと化した。人々の口から発せられる不揃いなノイズは、私には一流のオーケストラが奏でる名曲のように聞こえた。
だが、まだ足りない。まだ私の心は潤わない。
また、私は一つ思いついた。
私は再び、魔術を創造する。
そして、白く
親指、人差し指、中指、薬指を動かすと操り人形のように青年はぎこちなく歩き出す。魔術で人間を動かすのは集中力と魔力を使う。視界はぐにゃぐにゃに歪み、呼吸が荒くなる。それでも指を動かしながら、青年の後に続き、歩き始める。
集団の最前まで来ると私は一旦、四本の指を動かすのをやめ、少女を拘束するために握っていた拳を開き、すぐさま青年の四肢の関節に魔力を放つ。そして、合計八本の指で青年を恐怖でおびえる少女の元へ走らせる。
(やっぱり、まだあの御方の足元にも及ばないわね)
両手の指をいろいろと動かす彼女は異様だったがこの状況において、彼女に注目する者はいなかった。
トラックが青年と少女の目前に迫ったところで私は魔術を解いた。
私は急激な魔力の消費で意識が朦朧とするなか、すぐ訪れるその瞬間に胸を弾ませていた。
(少女を助けようと走った青年。だけど、その思い虚しく砕け散り、二人とも死亡。そして、それを見た人々はどんな声を上げるのかしら、どんな表情をするのかしら。想像するだけでたまんないわ)
「!?」
しかし、予想外のことが起きた。
トラックが衝突する直前、青年の顔の付近が新緑色にうっすらと光った。すると青年は少女の襟首を掴み、後ろに投げた。そして、右手を振りながら体勢を崩して、轢かれた。
トラックはガードレールにぶつかり停止した。
母親は少女の元へ駆け寄って愛おしそうに強く抱きしめる。その光景に吐き気を催す。
野次馬は悲鳴を上げるが思っていたものとは違った。
(ちょっと予想外のことは起きたけど、まぁ一人殺せたからいいわ)
そう思った直後、私は不自然なことに気づく。轢かれたはずの青年の死体はどこだ。あたりを見渡すが死体どころか血の跡すら現場に残っていない。つまり青年は死んではいない。
(まさか)
ふと、事故直前の新緑色に光る青年が頭をよぎる。ふつふつと腹立たしさが沸き起こった。
「許せない」
渇きはより一層増し、心は干上がっていた。それを潤すには何人殺しても足りない。そう、あの青年を殺すしかほかない。
「殺す」
その声は冷たく燃える炎のようであった。
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