竜と孫娘



 私はドラゴン


 名をメメと申します。


 始まりの竜である御祖父様の孫であり、この世界に姿を表した第三の竜でございます。女の竜としては一番目ですね。



 本日は先王である御祖父様のお宅へお邪魔しようと大気圏外から流星と化して母なる大地に戻ってまいりました。


 途中、ちょっとウトウト居眠り飛行をしてしまい、地表に激突して一帯を吹き飛ばしそうになったのですが、華麗な飛行技術でギリギリで上昇。


 自分の御業に惚れ惚れ……。


 風圧で畑をいくつかダメにしてしまい、周辺住民の皆さんの顰蹙ひんしゅくを買ってしまいました。ドンマイ私。明日は明日の風が吹く。なに、クソ塗っておけば直ぐ直りますよ。



「なんなら、ちょっとしていきましょうか? ウンコ?」


「王様が言う事じゃないですよ!?」


「女王様がそういう事を言うの、やめてくだされー!」


「人型で黙ってれば美人なのに……」


「おっと良いですね。もっと讃えてください。お礼に一発していきましょう」


「「「「やめれーーー!」」」」


「私、褒められると増長するタイプなので、お礼のために一発出したいです」


「「「「もうどっか行って……!」」」」



 わぁわぁと群がって止めに来る人々に畑から追い出されてしまいました。何を初心な反応しているのですかね。


 糞尿によるテラフォーミングで私がいくつもの星を命溢れる惑星に変えてきた事ぐらい、ご存知でしょうに。


 我々、竜族の糞は遥か昔より重宝されてきました。


 私の御祖母様がまだ幼い時分、野ざらしでゴロゴロとプー太郎のように寝ていた御祖父様の尻に向け、その辺に落ちていた棒・エクソカリバーを振りかざしたのが最初の糞活用のきっかけになったそうです。


 以来、竜族の糞は肥料にして畑にまいて丈夫で美味しい作物をモリモリ育て、私の代からは最先端科学の力が加えられた事で星の開拓にも使われるほどの偉大な糞へと変貌していきました。


 言わば、私の祖父は偉大なるウンコマンなのです。


 私も結構やり手で、ウンコウーマンを自認しています。周りには「やめて」とか言われるので自他共には認めていただいていないのですけどね。解せぬ。





 偉大なウン……御祖父様の暮らす街へ到着致しました。


 竜族の糞活用、始まりの地でもあります。


 1万年ほど前までは栄えた農耕都市だったようですが、現在は小さな農村となっております。ところどころ、昔の建物を保存しているので、時折、人々が訪れる観光地にもなっています。


 飛び抜けて豊かではありませんが、貧しい村ではありません。みんなノビノビと、しかしゆっくりと暮らしています。午前中のうちに甘芋の栽培を終え、収穫の無い限りは午後はもうずっと遊ぶのだとか。


 ただ、都市部に比べると、どうしても寂しいところです。


 それでも御祖父様はここで最期を迎えたがったので、親族が皆反対する中、私は引っ越しと住居とお手伝いさんの手続きを進ませていただきました。


 祖父にとって、一番大事な故郷のような場所ですから。 

 



