賭けの結果はいかほどに
いかんとも理解しがたい、これが斐のバレナの魔術講義に対する感想だった。マギアとかIMAGINE回路とかマーリン派って、未知の言葉が多すぎて、別世界の話をしているのかと思う。斐は頭の中で講義内容を
『どうだ、わかったか』
「なんとなく分かりましたけど、用語の意味はさっぱり」
『おお!!オレの説明が分かったのか。昔から仲間に「バレナの説明は解りにくい」って言われてたから解らなかったらどうしようか、ひやひやしてたんだ』
斐の頭の中で、バレナの朗らかな声が凱歌のように鳴り響く。
『メカニズムを理解したなら話は早いな。正直、マギアとか用語の意味はどうでもいーからな。ここから先は理屈より感覚で覚えていく。習うより慣れよ、だ。まず手始めに…』
「ちょ、ちょっと待ってください!さすがに急すぎます。僕にも心の準備が必要です」
勝手に次のステップへ進もうとするバレナさんに待ったをかけた。何か嫌な予感がしたからだ。ただもしかすると、大魔女のバレナさんには予感なんてものはとっくにお見通しなのかもしれない。
『そんなもん必要ない。それにお前の心にいるオレは準備万端だぜ』
「いや、そういうことじゃなくて」
『わかったぞ。オレの説明を聞いて、今にも魔術を学びたくてウズウズしているんだろ。そこで弟子と師匠の間に温度差があったら今後の関係に支障をきたすから自分の興奮を抑えよう、って考えだな。そこまでの配慮ができるとはさすがオレの見込んだ弟子だぜ。いいぜ、少し待ってやるよ。ただし、少しだけな』
「誰がアンタの弟子だ!興奮が抑えきれていないのはあんただろ」
『いやいや、照れんなって。オレの弟子になれるなんて光栄だぞ。それに何と、お前は一番弟子だぞ。よかったなー、誇りに思えよ』
全然人の話を聞いていない、この調子の良さや猪突猛進していく感じはあの数学教師と似ている。それに大魔女という立場にありながら一人も弟子がいなかった事実に不安を覚えた。どうか意図的に取らなかったであって欲しいと思った。
「バレナさん」
『ん。準備はもういいのか』
「いや、ちょっと疑問に思ったことなんですけど質問してもいいですか」
『いいぜ。師匠が何でも聞いてやるよ』
ニヤニヤしたバレナさんの顔が浮かび、少しイラっとした。
「僕って、どうやってIMAGINE回路を発現させるんですか」
『ちゃんと聞いてなかったのかよ。さっきも説明しただろ。だからIMAGINE回路を発現させるには2通りあって……』
「その二通りのやり方って不可能じゃないですか。一つ目の方法は僕にはありえないですよね。二つ目の方法は誰が僕に魔術を浴びせて、IMAGINE回路を誘発するんですか」
『あー、そういうこと。さっき説明した二通りの方法はあくまで一般的な話。でもお前は一つの体に自分の魂と大魔女バレナ様の魂の二つを内包している。だから、オレがカイの体の主導権を握って、オレがIMAGINE回路を開ける。多分できるだろう。そうそうキュビックの行き
自分の体にはにわかに信じがたいが魔術の達人の魂が存在する。斐は改めてそのことを実感した。そして、バレナさんが他人のIMAGINE回路を発現させることはプロのレーサーがノーカスタムの市販車を運転するのが造作もないのと同じことだろう。
「じゃあどうして魔術の説明をしたんですか」
必要もないことをずっと話していたのにはなにか意図があったのであろうか。
『魔術について知っていたほうがこれから起きるだろうことに受け入れやすいかなと思って』
意味深な暗示めいていることを言った。これから僕の身に不吉なことでも起こるのだろうか。ただ、特に気にもならなかったので詳しく追及しなかった。
『じゃあ、これから初歩中の初歩の技術でキュビックの行き来のレッスンを行う。今度は待ったなしだからな』
「僕は何をしていればいいんですか」
『楽にして待ってろ』
そう言われたら仕方ない、楽に待つことにしよう。
街はすっかり闇の中に沈み、灯は点々と立っている街灯のだけだ。壁に掛かっている時計の短針はもうすぐ明日を告げようとしている。
