最終話 魔王になりたい俺の友は善人として称えられる

 戦いは終わった。

 ツカッガ・リエッカーとヴァンとの戦い、魔王の敵討ち、人魔の生存競争。尤も始まってすらいないこれを終わったと言えるのかどうか、議論の余地はあるだろうが。

 何であれ戦いは終焉を迎えた。

 しかし1つの戦いの終わりは永遠の平和を意味するものではない。新たな戦いの幕を開けるのだ。それは古今東西、どんな世界に行こうとも例外ではない。

 今ここ、ヴァルハラント学校の生徒会室では新たな戦いが幕を上げていた。


 動き続ける手、何も書かれていなかった白紙の紙に様々な文字が並んでいく。

 決して綺麗な字とは言えないけれども、それを責めるのは酷というものだろう。ここ7日間、睡眠と食事以外はほぼ執筆に当てているグレイなのだ。むしろ何とか読める程度の形を保っていることを褒めるべきだ。

 必死の形相で次から次に書き続ける。その甲斐あってか、最初の頃は遠く見えた到達地点がすぐそばまで来ている。自然と気が揺るんだ。

 途端、眠気襲撃。これまで睡眠時間を削ったツケが来た。まぶたが落ちそうになる。

(っ! ダメだ! 寝るな!)

 頭を振り眠気を飛ばす。両手の掌で顔を叩き痛覚を刺激、少しでも睡眠欲を追い出す。

(あと少し……あと少しなんだ……!)

 再び書き始める。いくつもの単語を、文字を、句読点を。

 一体何度この机に向かい合っただろう、一体何枚の紙を無駄にしてきただろう。

 そんな思いを抱きつつも、遂に最後の丸を、文章の終局を意味する句点をグレイは記した。


「終わった……!」

 1人きりの室内、生徒会室の中でグレイは誰にともなく呟いた。そしてそのまま机の上に倒れ伏した。書き記したヴァンの善行記録に手をぶつけないように気を付けながら。


 本来ならこの善行記録はまだ出版が先だった。しかし息をするがごとく善行をし、恒例行事の様にして世界の危機を救ってきたヴァンへの興味関心は頂点に達していた。

 そのため出版社が『もう待てない!』と出版を決意、最初に渡されていた現行の追記版、完成版の原稿を求めてきた。グレイとしても書くのは悪い気もしないし、ある程度書き溜めがあったからすぐに引き受けたのだが、依頼されたのはこれまでの全ての善行を書くこと。さらにその文字数は絶対500万文字以上。という条件だった。

 度肝を抜かれたグレイだったが、その後の説明でなお驚いた。辞典ほどの厚さの本を10冊出す予定なのだ。それも一度に。だから出版を焦っていた。


 しかも全巻購入者には超豪華特典として、等身大にして自立行動可能、自己判断能力を持ち、自己成長まで兼ね備えたヴァンの形をした機械人形を付録としてつけるらしい。最新の技術を惜しみなく注いでつくられたそれは、およそ人族がこなす全てのことを行うことができる。その上性格だけは自由に変えることができるのだ。

 元のヴァンの様にツンデレ的な性格にしてもいいし、「あなたは……誰なの。ぼくをお家に帰して……」という、従来のヴァンとはかけ離れた性格にするのも可能なのだ。

「あなたの生活に潤いと、英雄を!」

 この触れ込みの元販売を開始したところ予約が殺到、1日でも早く出版態勢を整えたいらしくグレイをせっついてきたのだ。

 勿論この付録の作成には裏がある。カウキョとその妹だ。


「いよいよヴァンくんの偉業本が出るけど、全巻購入特典とかでもいいからヴァンくんの何かが欲しいわね。誰かそれを実行してくれる有能な人魔はいないのかしら。この世の中、私の妹以外は有能な人魔で溢れかえっているから絶対実行できると信じているのだけれども」


「あらあら、脳みその代わりにヘドロが詰まっているお姉さまにしては素晴らしい考えですわ。尤もそんな考え、私はるか昔に思いついていましたよ? 大変私に劣るお姉さまらしいといえばお姉さまらしいですけど」


「ほほほ、後出しじゃんけん的に何かを主張してくるなんて、生ける生ごみ集積場であるあなたらしい態度よねえ。けれども珍しく意見が一致したわね。生涯の屈辱として覚えておくわね。ともあれ、そんな王族2人の意見を無視するものなんて、不敬罪の設立を考えさせるような輩は私の国にはいないはずよねえ」

 という壮絶極まる会話の応酬を出版社前で行ったため、会社側としても実行せざるを得なかったのだ。


 何にせよここ最近は一人で生徒会室にこもって原稿用紙と格闘する日々をグレイは送っていた。度々ミリアを始めとした面々が世話を焼いてくれたのだが、それでもキツイ毎日を過ごしていた。

