竜の涙



 辺境の寒村。


 その傍が、我の寝床であった。



 しかし、寒村であった筈の小さな村は大きくなりつつあった。


 主に近隣の村々の住民が引っ越してきつつあるのだ。


 それは冷害による飢餓で始まり、現在は戦争による恐怖が影響していた。



 冷害は収まった。


 だが、それによって国が飢餓に見まわれていたというのに王は振る舞いを改めず、相も変わらず暴政を敷いていたらしい。


 そしてついには自分を擁立した貴族連中にすら喧嘩を売ってしまい、いつの間にやら毒殺されてこの世を去ったそうだ。


 王が死んだ事で、様々なものが主導権争いを始めた事で国はさらに荒れ、群雄が割拠し、国中が戦争状態に陥りつつあった。



 そんな中、辺境のとある寒村だけは平和だった。


 平和というか、兵が押しかけてきても我がちょっと飛んだだけで小便を漏らして撤退してしまうため、どの勢力も手出しが出来ない中立地帯になっているのだ。


 それ故――我という竜がいるにも関わらず――安全を求める難民達の数が次第に増えつつあった。村の方では捌き切れないほどに。



 村ではミミが新旧問わずに村人の意見を聞いて回っているため、古参新参を問わずに寄り合い、今後の話し合いを続けていた。


「まあ、結果が出たら教えてくれ。我も指示で動く」


「アンタも頭を捻るんだよ! ほら、キリキリ歩く!」


「ドラゴンさんも村人なのーーー!」


「わ、我は人族ではない……」


「村竜でいいから! こっちーーーー!」


 全員で引っ張りにきたが、人族程度にどうにか出来る我では「イタタタタ! ミミ、鼻はやめろ!」「動いてよー!」どうにか出来る我ではなくいので! 少しは距離を置くべきだと思ったから、話し合いの参加は控えるようにした。