 竜体でも余裕を持って入れる建物の前に降り立つ。


 小さな村の中では異質なほど大きな建物です。ちょっとしたスタジアム並みの大きさで、村がスッポリ入りそうなサイズをしています。


 現在、御祖父様はここで暮らしています。


 降り立つと同時に人型へと変化し、華麗に着地。


 石畳がベキィ! と鳴った気がしましたが、気にせず行きましょう。ドンマイ私。なに、いままで何度も業者さん呼んでるので慣れたもんですよ。私はね。


 音を聞きつけてやってきたお手伝いさんに怒られつつ、祖父の様子を聞くと、いまは昼寝をされているのだとか。


「最近はすっかり食が細くなられまして……」


「甘芋のペーストは口にしていると聞きましたが」


「今日は、それもまったく……」



 身体が受け付けてくれないそうです。


 私が子供の頃は大食いの私に付き合い、バリバリとお肉をいっしょに食べてくれていた祖父とは思えない状態です。


 思いたくない、状態です。


 祖父の希望に従い、この村へ家族と空輸する事になった際はもう、弱々しく地を這う事しか出来なくなっていました。


 巨大で偉大で、私にとって力の象徴であった人が「スマンなぁ」と力ない笑みを浮かべているのは思わず目を逸らしたくなりました。



 最近は殊更、調子が悪くなってきているようです。


 そのため、暫くは竜族を代表して私が屋敷に詰める事にしました。


 皆が来たがったのですが、あまり大勢で押しかけると祖父に「その時」をさらに自覚的にさせ、尚の事、弱らせてしまう心配があったので私だけが来る事になりました。


 何かあれば直ぐ知らえる準備は出来ています。


 その際は皆、私と同じ方法でやってくる事でしょう。





「…………」


 努めて静かに、祖父の居室へ入る。


 程よく日当たりの良い竜用の広い部屋に、祖父の姿は無い。


 居室と隣接している庭に出て、ひなたぼっこをしているようだった。



 かつては覇気に満ち満ちていて、威厳と優しさを兼ね揃えた竜でした。


 私が幼い頃、まだ飛ぶ事も出来なかった、ただおチビな時代。


 御祖父様は飛ぶ練習によく付き合ってくださいました。何度も見本を見せてくれて、その大地をも震わす羽ばたきは私の憧れでした。


 でも、おチビな私は同じように羽ばたくどころか、飛ぶ事も出来ませんでした。


 御祖父様のように飛びたいのに、飛べない私は直ぐに癇癪を起こし、何度もピーピーと泣きました。その度に御祖父様は――



『そんな事では、立派な竜にはなれんぞ』



 そんな風に、厳しく――しかし優しく、叱ってくれました。


 まあでも、おチビな私は御祖父様の内心とかまったく察さず、ピーピー泣き続けていたのですけどね。次第にオロオロとし始めた御祖父様が私を頭に乗せ、大空を飛んでくれたら、キャッキャと笑っていました。