 だがそれもとうとう終わったのだ、グレイは遂に1003万文字を書き終えたのだ

「後はこいつに『これ』をかけばお終い……長かった……本当に長かった……もう書きたくない……」

 震える手で原稿用紙をまとめて、ある部分を開こうとした。


 そのとき、揺れた。


 先ほどミリアが来て入れてくれたお茶。液体であるそれは振動に大変敏感だ。揺れを感知したら即座に波紋となって表面に現れる。

 それがを揺れたのだ。目ざとく見つけてしまったグレイ、顔面が青く染まる。



「はーはっはっはっはっ! ごきげんようヴァルハラント学校の諸君! ヴァン・グランハウンドが今日こそ魔王になりにきたぞ!」



「やめてくれよおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 聞こえない、届かない。

 そうは分かっていながらも、校庭に巨大機械人形にのって現れたヴァンの声を聴くなり、叫ばずにはいられなかった。どう考えても魔王化計画の実行だ。

 これまでのグレイであったなら、魔王化計画の実行を呆れつつもここまで怒らなかった。

 しかし今は違う。グレイは記録者なのだ。それも正確無比なものが求められている記録者。

 つまりこれは再び書く量が増えたこと、仕事が降ってわいたのと同意義なのだ。再び仕事をしなければならない終末感、グレイは率直に絶望した。


「俺は以前から回りくどかった! 単純でよかったのだ! 巨大機械人形を自らの手で操りそれで何かを破壊、即座に魔王! 最初からこうしておけばよかったのだ! ふは! ふはーはっはっはっはっ!」

 しかしそんなグレイの苦労など露知らず、ヴァンは1人自らの作戦を実行に移していく。近くの新築された、まだ誰もいない学生寮へと足を運んでいった。


「せんぱい! 見ましたか!」

 一際大きな音を響かせて生徒会室のドアが開けられ、壁に激突。跳ね返ってミリアに衝突。

 するも今回はミリアの勢いが勝った。ドアを再び弾き飛ばして室内に入ってきた。

 鼻を打ったのだろう、軽く涙目になりながらもミリアの勢いは止まらず、続けてきた。

「会長が出てきましたよ! あんな巨大な機械人形にのって! 学生寮を破壊しようとしています! きっと何か見つけたんですよ!」

「ああ、見てるよ……何が起こるか分からないけど、どうせまた善行が増えるんだろうな……」


 グレイの気分はこれ以上無いほど沈んでいる。

 だがミリアは違った。これから起こる何かを想像してワクワクしきっていた。

「やりましたね! これでせんぱいの本はまた厚みを増します! 恐らく世界的に見てもこれほど厚い本を書いた人族はきっといませんよ! これは会長もせんぱいも歴史に名を遺す偉人になります! 後輩であるあたしも負けていられません! あたしも歴史に名を残すために日々精進していきます!」

「……ちなみにお前はどんなことをして偉人になるつもりなんだ?」


「そうですね! 喜劇王になりたいです! 皆を笑わせて笑わせて、『あ、ミリアさんだ! あの人のお笑い、面白いんだよ!』って色んな人に言われえる人族になりたいです! それで少しでも世界を明るくしていきたいです!」

「……ああ。それは、俺もなってほしい。そんなお前の姿が見たいな」

 体はくたくた、脳も正常に機能しているかと問われたら怪しい。生返事を返しても特別問題ない状況。

 それでもグレイはミリアにきちんと返した。何故なら心の底からそれを望んでいたから。惚れた女性が夢をかなえ、喜ぶ姿を見たかったから。

 だから真剣に感情をこめて言葉を紡いだ。


 その時、破壊音が響いた。

 グレイはその光景に背を向けていたため確認できなかったが、ミリアには見えたようだ。大きく目が見開かれていく。

「学生寮に隠されていた大犯罪の証拠を見つけるなんて……! 会長凄すぎます! あたし早速取材してきますね! そしてすぐにせんぱいに資料として渡せるようにしてきます!」

「ああ、頼むわ」

 再びけたたましい音を立て、ミリアは出ていった。

 1人取り残されたグレイ。

 久方ぶりに執筆作業から離れたいと思わないでもないが、この後大量の仕事がわいてくることが予想できる。逃げても意味なしならば、今はできることを行おうと考えた。

 本当を言えば最後にしたかったこと。全てが終わるときに行おうと考えていたことを。


 グレイは原稿用紙を開いた。

 一番最初に目につくところ、保護するために一番外側に置かれる紙の部分。

 つまり、表紙だ。新品の高級の用紙を使ったそこには何も書かれておらず、純白を晒していた。


(『これ』は最後につけたかったんだがなぁ……)


 グレイが最後にしようと思っていたこと、それは本の題名をつけることだった。

 本の題名とは本の命、これがあることで本は魂を持つ。

 それ故最後につけるべき、とグレイは考えていたのだが、そんなことももう言ってられない。少しでも終わらせることができる仕事は終わらせたかった。

 しかもどんな見出しにするのか、グレイの中ではほぼ決まっていた。出版社側から事前にいくつか提案されていたものがあったが、どれもしっくりこなかった。

 ヴァンの姿が書かれている気がしなかったのだ。


(ヴァンの本質を考えると、これしかないよなぁ……)

 恐らく会社側から没にされるであろう、おかしなタイトル。読者からしてみても支持を得られないもの。

 だがそれでも、彼にはこれ以外の題名は考えられなかった。

 だからグレイは筆記具を取り、表紙にこう記した。




『魔王になりたい俺の友は善人として称えられる』




(完)

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