 控えるようにしたら皆が勝手に我の寝床に集い、あーだこーだと話し合い始めるので惰眠貪る事も出来ず、黙って聞く事になった。


 ミミは最初からそうだったが、こいつら日に日に容赦なくなるぞ……。




「作物も育つようになったし、また森を拓くか?」


「それも必要だけど、ちょっと水場が心配なんだよな……」


「前にドラゴン殿が引いてくれたのがあるが、あれじゃ足りん。このまま難民受け入れ続けると絶対に全ての畑に行き渡らんようになる」


「行き渡らん事も無いかもしれんけど、川から遠い畑は面倒なんだわな」



「川を何本かに分けるか? ちょっと掘れば行けるのではないのか?」


「あまり分けすぎると干上がりかねませんぞ」


「そこらの木ぐらい、雨水で何とかなればいいのにね……」


「肉も良いかなって気はしたけど、やっぱり麦や野菜が欲しい」



「我が汲んでくるか? 少し飛べば大きな河があったぞ」


「一往復じゃ足りんでしょうに……」


「ドラゴン殿への負担が多すぎる」


「我を誰だと心得る! 水汲みぐらい造作も無い!」


「そういうの良いんで、他の方法考えましょ」


「はい」




 結局、近くの大河から新しく川を引く事にした。


 これはこの村に来てから一番の大仕事となった。



 村で初めて川を引いた時の事を考えると、まあ何とかなるだろうと思っていたのだが……かなり苦戦した。あれは条件がまだ良かったらしい。


 水は低きところに流れるもので、既に流れているところから引こうとすると少し高低差があるだけで上手く行かないという事が多々あった。


 それでも、この川を引かない事には村はもう難民を――困窮した民を救う事が出来なくなる。「現状で諦め、受け入れをやめよう」と言う者はいなかった。


 皆で頭を捻り、話し合い、何度も試した。どうにかこうにか新たな川を引き込めた時、我は思わずへたり込んで倒れてしまった。



 ミミは土で顔を汚して喜んでくれていた。


「やったね! ドラゴンさん!」


「ああ……あとは村全体が使いやすいよう、川を分けねば」


「ちょっと休もう? ドラゴンさん、いっぱい動いて疲れてるでしょ?」


「フン、竜である我を人族の定規で測るではない」


「えぇー、今日はもう、休みましょうぜ……ヘトヘト……」


「アンタに働かれるとワシらも動かなきゃらんでしょ」


「ほら、ドラゴンさんも皆と一緒に休んで!」


「う、うむ……」



 労いも兼ねた食事が運ばれてくるのを見て、ミミは新たな川でジャバジャバと身体を洗い、「手伝ってくる!」と飛んでいってしまった。


 飛んで行く、というのは大げさか。


 少し小走りで、大人しく……女の子らしい所作で行ってしまった。


 お前も休まねばならんだろうと言いかけたが、笑顔で楽しげにしているミミを見ていると言葉が引っ込んでしまった。


 ミミだけではない。


 皆、笑っている。



「ん? ドラゴン殿、何を笑っているんだ?」


「いや……何でもない。気にする程の事でもない」








 水場はかなり余裕が出来た。


 だが、難民の受け入れは……止めなければいけないかもしれない。


 とんでもない数になりつつあるようなのだ。辺境に救いの地があるという噂を信じ、長い旅をしてきたという者すらいて、厳しくなってきている。


 そうせざるを得ないほど、国内の戦は激化し、それは単に主導権を――王位を得ようとしている者達の間の戦いに留まらず、民達を苦しめているようだった。



 水はあっても、作物は一日二日で生えてくるものではない。


 我がとってくる肉にも限界がある。


 物資が充実してきたため、人の手でも森を拓くのは不可能では無くなってきたが、あまりに一挙に難民が来すぎている。


 ミミは悲しそうにしていたが、大人達の話を受け入れた。受け入れたが、どうにか方法が無いかと考えに考え、皆に話を聞いて回っているようだった。


 皆の中にも「どうにかしたい」という気持ちはある。


 だからこそ、ミミとの会話の中で必死に解決の糸口を探していた。




「……ドラゴンさん」


「んむ……」


 ある日、ミミが我の寝床にやってきた。


 少し迷っている様子で。



「どうした? 何かあったのか?」


「ドラゴンさんに、お願いがあるの……」


「肉か? 海水か? それともさらに森を拓くか? 何でも言え」


「な、何でもいいの……?」


「ああ、何でもいい。お前が望む事の手助けをしよう」


「ほ、ホントにホント?」


「ちょっとくどいぞ。何でも言え」



「う、うん……じゃあ、あのね」


「うむ」


「ドラゴンさんのウンコちょうだい?」


「うん?」



 ミミは少し顔を赤らめてモジモジとしていた。


 わけがわからなかったので、詳しく話を聞くことにした。



「あのね? 皆に、もっと村を豊かにする方法がないか聞いてたの」


「それは知ってる。だが、何故に糞なのだ」


「行商さんが作物について色々調べてきてくれたんだけどね? 昔あったとある村では魔物のしたウンコを拾い集めて、それを肥料にしてたんだって」


「…………」


「それがケッコースゴかったって伝説が残ってるんだって! 魔物ウンコを埋めると作物がスクスクー! と育って、モリモリ出来るんだって」


「…………」


「魔物でそれなら、ドラゴンさんならもっとスゴいかも!


「…………」


「…………」


「…………」


「……モリモリなんだって!」


「わ、我はウンコなど、せん」



 苦し紛れにウソをついた。


 正直に言うと、絶対に厄介事になる空気がしていたのだ。


 だが、ミミは直ぐに口を尖らせて「ウソ~!」と言った。



「ミミ、知ってるんだからね。


 ドラゴンさんは村の外までわざわざ飛んでって、ウンコしてるって。


 前に飛んで帰ってきたドラゴンさんのお尻に近づくと、


 ウンコ臭かったもん! あれゼッタイウンコ!」



「ななっ、なんてとこの臭いを嗅いでおるのだ!」



「ドラゴンさんもウンコするのかなぁ、って。


 ねぇねぇ! お願い! ウンコちょーだい!


 試してみよーよ! 失敗してもウンコ減るだけだから、いーでしょ!?」



「我の体面に傷が入るわ……!」


「ウンコぐらい皆してるよ!? ミミのウンコだって肥料になってるもん!」


「嫌じゃ嫌じゃ! 我はウンコなどせんのじゃ!!」


「何でもやるって言ったじゃん! ウンコ! ウンコするだけでいいからぁ!」


「嫌じゃーーーーー!」




 そう言いはっても、ミミは我に糞をする事を強要した。


 我が暴力振るえんのを良い事に、我の身体に登り始め、我の身体を傷めつけ――いや、小娘が乗ったり叩いても痛くはないが――とにかく約束の履行を要求した。


 挙句の果てには木の棒を手に、我の尻に突撃してきた。


 流石にそれはやめてほしかったので、半日の問答の末に我の方が折れる事になった。ミミは狂喜乱舞した。我はヒッソリ泣いた。



 我はドラゴンである。


 だが、誰でも勝てるわけではない……。






「約束! ウンコ約束だからね!」


「一度だけ、一度だけしかせんぞ!」


「ええ~……まあ、とりあえずウンコしてね?」


「クソっ、どうせ失敗するからな……!」



 結果だけ言うと、ちょっと引くぐらい成功した。


 とにかく、我はミミと約束した通り、肥溜めで糞をする事になってしまった。


 我用にこしらえられた肥溜めに。



「おい」


「…………」


「お前達、いつの間にこんなものをこしらえた?」


「…………」



 村人達は我と目を合わせず、そそくさと家へ帰っていった。


 う、裏切り者どもめ……奴ら、周到に準備を進めていたのだ。


 遠目でミミが――ニヤッと暗い笑みを浮かべるのが見えた。



 だが我は糞をする約束をしたが、こちらの要望も飲ませる事に成功していた。


 村の畑の肥料に使う以上、糞は村の近くでせねばならん。でも、そんなところで糞をしたら畑仕事をしている村人達に我の脱糞を目撃されてしまう……!