 いまではもう、私も思い描いた通りに飛ぶ事が出来ます。




 ですが、祖父はもう飛べません。


 祖父は100年ほど前から段々と体調が衰えていき、空を自由に飛ぶ事もままならなくなり、3年前から人型でいるだけの体力すら無くなってしまいました。




 ポカポカ陽気の下、祖父は庭に寝そべっていました。


 翼はもう鶏ガラのようになってしまい、ヒビだらけの鱗に包まれた身体は老い朽ちて倒れた老木そのもの。覇気どころか生気すら、霧散しかけていました。


 覚悟はしてきたつもりです。


 でも、それでも動揺してしまいました。それを表に出さないようにしつつ、御祖父様の近くへゆっくりと近づきます。起こさないよう、静かに。



「…………まだ、帰ってない子がいたのかね?」


「…………」


 御祖父様が目を開く。


 白く淀んだ目を。


「スマンな……背に乗せて空を飛ぶ件は、家族に頼んでおくゆえ……」


「…………御祖父様、メメです」


「お? おぉ……そうか、そこにいるのか……?」


 パリパリと乾燥しきった、しわがれた声。


 思わず目頭が熱くなってしまいましたが、おそらく気づかれずに済んだ筈です。



「ええ、こちらに。貴方様の可愛い孫娘であるメメですよ」


「ふふ……自分で、可愛いなどと言うとは……」


「美しいとは言われるのですが、可愛いと言ってくださる方は殆どいなくなってしまいましたからね。寂しいので自分で言ってます。私、可愛いですよね?」


「おうおう……そうだのぅ……ふふふ……」



 お前は我の、可愛い孫だよ――と、御祖父様は言ってくれました。


 覇気も生気も、老いた身体にはもう殆ど残っていません。


 ですが――その声には、変わらぬ優しさがこもっていました。


 それだけが、私の数少ない救いです。



「もそっと、近くに来ておくれ」


「はい。直ぐ、お傍に」



 お互い、もう直ぐ目の前にいました。


 御祖父様に知覚してもらえるよう、ヒビ割れたその身を撫でる。



「ああ……ううむ……よく、来たな」


「はい。御祖父様に会いたかったので」


「ジジが喜ぶ事を、言ってくれるのぅ……」


「喜んでいただけるなら、いくらでも言葉を紡ぎましょう。御祖父様より引き継いだ王の座にて、舌をくるくる回し続けていたため、多少は自信がございます」



「王座、王座か……王の仕事は良いのか?」


「ええ、皆がよくやってくれているので」


 私が祖父から引き継いだ頃から、王位というのはもう名誉職のようなものだ。


 御祖父様や御祖母様、そして皆が土台を作ってくれていたおかげで、私は結構好き勝手に動く事が出来た。


 おそらく、私が最後の王になる。


 この世界に、もう王は必要ないだろうから。


 人族と竜族が手を取り合い――御祖母様が望んだように――皆仲良く、一つの皿に盛られた沢山の料理を分けあい、食べていくだけで十分なのです。




「近所の子供達が来ていたのですか?」


 祖父が苦しくない程度に寄りかかり、傍に座り込む。


「うむ……まだ幼く、この村ぐらいしか知らんから……竜を間近に見る機会が無く、物珍しいらしくてな。その最初が我というのは、ガッカリさせてしまったであろうが……」


「暫く居座らせていただきますので、その間によく教えてあげようと思います。君たちが接し、話をした竜が、いかに偉大で誉多き存在であったかを」


「いいや……良いよ。我は、良い。それより……お前の羽ばたきを見せてやってくれ。大地をも震わす、力強い羽ばたきを……」


「……はい」


「そしてその背に乗せ、大事に大事に運んで、大空を見せてやってくれ……」


「わかりました」


「今のお前なら、それが出来る。昔は……飛べず、かんしゃく起こして、ピーピー泣いているだけの子だったんだがのぅ……」


「どんだけ昔の話ですか。まあ事実ですが……でも、今の私はスゴイですよ? 御祖父様直伝の羽ばたきで、星々の間を駆け巡っています。最速最強の竜と言っても差し支え無い筈です」



