第6話

「コースのドルチェとカプチーノでございます。それからこちらは……私どもからのささやかなお誕生日のお祝いでございます。あかりちゃんとお母様で分け合ってお召し上がりください。もうひとつは、ここでは何も食べていないめぐる君に、このお店に来てもらった記念に。よろしければ、どうぞ」


「まあ、それは気を遣っていただいて、どうもすみません」


「うわ、これ、すごくおいしい! ママ、これ、こんなおいしいの初めて食べた」


「これっ、めぐる! もう手をつけて……」


「おいしいお菓子を、ヒゲのシェフ、どうもありがとう」


「ヒゲのシェフ?」


「うん、さっきママが、『ヒゲのシェフ、いい人だね』って言ってた」


「これっ、めぐる! ごめんなさい、お気を悪くされましたか」


「ははは、いえ、よいあだ名をいただきました。今後は『ヒゲのシェフ』でいきます」


「そうですか、よかった」


 母親も菓子に手をつけた。それを見ながらヒゲのシェフは話を切り出した。


「ところでお客様、マーヤの伝説はご存知ですか?」


***


「もともと摩耶山のお話として本当にあったの?」


 愛美が直樹に訊いた。


「いや、さっき言ったように僕が作った」


「このレストランの厨房で、即興で作ったの?」


「ああ。でもヒントらきしものはもともとあった。『マヤラン』という、摩耶山で最初に発見された絶滅危惧種の野生のランがあるんだ。花屋さんで売っているような派手なランじゃない。高さもせいぜい三十センチメートル程度、また、葉っぱを出さない植物だから、自生しているのは、めったに見つけられないんだ。実際、摩耶山でもそれ以来見つかっていない。摩耶山らしい料理の演出やお菓子を考えるヒントに仕込んでおいたこの知識から、あの話の発想が出たんだ。なかなか見つからない植物を妖精に見立てた。名前は、ほら、摩耶山のいわれ、お釈迦様の母親、『マーハ・マーヤ』をヒントにした」


「なるほどね。じゃあ、それをお母さんが、物心ついたあの子たちに話して聞かせたのを、あの子たちが覚えていた、という訳ね」


「うん、だけどそれ以前に、あの時四歳だっためぐる君は、僕が彼の母親にマーヤの伝説を話していたのをうっすら覚えているのかも。それでさっき、僕に向って、マーヤに会いたいって言ったのかも知れない」


 愛美が少し慌てた。


「あ、あの子たち、こっち向いてる」


「君もテーブルについて一緒に食べなよ。そもそもそのために今日来たんだし、今日は七海の誕生日でもあるんだから」


「そうね」


 愛美は直樹との話を中断し、二人の待つテーブルへと戻った。


「お腹いっぱいになったかい? じゃあ、デザートだ」


 直樹が出してきた、とっておきの「アレ」を、二人は早速、口に運んだ。


「ヒゲのシェフ、これ、とってもおいしい。あかり、食べてみな」


「うん、すごくおいしい!ヒゲのシェフ、ありがとう!」


 愛美も一年ぶりに直樹の菓子を口にした。そして目を丸くした。


「去年よりもずっとおいしくなってる……」


「あ、君のは大人用だ。リキュールを使ってる。“il cuore puro por Maya (イル・クオレ・プーロ・ポル・マーヤ)”。イタリア語で、「マーヤのための清らかな心」と名付けた。食べた人の『想い』がよりピュアになる。そして、濁りのない想いを好むマーヤに会いやすくなる。あの日、めぐる君がおいしいって言ってくれて深まった自信、拓海と七海に食べさせられなかった悔しさ、そしてマーヤの伝説。それらを原動力に、毎年改良していった。今年やっと完成させたんだ。誰かへのメッセージをマーヤに伝えてほしくて、『どうすればマーヤに会えますか?』って、そっと聞いてきた人だけのための、隠しメニューにしてるのさ」


「えっ? じゃあ今までに他の誰かも?」


「はははっ、いーや、誰も。発売以来、毎年三つだけしか売れない。当たり前だね!」


「今僕らが食べた三つだ」


「そう、君らに出した二つと、こちらのおばさんに出したひとつ……」


「ちょっと、直樹さん、あなたにおばさんって言われる筋合いは……」


「スジアイって何?」


「あかり、ここは大人の話さ、僕らは黙っていようよ」


「スジアイって何か教えてくれたら黙ってる」


 柔らかな照明の下で、食後の時間がゆったり流れて行った。

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