 さぞ滑稽に映る事だろう。手を止め、ジロジロと我が垂れ流す様子を見て、「見るな! 止めろ!」と言っても横目でチラッチラッと見てくるに違いない。


「ドラゴンさん、それヒガイ妄想ってやつじゃない?」


 うるさい。普通にやったら、絶対誰か見るだろ。




 そのため、我が糞をするのは夜という約束をした。


 皆が寝静まった頃に肥溜めに赴き、一人泣きながら糞をひねり出すのだ。情けないが、ミミと約束してしまった以上、仕方がない。


 その代わり、夜、誰も見物しない事を約束させた。



 我の計画は完璧に思われた。


 我の中ではな……!

 



 日が落ちた後、我はイヤイヤながら肥溜めに向かった。


 そこに尻を下ろし、態勢を整える。


 

「…………おい! 誰かそこの出歯亀を家に連れて戻れ!」


 うおー! やめろー! と言う小娘ミミが家へ連行されていった。


 他に夜闇の中に潜んでいる人間はいない。


 辺りはやけに静かだった。


 皆、息を殺しているのだろう……うぅ、糞が引っ込んだ。



 我は涙を出しながら、一つの悟りの境地へと至ろうとしていた。


 別に至りたくも無かったので丁重にお断りして帰ってきた。


 その時だ――再び、便意が戻ってきたのは。


 我の耳には確かに「来たよ! 約束通りそこに行くよ!」と語りかける糞の声が確かに聞こえた! 我はいま自分がしている事を改めて思い知り、羞恥のあまりウンコの前に涙をもらした。


 だが、我は誓ったのだ……この村を、ミミを守ると!




「ふぬぅ……!」




 我は努めて小声を出し、踏ん張った。


 亡き村長が微笑み、「アホな事をされとる」と言う幻覚が見えた。



 その夜、我が糞を出す姿は目論見通り、誰にも見られなかった。


 そう、見られなかったのだ――糞を出す姿だけは。














「ドラゴンさん……起きて」


「…………」


「そんな、落ち込まなくていいのに……」


「…………」


「立派なウンコだったよ。肥溜めからあふれるぐらい、スゴかったよ」


「…………」


「みんな褒めてたよ! これで竜の肥による肥料作成が試せるって!!」


「…………」


「あ、あの……誰も、ヴピッ! とか、ヴボボッ! なんて音は聞いてないから」


「ヴァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」



 我は発狂した。


 寝床にて涙を流し、臥せっていたがゴロゴロと左右に転がって暴れた。


 木がなぎ倒され、土煙があがって数人の村人が様子を見に来たが、我が暴れているだけと知り、「あっ」と全てを察した顔で去っていった。



「いっそ殺せ……! 殺せぇい……!!」


「ダメだよ! 死ぬのだけはゼッタイダメだよ!」


「ハハッ! フヒッ! 考えの足らんかった我を笑うが良い! 村人みんなが我の事を大音量だったとか笑っておるのだろう!? 知ってる……!」


「ドラゴンさん、アタマおかしくなっちゃった……」



「もし仮に、これで肥料作成が成功してみろ!


 我は一生、ウンコ神として崇め奉られるのだ!


 そ、そんなのは嫌じゃーーーーーーーーー!」



「ど、ドラゴンさん、気にしすぎだよぅ……」



「もし仮に、メスのドラゴンが現れても、


 ウンコたれの我など、見向きもせぬのだ!


 我は、我は……一生、独身なのだ……!」




 我はさめざめと泣いた。


 オイオイと、自分が情けなくて大地に伏せり、目を閉じて泣いた。


 まぶたを閉じても、滂沱の如き涙は止まらなかった。




「ん……」


 我の口先に、何かが当たった。


 とても小さいものだった。


 だが、何故かとても心地の良いものだった。



「ドラゴンさんにお嫁さん出来なかったら、ミミがケッコンしてあげるから」


 目の前には軽く口元を押さえ、顔を真っ赤にしたミミがいた。


 呆けている我を置き去りに、ミミは足早に村へ戻っていった。



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