第2話 夕焼けセラピー

 ちょうど一週間前のいま頃の時刻でしたか。見知らぬ可愛らしい少女がいきなり訪ねてこられたので、少なからず驚かされました。わたくしのセラピールームは、この珈琲の美味しいカフェから程近い雑居ビルの四階にありますが、大変便利な場所にもかかわらず見つけにくいので有名です。


「あの、すみません。こちらのセラピールームは、予約がないとダメですか?」


 半開きの扉に手を掛けたまま、彼女は緊張したおももちで尋ねました。今日と同じように白いセーラー服で、胸元の赤いリボンがよく似合っていました。


「どうぞ。ちょうどこの時間は空いております。ご遠慮なくお入りください」


 折良く十分ほど前に、本日予約された最後のクライエントを送り出したところでした。わたくしは、にこやかにつぼみさんを招き入れ、扉の下にドアストッパーを差すと、室内に夕風が流れ込みました。

 わたくしは改めてお辞儀をして、御挨拶申し上げました。


「いらっしゃいませ。こちらは『夕焼けセラピー』と申しまして、みなさまのおはなし相手をさせていただいております。とくべつな治療などはいたしません。どなたでも、どんなことでも、悩みごとでも、楽しいことでも、気軽におはなしいただいて、ひととき心を安らげていただくセラピールームです」


「えっと――セラピストの先生ですか?」


 つぼみさんは、いささか戸惑われたようでした。

 わたくし、手足の短いずんぐりした己の体型に、最も似合う和装を常としておりまして、その日は柿渋色の羽織袴を身につけ、襟足えりあしで髪をくくっておりました。昨今流行りの和装男子といったところでしょうか。


「はい。セラピストの雪ノゆきのしたひそかと申します。よく噺家はなしかさんと間違えられます」


 わたくしがはかまのおなかをポンと叩いてみせますと、つぼみさんは安心したようにコロコロと笑いました。


「ときに、よく、ここが分かりましたね」


「学校の五階の非常口から、ここの看板が見えたんです。ちょっと迷いましたけど見当をつけてきました。『夕焼けセラピー』って、なんか癒やされると思って。あと、カウンセリングが一回五百円っていうのも――」


 わたくしは内心の動揺を隠して奧のセラピールームにつぼみさんをうながしました。


「ええっ? きれい! なにこれ?」


 つぼみさんは目を丸くして叫びました。広い窓から今しも海へ沈みゆこうとする黄金色の夕陽が見えます。空と海の夕映えがテーブルとソファーしかない簡素な白い部屋を薔薇色に染め上げています。


「どうして表参道から海が見えるんですか? あっちに海なんかないですよね?」


「夕陽を眺めつつ、おはなしを伺うのが『夕焼けセラピー』の趣向なのです。夕陽を前にすると、誰でも心がほぐれますでしょう?」


「これってバーチャル映像なんですか?」


「いえ、絵なんです。或る無名の画家の作品ですが、なかなかの出来映えでしょう?」


「すごい! 潮風が吹いてきそう!」


 ソファーに寛いで飲み物をすすめ、何気ない雑談を交わすうちに、つぼみさんの気持ちも夕焼け効果でほぐれてゆくのを感じました。

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