第6話 十七年ぶりに目にする涙



 俺は何を言ったらいいのか分からず、彼女の次の言葉を待つ。


「美羽は美人だよね。健二は、高収入で頭もいい。きっと、仕事や家庭で役に立って、結果を出してる。で、自分達と違う人を低く見る。あの人達がいるのはそういう世界。比嘉君のいる世界は、そんな人達に低く見られる世界ってことでしょ? 私のいる世界は違う」


「どんな世界?」


「昔、比嘉君が作ってくれてた世界だよ」


「え? ……どういうこと?」

 まったく理解できずそう聞くと、木村さんは背もたれに寄りかかり、軽やかに話し始めた。


「六年二組では、比嘉君って、今の美羽とか健二に近い立ち位置だったよね。でも私、ハッキリ覚えてるよ。比嘉君は、ずっと学校来てなかった子が久しぶりに来ると、飛んで行って一緒にお喋りしたり、遊んだりしてたよね。サッカーが苦手で、負けた後周りから責められてる子の味方してあげたり、絵が上手い子がいたら、先生に一枚持って行って、クラスのどこかに貼りたいって言ったり。友達一人一人をその子として認めて、尊敬してあげてたじゃん」


 覚えている。遊んでもその子は次の日やっぱり来なかったり、結局サッカーが大嫌いになってしまったり、先生に断られたり。上手くやれなかった記憶ばかりだ。俺は「うーん」とうなってしまった。


「私が働いてるお店にはね、大勢お客さんが来るんだよ。そうすると仲良しもどんどん増える。私と仲良くしてくれる人の中には、美羽なんか足元にも及ばない程の超美人とか、健二なんか屁でもないような高収入だったり、頭が良かったりする人だっている。でも、みんな私を私として尊敬して大事にしてくれるし、君の事だって絶対、君として尊敬して大事にしてくれる。大人になっても、世の中にはちゃんとそういう世界もあるんだよ? 比嘉君が子どもの時、私たちに作ってくれた世界。比嘉君にも私のいる世界に来てほしい。私はその世界でただ暮らすくらいしかできないけど、比嘉君には、そんな世界をもっと広めていってほしい。比嘉君ならできるよ」


「そうかな……」


 言葉が途切れ、お互いの顔をただ見つめ合う。ふっ、と俺たちの顔は、磁石のように吸い寄せられた。


「ごめん!」


 あと少しで唇が触れる、というところで、木村さんは立ち上がった。そのまま数歩進み、俺に背中を向けたまま、キャップを被りなおして言う。


「ごめんごめん。今のは忘れて」

「え、何でだよ」

「だって比嘉君、そんなつもりなかったでしょ?」

「ただの成り行きは嫌って事?」

「違う!」


 振り返った木村さんの顔は、公園の街灯の明かりだけでもハッキリ分かるほど、赤くなっていた。


「私、今日は比嘉君に会いたくて来たんだよ。もしかしたらいるかもしれないって。来る電車の中でも、いるかもしれない、どうせいない、でもいるかも、とかずっとぐるぐる考えてたんだから」


 俺を真っすぐ見つめるその瞳には、自分の汚い感情を葛藤しながらも明かす勇気や潔さ、そして本人は気付いていないであろう優しさが、ほのかな愁いを伴って滲んでいる。美しい。


「でも、十七年間一途に思い続けてきたわけじゃない。彼氏を作ったことだって何度かあったし、同窓会の知らせが来るまで、忘れてた。そんな私が……」


「俺は、覚えてたよ。君の事」


 俺の言葉を聞いて、木村さんは息だけで「え?」と呟いた。今度は彼女の方が、俺の次の言葉を待つ。


「俺は六年生の時、君の涙を目にしたあの日から、君の事が気になって、朝は早く来て君が登校するのを見てたし、休み時間も何してるのか気になって、教室にも校庭にもいない時は、あっちこっち探し回った。気付いたら、好きになってた。俺も、十七年間一途だったわけじゃなくて、彼女を作ったこともあったけどさ」

 木村さんは、少しだけ開いていた口を閉じ、固唾を飲むように喉を動かした。


「今日の同窓会、木村さんは来ないだろうって思ってた。でも、奇跡が起こって来るかもとか、俺も道中何度も考えながら来たよ。会場に着いて君を見つけられなかった時は、心がしぼんで、もう忘れるしかないと思った。でも、途中で君はやって来て、今こうやって二人でいる」


 告白の最中だが、俺の胸の鼓動は穏やかだ。彼女の方は逆に激しく鼓動しているだろう。


「そんな日に起こったこと、忘れられるわけないだろ」


 木村さんはスタジャンのポケットに手を突っ込み、俺の目の前まで来ると、上半身を傾けて、俺の唇に静かに自分の唇を当てた。体温が上がっているのが、首元の熱気で伝わってくる。背が低い俺の方が座って、高い彼女の方が立っているから、実にアンバランスだ。二秒もせずに、彼女は体を起こし、「ふふっ」と微笑んだ。


「おかしいか。こんなの」


 そう言って彼女は俺の右隣に腰かけ、手をポケットから出すと、キャップを外し、髪をほどいた。そして右手で、顔の左脇の髪を耳の後ろへひっかける。


 またお互い吸い寄せられ、俺たちは口づけをした。さっきよりほんの少しだけ、熱がこもっていた。薄く目を開けると、彼女の閉じた瞼の端に、十七年ぶりに目にする涙が一滴、輝いているのが見えた。


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十七年ぶりに目にする涙 ロドリーゴ @MARIE_KIDS_WORKS

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