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 「なにごと?!」


 シェリーが目を丸くし、大慌てで馬車を降りて、玄関口の短い石段を駆け上がった。


 幸い、おれにかけられた戒めの魔法は、足まで縛ってはいない。おれも、後を追った。


 玄関先に、横たわるウト。その向こうで、開いた扉が、グィーュウ、ギギギギと、不快なきしみと擦過音をともなって閉まった。さらに、がちゃりと鍵のかかる音がした。一目散にウトの傍らに駆け寄ったシェリーは、その音を気に留めていない様子だ。


 「う……うぅ……」


 出血はしていない。だが、目を見開き眉間にしわを寄せ、脂汗を大量に流して、喉の奥から呼吸ともうめきともつかない音を漏らして、ひどく苦しげだ。手は腹を押さえている。おれにはこの傷がどういう類のものなのかよくわからなかった、だが、シェリーは一見してひどく顔を曇らせ、傷とおぼしきところに触れ、ウトがひどく顔をしかめる反応を確認して、なお険しい表情になった。


 「ブラッケン殿が……中で……たいへん……はやく……」


 ウトは、リズムにならない呼吸の合間にどうにか声を絞り出して、何か伝えようとしていた。


 「今は、しゃべらないでください……」


 シェリーの手に、淡い色の球体が生まれ出る。おそらく、癒しの神聖魔法だろう。それで体を包み込むと、ウトは目と口を閉じ、静かに寝息を立て始めた。


 扉の傍らにその体を横たえた後、シェリーはひとつごくりとつばを飲み込んだ。


 「中で、いったい何が……?」


 シェリーは扉を開けようとして、把手に手をかけた。……が、ひねると、がちっと音がして、開かなかった。


 「……開かない……中から、鍵?」


 ぐるりと見渡してみたが、少なくともこの正面玄関には、他に扉は見当たらない。窓にも、頑丈な格子がはめられていて、このお嬢さんひとりでは、何とかなりそうにない。建物の側壁や裏側に回れば他の入り口か何かあるかもしれないが、万人が無差別に出入りするはずの教会の正面玄関に鍵がかかっているなら、他は推して知るべしだろう。


 ひるがえって、この扉は、扉に最初から組み込まれているタイプの大型のレバー錠だ。当然、正しい鍵を鍵穴に入れて回せば扉は開く。……てなふうに観察していると、シェリーに、きっ、と睨まれた。たぶん、魔法鍛冶が扉の壊し方を算段していると思ったんだろう。


 「合い鍵は私が持ってます!」


 言って、シェリーは懐をまさぐりだした。……どこから取り出すかと思えば、なんと彼女は、教会の合い鍵を、鎖でつないでペンダントのように首から下げていたのだった。扉がでかいだけに、長さが一五センチほどもあるかなり大振りの鍵だ。


 そんな重たげなものを、なくさないように首から下げているとは、ガキじゃあるまいし……と思ったが、鍵穴に鍵を差し込むその手つきのおぼつかなさに、あぁ、ガキなのかと思い直しておれはため息をついた。


 が、鍵は回らなかった。


 「あ、あれ?」


 がち、と何かに引っかかるような音がする。シェリーは力を込めたり、右に左に回したり、いろいろやったが、あせればあせるほど、うまくいかない。


 「急がなきゃいけないのに……教区長様……」


 「合わない鍵は力を込めたって開きゃあしないよ」おれの出番らしい。思わずにやりと笑みがこぼれてしまった。「……おれの戒めを解く気はないか?」


 シェリーは、何度か目をぱちくりさせた。


 「で、でも、あなたは……」


 「おれなら、扉ごと壊せるぜ。錠前でも蝶番でも、おれにかかれば一瞬で錆になる」


 「そ、そんな、操金魔法は教義に反します! まして扉を破るなんて!」


 「じゃあ、『直す』ってんならどうさ? 鍵師なんぞ呼んでこなくてもチョイチョイだ」


 「この錠、壊れて……?」


 「錠だけの問題かな」おれは答えた。


 もう一度、扉をよく見てみる。頑丈そうな扉なのに、少し歪みがある。蝶番のネジ止めの歪みは、さらに顕著だ。全体的に、少し外側へ張り出しているようだ……つまり、扉全体に、内側から、扉を破壊しかねないくらいの強い力がかかったということだ。錠前も、それと同時に傷んだ可能性が高い。


 こんな状態の扉は、開け閉めのときかなり音を立てるはずだ。実際、今この扉が閉まったときはかなりきしんでいたが、ウトが入っていくときは、そんな音はしなかった。


 「たぶん、さっきおっさんが叩き出されるときの衝撃で、扉が壊れたんだろう」いったい何がどうやって、これだけの衝撃を……?「その状態で無理に扉を閉めて、無理に鍵をかけたな。力だけじゃ、たぶん開かない」


 シェリーは黙り込んでしまった。


 「どうする? 操金魔法ってのは、対象への『接触』が最低条件だ。おれは両手塞がったままで鍵の内部に触れるほど器用じゃないぜ。……中では、ブラッケン教区長殿がどうやらたいへんなことになってるようだが……はやく、行きたいんじゃないのか?」


 「で、でも……」


 この期に及んで、教義と人命を比較して教義を取るような神官とは、おつきあいしたくないもんだ。何をためらっているのか。


 よくわからないが、シェリーの表情はかなり複雑だった。ときおり、ちらとおれを見る。


 どうやら理由のひとつは、「犯罪人の口車に乗る」ことへの抵抗らしい。逃げるとか、暴れるとか、襲いかかるとか、そういう恐怖を感じているものと見受けられた。……たぶん、魔法鍛冶がいかに極悪人かということについて、それはそれは優秀で権威のあるえらい神官に、ないことないこと吹き込まれてるんだろうな。てやんでぇ。


 しかし、最後には、どうやら、決断してくれたらしい。


 「い、い、いちどだけですからね!」


 シェリーはしぶしぶ、というよりは、ものすごく緊張した面もちで、おれを戒める光の輪の魔法を、解除した。




 「よっし……そんじゃ、いっちょやるか」


 解除してなお、どきどきしているシェリーを尻目に、さっそくおれは、でかい図体を扉の前にちぢこまらせると、手を光らせ、錠前に触れてみた。鍵穴を少し広げて、指を突っ込み、中の機構にも触れてみる。……驚いたことに、そのとき鍵穴を覗き込んで見ると、内部の様子が少し見えた。扉が歪んでいるだけでなく、鍵の機構を包むボックスさえもが破断して隙間が空いていたのだった。小石か何かが強い力で当たったのだ。その石の破片がそのまま機構に入り込み、鍵の回転をつかさどるタンブラーと呼ばれる部品の動作を阻害している。


 この壊れ方は人がぶつかっただけで起きたものじゃないな。もっと違う「巨大な力」が発生して、ウトだけでなく周囲のものももろともに扉に叩きつけられたんだ。それは、垣間見えた内部の様子からも明らかだった。


 小石を取り除いて、あと、かんぬき棒の摩擦が極力減るように歪みを是正する。


 このまま操金魔法で錠前の機構を動かしてこじ開けてしまってもいいんだが、心証が悪そうなので、この時点でおれは錠から手を離し、シェリーから鍵を受け取った。長さ・位置に注意しながら差し込んで、ゆっくりと回すと、鍵はかちゃりと小気味よい音を立てて、回った。

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