第7話 ハシビロコウの大将
「まさか、全部食べたんですか?」
「あんまり美味しくて、つい……」
ラーメンと餃子と半ライスを完食したつぼみさんは、赤くなってうつむきました。
「まるまる十二個分でした。いくらなんでもと、カピバラに泣かれたんです」
「それはまあ、泣かれもするでしょう」
「うちも悪いことをしたと思ったんで、代金を払いますと言ったんですが――」
つぼみさんが、カクンと項垂れました。
「特製バターロールの値段が、一個五十円だったんです」
「そしたら、六百円ですか?」
「いえ。試食をすすめたのはこちらだから、半額でいいと――」
「なるほど。三百円ですね?」
「でも、お財布にはそのとき八十円しか入ってなくて、一度家に帰って出直しますと言ったら、カピバラたちがごそごそ相談し始めたんです。そのとき、ふと見たらレジの脇の小さな丸いドアが開いていたんで、そこから逃げてきてしまったんです」
この食欲旺盛な子は、どこまでも欲望に忠実なタイプと見受けられました。
「半額で良いとまで言ってくれているのに。そこは踏みとどまるべきでしたね」
「だって、カピバラだし――」
つぼみさんが唇を尖らせました。すると。
「おっと、聞き捨てならねえな」
カウンターの端から、ハシビロコウが口を挟みました。
「やい、食い逃げのお嬢ちゃん。いつから人間はカピバラより偉くなったんだい?」
顔を引きつらせたつぼみさんが、すがるような視線をわたくしに寄越します。ですが――。
「残念ながら、わたくしもハシビロコウの大将と同じ意見です」
彼女の頬がぷくっとふくらみました。
「雪ノ下さんって、うちの味方じゃないんですか?」
「甘ったれんな!」
ハシビロコウは
「
「……ごめんなさい」
つぼみさんは涙目になってうつむきました。最近、よそのお子さんを叱ってくださる大人が少なくなったと聞きますが、さすがはハシビロコウの大将です。わたくしがウインクすると、大将は片頬でニヒルに笑って、どんぶりを洗い始めました。
「つぼみさんは、すぐにバターロールの代金を支払おうと思ったのでしょう? それは、パン屋さんに悪いことをしたと思われたからですよね? そこが一番大事だとは思いませんか?」
うつむいたまま口のきけないつぼみさんに、わたくしは申し上げました。
「ひとつ深呼吸してごらんなさい。そう。もうひとつ。恐いという感情に支配されると、人は簡単なことが分からなくなりますから」
スウハアと深呼吸を繰り返したつぼみさんは、最後に肩を落としてうなずきました。
「うちが悪かったと思います。ごめんなさい」
「――意外と素直じゃねえか」
ハシビロコウが、ぼそっとつぶやきました。
「雪ノ下さん。うちは――どうしたらいいのかなあ?」
「カピバラに謝りにいきましょう」
「ついてきてくれるんですか?」
「ええ。もちろん」
つぼみさんが頬を染めました。
「ありがとう。――でも、なにか恐いことになったらどうしよう?」
「おそらくは心配ありません。カピバラは草食です」
ヒヒヒと、ハシビロコウが笑いました。
「こいつは面白い。どうなることか」
彼の場合、笑うとさらに凶悪な顔になります。ヒッと身をすくめたつぼみさんが、イスからずり落ちました。
「さっきの感じでは、そこまで怒っているようにも見えなかったですよ。待って――と言ってましたからね。待てえ――じゃなくてね」
わたくしはつぼみさんの瞳をのぞきこんで、頬笑みました。
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