 そうだの、と御祖父様が同意してくれる。


 まどろんでいるようで、優しく――力なく。



「…………」


「…………」



 眠らせてあげるために、黙る。


 居心地は悪く無いけど――少し、悲しい沈黙が流れた。



「……メメ」


「はい」


「お前には……色々と、不自由な思いをさせた」


「私は不自由に感じた事など、一度もありません」



 御祖父様が僅かに身をよじる。


 まるで苦しげに首を振るように。



「不自由に感じるような、心すら我は養ってやれなんだ」


「私は御祖父様に沢山の事を教わりました」


「沢山の事を、押し付けた」


「見解の相違があるようですね」



 不自由を感じた事が無い、というのは嘘だ。


 でも、その多くは自分の頭で考え、納得したうえで、自分で決めた事なのです。


 私が成すべきことだと感じ、成したいと思って決めてきたのですから。


 御祖父様や家族――そして、皆のためになりたくて。



「王位だけではなく、様々な重い責務をお前に背負わせた」


「大したことない、へっちゃらなものしかありませんでした」


「強がらなくて、良いのだ」


「強がってなどいません。私はドラゴンです。そんなやわではありません」


「我は…………お前から、父親を奪った」



「……父は咎人とがびとです。


 偉大なる竜の御手を賜っただけ、幸い過ぎる方でした」



 御祖父様が息を漏らす。


 長く、長く――風船から空気が漏れるように。


 そのまま萎んでしまうんじゃないかと、私は気が気ではありませんでした。




「あまり、アイツを悪く言ってやってくれるな」


「いいえ。会う機会があれば、私がボコボコにしてゴメンナサイと言わせます」


「理由が、あったのだ……。大っぴらに許せとは、流石に言えないが」



 理由があれば、人族を害していいとは私は思えません。


 ですが……まだ豆粒のようだった私はともかく、御祖父様は想うところがあるのでしょう。私と違い、自分の目でしっかりと見据えてきたのだから。



「アイツは我と違い、手が届くほどの距離の出来事だったのだ。人族に母を奪われ、悔し涙を流し、怨嗟の声をあげていた。……我はあの声を、未だ忘れられん」


「…………」


「我の事は憎んで欲しい。だが……もしもこの先、あの世というものがあったとして……アイツに会う機会があれば……お前は、許してやってくれんか……」


「…………」


「…………」


「……その機会が来るまで、考えておこうと思います」



 そうか、と御祖父様は言った。


 ただ短く、それだけ。



「…………」


「…………」


 御祖父様は伏せったまま、目を閉じていた。


 まどろんでいるのか、そうでないのか、判断がつかなかった。


 眠っているのなら声をかけてはいけない。


 けど、これきりで話せなくなるのは……嫌でした。




 そんな折、騒がしい声が聞こえてきました。




 それは、人ではありませんでした。


 御祖父様の鼻先に降り立ち、ピチチチチとうるさくさえずっています。



 小鳥です。


 人の手でも、軽く握りつぶせそうなほど小さな生き物。


 それが盛んに鳴きわめき、御祖父様の眠りを妨害していました。



 私はそれを軽く手を振り、追い払おうとしました。


 しかしそれより早く、目を開いた祖父が私を止めたのです。



「御祖父様、こんな子がいたら安眠できないでしょう?」


「いや、良いのだ。……今日も、取ってきてくれたのだな?」


 小鳥は「ピッ!」と甲高く一声鳴きました。


 そして、鼻の上に落とし置いていた何かを咥えたようでした。



「木苺、ですか?」


「うむ……そのようだ」


 御祖父様が少し苦心して、口を開く。


 すると、小鳥は木苺を咥えたまま竜の口内へと入っていったのです。




 人族はともかく、他の生物が竜に寄ってくるのは珍しい光景です。


 人型に化けていても本能的に我々の正体を察するのか、近づいてくる事は稀です。餌をやろうとしても、怯え逃げてしまうので。



 その筈なのに、この小鳥は頻繁に御祖父様のところへ来ているようでした。


 その上、竜の口内に躊躇いなく入っていくなど……。




 小鳥は直ぐに戻ってきて、まるでそこが定位置と言い張るように御祖父様の鼻先へと再び止まりました。不敬ですが、私には止める事が出来ませんでした。


 御祖父様も振り払おうとしません。


 バクン、と口を閉じ、軽く――木苺を――咀嚼しているようでした。



「うむ……美味い。大義であったな」


 優しく、それでいて満足気に御祖父様が声と息を漏らす。


 小鳥はそれに「チ!」と短く鳴き、御祖父様の鼻先に座り込みました。


 そして時折、うるさく――歌うように――囀っています。



「ここに来てから、よく、飛んできてくれるのだ」


「そうだったのですか……」



「木苺を、よく差し入れてくれてな……。


 昔、ずっと昔……同じように木苺を持ってきてくれる小さな娘がいた。


 その子も、この小鳥のように……騒がしい子でなぁ……」



 騒がしいと言いつつ、御祖父様は嬉しげなご様子でした。


 小鳥の囀りを聞きつつ、再び目を閉じられています。


 ですが……穏やかに、微かに笑みを浮かべられているようでした。



「我は、薄情だから……もう顔を、よく覚えておらんのだ……」


「……昔の事なら、仕方ないですよ」


「ああ……だが……願わくば、もう一度……一目でいいから、会いたいのだ」


 




 人族は脆く、短命で、直ぐに死んでしまいます。


 長命な竜族は、それを幾度となく見送ってきました。


 ですが、そんな竜族にも……終わりが訪れるのです。



 御祖父様が亡くなられたのは、私が逗留を始めた一ヶ月後。


 私が子供達を乗せ、空を舞って帰ってきた後、もう意識が戻りませんでした。


 竜族が作る流星群が途絶えた後の、静かな夜。


 沢山の竜族と人族に囲まれ、御祖父様はこの世を去りました。



 最期の言葉は、「やはり、お前だったのだな」というものだったそうです。


 鼻先を見つめ、優しげな笑みを浮かべて……。



















 


 御祖父様がこの世を去り、1年の月日が流れました。


「1年で、アレかぁ……」


「高っかいねぇ、すっごいねぇ!」


 曾孫が関心したように声をもらし、私の孫の孫のそのまた孫の……まあとにかく子孫の産まれてそう年月の経ってないおチビちゃんが、楽しげな声をあげました。


 祖父がこの世を去った、甘芋の取れる小さな村にて亡き祖父を懐かしむ集まりをするため、皆で集まったのです。


 皆の関心は、一つの木に寄せられていました。



 それは私が御祖父様の遺言に従い、埋めた一本の木でした。


 御祖父様と御祖母様と……私の父の遺灰と共に埋めなおした土の上に、墓標代わりに埋めるように言われ、埋めた一本の木でした。


 元は小さな苗木でしたが、今は綺麗な花を降らせる大木へと成長していました。


 たった1年で、どんな竜よりも大きな大木へと姿を変えていたのです。



「そのうち、村とか飲み込んじゃわないかなぁ……」


「大丈夫でしょう。御祖父様が何とかしてくださいます。気合で」


「大婆様が無茶振りして、テッテテテテテッ!?」


「誰がババアですか、誰が。女王様とお呼びなさい」


「暴君だ! 暴君がここにいるよぅ~~~!?」




 大木の下に皆の笑い声が響く。


 この声は、御祖父様に届いているのでしょうか。


 届いていてほしいと、私は思いました。




 人も竜も、いつかは死にます。


 ですが死してなお、残るものはあるのです。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

ドラゴン農家 @yamadayarou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