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 中二階の部屋に入ると、そこから、小尖塔の中心を巡る長い長い螺旋階段が始まっていた。ぐるぐる回りながら尖塔の最上階に達し、扉を開けると、尖塔より高く突き抜ける鐘楼の中腹に出て、その内壁に、さらに上へと昇る階段が作りつけられていた。


 鐘楼の内側は広大な吹抜になっていて、時計を動かすための巨大な機械構造がゆっくり音を立てて動いていた。……鐘楼の最上層へたどり着くためには、この巨大時計を横目に見ながら、もうしばらく、鐘楼の内側に作りつけられた階段を昇らなくてはならなかった。ごとごと……ぎぃぃ……と、低い音がいくつも重なる。建物が古いからだろうか、時計のパーツの多くは木製で、時計というよりは複雑な風車といった様相だった。


 鐘楼の最上層が見えてきた。下から見るとロの字の狭い回廊になっていて、中央に鐘がぶら下がっている。鐘には綱がとりつけられ、綱はいくつもの木製滑車を通って時計構造までつながっている。定時になれば綱が引かれて鐘身が動き、内部の、舌と呼ばれる金具にぶつかって音を立てるというしくみだ。


 階段を上りきった。とたんに、びゅう、と強い風が吹き抜けていく。雲が速い速度で流れていくのが見え、空はいっそう暗くなっていた。ここからは、街はむろん盆地全体が一望できた。プリストリ城塞で最も高い場所だ。回廊の外側はもちろん、鐘の吊られている内側も、見下ろせば目のくらむ高さになっている。……落ちたら、ただではすまない。


 そのくせ、転落を防ぐ防護柵は、内側も外側も、あってないがごとき腰ほどの高さだ。「命綱なしの作業禁止」と、貼り紙がある。たとえは悪いが、今この場でシェリーの手を取ってランラとフォークダンスを踊ったら、ジルバで振り回したとたんにその柵を突き破って、神の御下みもとまで飛んでってくれることだろう。


 そしてここに、風に裾をはためかせながら立つ、聖衣を着た男がひとり。


 「ブラッケン教区長様!」


 シェリーが叫ぶ。その声に、男がゆっくり振り向いた。


 ウトよりも若い、精悍な風貌……髪はぼさぼさと肩口まで伸び、鼻にも顎にもひげをたくわえている。全体が薄汚れており、山篭りの行者といえば通りそうだが、その顔には生気がまったくなく、白眼をむいていた。……振り向いただけで、動く気配がなく、白眼のままぼぅっと突っ立っている。自我を失っているのは確実だ。


 有無を言わさず殺す、の選択肢を選ばなけりゃならんのか。おれは、トンカチを構えた。




 「ブラッケン……様……」


 おずおずと、シェリーが、近づく。


 「未だ神にぐ者が居るカ」


 声がした。低く、異様な、尋常ならざる声に、シェリーが身震いして足を止めた。その声は、どこからともない虚空から聞こえてきていた。ブラッケンの口は動いていない。


 「神に祈ぐとて、人の為すはすべて徒事に帰すのみサ」


 この言葉と同時に、至近距離にある鐘が、突然動き出した。何が起きるか察して、俺もシェリーも、とっさに耳を押さえる。


 至近距離から、耳を塞いでも突き抜ける大音量で、鐘が鳴り響いた。……グァランガラン……グァランガラン……殴られて頭ん中ぶん回されるような、音の衝撃に思わず膝をつく。


 ……衝撃的だったのは、音だけじゃない。


 これは、時鐘じゃない! 一時間がこんなに早く過ぎるはずはない!


 時計が壊れたか……お天道様がグレちまったか……いや、そんなことじゃない。このときおれははっきり確認した。滑車は動いていない。時計と連動していない。鐘そのものが、勝手に動いて勝手に鐘舌を叩いているのだ。なら、答えはもうひとつあるだろうよ? だが、それを考えている余裕はなかった。


 鐘の動きが止まると同時に、ブラッケンが動いた。まるで、余韻による空気の振動が力を与えているかのように、彼の手の中に白い光球が生まれ出る。まずい!


 「教区長様、目を覚ましてくださいっ!」


 シェリーが目を潤ませながら叫ぶが……オネガイでなんとかなるんだったら、おれも今すぐ土下座してやらぁ!


 ブラッケンの手から、光球が放たれる。おれはとっさに、シェリーを小脇にひっ抱えて逃れようとしたが……間に合わなかった。


 神聖魔法は人間にはダメージを与えない、だが圧力はある……なるほど。ウトがどういう目にあったのか、よくわかった。おれたちは弾き飛ばされ、わずかな高さの防護柵に叩きつけられた……めりめりめりっと音がして、あっけなく、柵は壊れた。時計の文字盤がある、中央広場に向いた側の、……高度十数メートル。


 落ちるまいと耐えようとしたが、どうにもならなかった。光球の圧力が、勝っていた。


 声にならない悲鳴をあげて、シェリーがおれにしがみつく。


 落ちる。


 落ちながら、おれは、右手のトンカチを振り上げた。


 落ちながら、むりやり体のバネをきかせて、トンカチを、思いきり、叩きつける! どこへ? 大時計の、針は、金属製だ!


 神よ!


 ……きぃん! と音がした、同時におれは右手を光らせる、溶接・・


 おれのトンカチ全体が赤く光り、飴状の物体になって、時計の長針へからみつく。


 ……がくんっとブレーキがかかり、……落下速度がゼロになった。




 右手に、トンカチと時計の針がいっしょくたになった物体。左の小脇に、シェリー。


 「……大丈夫か?」


 「……は、……はい……」シェリーは、さっきまで乗っていた馬車が米粒のように見える高さに青ざめていた。


 シェリーの体温と吐息が伝わってくるが、とてもじゃないがエロい想像などしている余裕はない。むしろ、腕だけで命ひとつ支えている現実に慄然とする。


 無理のある体勢を続けてきしむ筋肉の痛みに耐え、どうにか集中を保って、トンカチのなれの果ての形状を変えていった。落ちる勢いもコミで長く垂れ下がったそれを、少しずつ針の回転軸にからみつかせる。回転軸は出っ張りになっていたので、おれはどうにかそこにシェリーを座らせた。


 おれ自身は、残った短針の根元をひん曲げて足場を作り、文字盤を背にして立った。どうにか、風が汗を乾かす感覚が戻ってきた。


 「どうして、こんなことに……」


 ひどく落ち込んだ様子のシェリー。呑み込まれるような高さを味わったことと、それに何より、尊敬する教区長に叩き落とされたって事実が、相当ショックだったようだ。


 「シェリー」


 「……はい」


 「さっき思わず、神に祈っちまったんだが、……リトゥリー神は許してくれるかな?」


 シェリーは少し顔を上げて微笑んでくれた。こんなんでも慰めになるんなら、魔法鍛冶はいくらでも恨まれ役になるさ。

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