第9話

 兄妹は愛美に導かれて、掬星台の人の多い広場とは反対に向かった。そして、薄暗い道端の脇の、傾斜のところに生えている、太めの木の前に立った。


「ああ、本当だ。さっきは気づかなかったけど、こんなふうになってたんだ」


「これが、『マーヤのポスト』ね、きっと」


「ここだけなの?」


「うーん、知らない。おばさんだって、さっきめぐる君たちとマーヤを探していて、たまたま見つけただけだから。ひょっとしたらもっと他にもあるかもね」


「手紙、ここに置いとけばいいの?」


「うん、濁りのない想いで置かなくちゃね」


「本当にマーヤ、取りに来てくれるかなあ」


「ダメよ、疑ったら想いが濁るわよ。このままマーヤに会えずに、手紙を家に持ち帰るよりはいいんじゃない? きっと来るよ」


「まあ、そうだね」


「マーヤ、取りに来てくれますように……お願い!」


 そう言って、めぐるは大事に持っていた封書を木のうろの中のくぼみに置いて、手を合わせて拝んだ。


「じゃあ、おばさんも手紙、置くわね」


 めぐるたちの手紙の上に愛美は、ノートをちぎって畳んだような即席の手紙をそっと重ね置いた。


「マーヤが取りに来てくれますように」


 手を合わせた姿の三人の影法師が、水銀灯の青白い光の反対側にぼんやりと長く伸びていた。




 摩耶ビューラインの最終便はかなり混んでいた。めぐるとあかりは、手紙を置いてきてもまだ名残惜しそうに、漆黒の森の陰から果たしてマーヤがこちらを見てはいないかと、窓の向こうの山肌に終始目を凝らしていた。


 麓の駅からは、神戸市バスに乗り継いで三宮駅に向かう。三人は運よく一番後ろの長い椅子に並んで腰かけることができた。三ノ宮駅へ向かう車中では、あかりはもちろん、めぐるも緊張が途切れて、うとうとしていた。真ん中に座った愛美の両脇で、あかりやめぐるが愛美の方へ倒れ込んでくる、その体重をもっと感じようと、愛美は無言のまま腕を回して二人の背中を抱いていた。


 三宮から別のバスに乗り換えてさらに西へ。


――この子たちはこの距離を歩いて摩耶山まで来ていたのか……。


 今度は二人掛けの席に座らせ、愛美はその傍らに立って、肩寄せ合ってまどろみをむさぼる幼い子供たちを見つめながら、こみあげてくるものをぐっとこらえた。




「次のバス停じゃない?」


 愛美は申し訳なさそうにめぐるを起こす。


「あ、もうこんな所まで……」


 あかりを起こすのがあまりに気の毒で、バスが停留所へ着いた時、愛美は意を決して椅子からあかりを抱き上げた。山に登るのだからと、ヒールの低い靴を履いてきて良かったと感じつつ、愛美はよろめきながらも、あかりを抱いたままでバスを降りた。


「おばさん、大丈夫?」


 あかりを抱いたままの愛美に、めぐるが声をかける。


「大丈夫よ、これくらい」


 そうは言ったものの、泥のように眠っている小学一年生の子はかなり重かった。結局、いくらも進まないうちに愛美は音を上げた。


「ごめん、あかりちゃん、起きて! ごめんね……」


 覚醒に至りきっていないあかりが地面に立ってふらふらしているのを、愛美はしばらくしゃがんで抱き留めてやっていた。二の腕が痛かった。あかりの意識が何とか戻るのを待って、三人は遅い歩調で歩き始めた。

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