心霊備忘録 第1話「啼き声」

@sonogi

第1話

どんどん砂時計の砂のように記憶からこぼれていく、私にとっては恐ろしく感じた話の数々を書き継いでいこう。


通勤の途中にあるJ寺は大名や公家の菩提寺で、夏の地蔵盆になると境内にある有名な地蔵尊に人々が押し寄せる名刹。

しかし普段の境内は静まり返り参拝する人も疎らである。

J寺周辺は地下鉄の駅に近い。歩いてすぐ近くに美しく整備された河川敷公園があり、市内屈指の花見の名所として知られる。それゆえ人気の高い住宅地であり、寺が管理する広い墓地を囲むどの壁にも民家がぴったり引っ付いている。墓地の怖さより居住地としての魅力が勝っているのだろう。だが一ヵ所だけ家一軒分の駐車場になっている場所がある。

本当なら駐車場にしておくには惜しい場所であるし、墓地の周りに新旧の民家がひしめく状況から、私はいつも不思議に思っていた。

ただ気になったのは、駐車場の壁越しに一基だけ背の高い墓の背面がタケノコのように頭を出していることで(あれが嫌であそこには家を建てないのかな)と考えていた。

或る雨の夜。仕事帰りに雨足はどんどん強まり、急ぎ足でJ寺を通過する時。あの駐車場の前を通ることが、ふと頭を過った。

頭に浮かんだのはあの背の高い墓。

なぜか急に気になり薄気味悪くなったので、さらに足を速めて通り過ぎようとした。

いよいよ墓の後ろを通る、その時。耳もとに囁くように控えめに「ほーぅ、ほーぅ」と声がした。

一瞬止まり、(え。梟か木菟か?)と考えたが雨はザーッと強い降り様だ。鳥が啼ける状況ではない。(鳥なんか啼かないな。怖いからそんなふうに聞こえるんだ)

怯えを打ち払い、再び歩き出した、その時。「ホーホーッ!」

またも耳もとに、しかし今度はまるで耳に怒鳴りつけるように、大きく何かが啼いた。

私は決して顔をそちらに、声の方に、つまり墓の方に向けないように、小走りに立ち去った。

全力疾走しなかったのは、声が怒っていると感じたからだ。一度目の囁き声には怒りは微塵も感じなかったが、ありえないと思い立ち去ろうとした私に対して、無視された怒りのように二度目は怒鳴りつけてきたとしか思えなかった。

帰宅してすぐJ寺周辺に生息する野鳥を調べたが、私が聞いた啼き声の主とおぼしきアオバズクや木菟の類は無かった。


あの墓の背面で起きた現象だったから、墓の主からか。いや、そんなはずはなかろう。

数日間怖くて誰にも言えなかったが、母に話した。すると母はJ寺の前で喫茶店を営むマダムに話した。20年ここにいるけれど聞いたことが無い話だとマダムは言い、今度は物識りの常連客に聞いてくれたが「鳩では?」と言われる始末だった。

暫くして私はインターネットで例の墓の主が誰なのか知ることになった。

J寺のあの墓をわざわざ遠方から訪ね詣る人たちがいて、各人のブログには墓の由来と写真とが載せられていたのだ。なかにはご丁寧に「お墓の裏側、駐車場から見た写真です」というものまであった。

首塚だった。

大河ドラマにも登場した幕末の有名な志士をはじめその同志たち数名の首を、敵方の武士がJ寺に納めて丁寧に弔い、後に志士たちの子孫が立派な背の高い墓碑を建てたのだった。

喫茶店のマダムは「首塚の誰かが貴方の御先祖とかではないの?なんだか知っていてほしい、みたいなアピールに思えるねぇ」と言ってきた。

あんなに丁寧に供養されていて幕末ファンのお詣りもあるのに何が不満なのかと正直なところ感じた。

そういえば、各々の首は○○藩の誰某と氏名が判明しているのだが、一人だけ身元不明の首があり判らないまま共に葬られているという。

マダムは「きっとその人だわ!自分の身元を明らかにしてくれって訴えてるに違いないわ」

マダムの力説の理由は、私が日本史の研究者だから「調べて明らかにしてほしいのよ」というものであった。

私自身は波長が合う相手と見込まれたのかも、と今も思っている。


今、私は首塚の前を通る時は心のうちで「首塚さん、おはようございます、おやすみなさい」と声を掛けるようになった。

その理由。首塚の被葬者の中で代表格となっている人物が、敵に対しても情け深い人であったと、或るエピソードを知ったのがきっかけだ。

彼のいる藩(倒幕派)に幕府から使者が遣わされてきた。使者が持ってきた書状の内容に藩の中でも急進的な若者たちは激昂し、結局使者一行は惨殺されてしまう。しかし、その首塚の代表者だけは、若者グループの中心メンバーの一人でありながら唯一人「ただ使いとして来ただけの人間を殺すなど道に外れた行為だ」と異を唱え、止めようとしたのだという。血気盛んな連中を止めることは出来なかったが、一歩間違えば臆病者や内通者として自身も危ういのに毅然とした態度をとった首塚の代表者の人柄に、私は心打たれた。だから首塚は私には「尊敬する人とその同志の墓」となり、自然と挨拶をしていく場所となったのだ。

あの啼き声を聞かなければ、そうしたことに気づきはしないままであっただろう。

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