斐は自分が制服のままだといまさら気が付いた。ところどころに土で汚れている箇所があるが血のシミは見られない。体には目立った外傷もこれと言った痛みもなかった。あったとしてもかすり傷程度で数時間前にトラックに轢かれた人間とは思えない状態であった。格闘技の経験のない僕にはまずこんな芸当はできない。そもそも格闘技経験者にも無理なのではないだろうか。誰かが飛び込んできて助けてくれた可能性が一番ありえそうだがあの瞬間に人影はいなかった気がする。ただ、人ではなくガスは飛び込んできたが。
「まさかね」すると突然、意識を失った。
目が覚めると再び、汚れ一つない清純なキュビックのドアの前に斐は座っていた。見上げるとすぐ近くにバレナが立っていた。
『よし、成功成功』
そう言って、斐の手を取り、立ち上がらせた。バレナの手からまったく生気は感じられなかった。
『で、僕はどうすればいいんですか』
『もう一回ドアの中に入れ』
『はっ?』
つまり、もう一回現実世界に戻れということだろうか。
『そういうこと。で、もう一回こっちへ戻ってきて。それを何回も繰り返して意識の落ち癖をつける。そうすれば、後は感覚でどうにかなるっしょ』
そんな適当でいいのかよ。それに意識の落ち癖ってなんだ。脱臼しすぎると外れやすくなるみたいな感覚みたいなことか。
『ごちゃごちゃ言わないで、さっさとレッツゴー』
そう言い、握っていた手を放し、バレナは斐のみぞおちに全力で前蹴りを入れた。
衝撃そのまま今度はドアごと暗黒部分まで吹っ飛んだ。もちろん、斐には痛さも痒さも微塵も感じない。あたり一面、深い深い暗黒のために一体どこまで飛ばされたのかわからないが、ドアの向こうのバレナさんがぐんぐん小さくなっているので相当の飛距離が出ているだろう。
次第に推進力は落ち、斐は自由落下をし始めた。そして、再び現実世界に舞い戻った。
それから約一時間近く現実世界とキュビックを数百回行き来した。キュビックを出る度にバレナは斐に様々な技をかけた。殴るに蹴るなど単発に加え、ジャーマン・スープレックスからの3カウントフォールのコンボも掛けた。その時、バレナの顔は嬉々としており、斐は狂気を感じられずにはいられなかった。弟子が一人もできないのも頷ける。
反復トレーニングの成果もあり、5回に1回の確率で自分の意思で行き来できるようになった。
『上出来上出来。この短時間でコツを掴むなんてこのオレも予想以上だぜ』
バレナは無邪気な笑みを浮かべ、褒めた。賭けには負けているのだが清々しい気持ちだった。少し前までは魔術やバレナのことを頑なに否定していたが、今はすんなりと受け入れ始めていることに気づいた。
『いいじゃねぇか賭けの一つや二つに負けたくらいで。大体そんなことくらいじゃ大切なもんは崩れねーよ。人間そんなにやわじゃねーよ』
賭けのことはもうどうでも良くなっていたのだが、不貞腐れ心が顔に表れていたのかもしれない。まだ少し抵抗感があるけれど、少しずつ自分を変えてく。そのためにまず魔術を受け入れようと思った。
『そろそろオレは眠くなってきたから寝る』
そう言ってバレナさんはいつの間にか設置されていたベッドの中へ入って寝てしまった。
バレナの静かな寝息が聞こえると、無意識に張っていた緊張が途切れ、斐は糸の切れたマリオネットのようにキュビックの床に倒れた。キュビックでは疲れを感じることが分かった。
「僕も寝るとするか」
キュビックのドアまでなんとか這い蹲って、ドアを押した。何度もキュビックを行き来するうちにドアノブは見せかけだということに気づいた。寝返りを打って、精神と現実をつなぐ底なしの奈落へと身を預けた。この時ばかりは一瞬の移動も一日を振り返る時間があるように感じた。
斐は現実世界に戻ってきた。気づいたら午前2時だった。着替えと明日の身支度を済ませ、ようやくベッドに横たわった。確かな疲労が体を鉛のように重くするのを感じた。
これが僕と大魔女バレナとのファーストコンタクトであり、奇妙な共同生活の始まりである。
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