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 ごとごと揺れる馬車は、盆地の縁をネジ巻き状に下る街道を進んだ。少しずつ角度を変えて広がっていく盆地のパノラマを堪能したいと思えど、拘束されて睨まれているのではそういう気分にならない。プリストリ公領を大きく囲む二重防塁の隙間を抜け、川沿いに広がる農地といくつかの集落を過ぎ、やがて盆の底の城塞都市にたどり着く。


 巨大な城門は固く閉じられていた。しかし小さな通用門らしきものがあり、馬車は誰に咎められることもなく城門をくぐった。


 市街を貫く大通りに入り、閑静な町並みを進んでいくと、やがてワゴンの窓から大きな教会が見えてきた。あの里程票の辺りから見えた、鐘楼を備えている。


 街の広場に面した、上質の白い石材で組み上げられた立派な建物だ。いくつもの尖塔が競うように伸び上がって天を臨み、魔除けの彫刻が屋根の上に居並んでいる。下に行くほど太くなる円柱がその屋根を支え、大地を押さえ込んでいるかのようだ。そこにある神を恃み魔を拒む力強い原始的な意図は、窓という窓に施された色鮮やかでステンドグラスの優美さと混交して、威圧よりも崇敬を導く。


 教会というよりは古代の神殿だ。その威風堂々たる様式美ゆえ、宗旨が変わっても建て替えをせず、そのまま使い続けているらしい。……が、おれは、美しさというよりは、なぜだかひどくうらさびしさを感じた。


 見上げてみると、例の鐘楼は、正面玄関の真上から、四つの小尖塔に囲まれて、高く天を衝いていた。最上層に鐘があり、鐘の下の壁面に、巨大な時計が備えつけられていた。いま、午後一時三〇分。おそらく、時計と鐘は連動して正時に自動であの快い音色の時鐘を鳴らすのだろう。


 馬車は、教会のだだっぴろい玄関口の前で止まった。


 「私がブラッケン殿に帰還報告をして、逮捕者についても指示を仰いでくる。シェルアディール、あなたはここで彼らを監視していたまえ、すぐ戻ってくるゆえ」ウトが、そう言い残して先に下りていき、短い石段を上ると、獅子のノッカーのついた鉄製の大きな扉を音もなく開けて、中に入っていった。


 いよいよおれが犯罪人となるときが来たようだ。おれ自身は、犯罪をしているつもりなんかこれっぽっちもないんだが、それでも年貢の納めどきってのはあるらしい。


 ま、じたばたしてもしょうがない、か……。




 ところが……。


 あんなによく晴れていた空が、急に曇り出して暗くなってくる頃から、こちらの雲行きもまた、よろしくなくなってきた。


 「おっかしぃなぁ……」御者が、御者席からワゴンに通じる小窓を開けて、言った。「シェリーさん、今日、何かありましたっけ?」「さぁ?」


 町の様子が、どうもおかしかった。ここは街の中央広場のはずなのに、さっきから人っ子ひとり見当たらない。魔物が多数出ているのなら大賑わいのはずもあるまいが、それにしても静かすぎる。動くものといえば風と砂埃と、並木の枝ばかりだった。通りに面した民家の窓はいずれも堅く鎧戸で閉ざされ、人が中にいるのかどうか窺い知ることはできない。


 ふむ、とひげをひねりながら、旦那が、お嬢さん神官に言った。


 「シェルアディール殿」


 「え、あ、『シェリー』でけっこうです」


 「では、シェリー。プリストリ公は、昼間出歩くことを禁ずる規則でも作ったのかな?」


 「無用な外出は控えるように、というおふれは出ています。でも、禁じたということはないんですが……」


 「魔物どもに攻め込まれて全滅しているというのではあるまいな?」


 「確かに、周辺の集落には魔物に襲われて人の住まなくなったところもあります……でも、私たちには女神リトゥリー様の御加護があるんです!」


 実に宗教家らしい、わかりやすい暴論だ。「……おれはそのご加護がない方がありがたいんだが」つぶやいてしまって、思いっきり睨まれた。


 しかし旦那はその答えに、ふむ、とうなずいた。「まぁ、この町が魔物とソウルがはびこる魔窟になっていないってことは、まだこの町が生きてるってことさね。さて、我々はどうしたもんかな」


 お嬢さん神官シェリーが、困った顔をして、肩を縮めた。上役のウトが出ていってしまったので、どうしていいのか、ひとりでは判断がつかないのだろう。まぁ、責任を負うというには、酷な年頃だが。


 旦那は、また、ふむ、とうなって、少し考え込んだ。


 馬車の中の空気が、重く感じられる。


 すぐ戻ってくると言ったはずのウトも、戻ってこない。


 「実は、城門にも衛兵はいませんでした……」御者が言った。「私たち顔パスですし、このたいへんなときに何をサボってるんだろうって思ってたんですが……ちょっと私、様子を見てきましょう」馬車を降りて、近くの立木に馬具をくくりつける。


 「こういう場合ひとりは危険だ、魔物がらみならなおさらだ」フェザートの旦那が顔を上げて言った。「俺も行こう、状況を知りたい」


 「逃、逃げる気ですか?」シェリーが慌てる。


 「逃げるも何も俺は罪人じゃない」旦那はしゃあしゃあと言った。ひでぇや、旦那。「荷物と武器はここに置いていこう。それで文句はなかろう」


 「はぁ……」


 困った顔をするシェリーを置いて、旦那は馬車を降り、若い御者とともに去っていった。旦那は、徒手空拳でも魔物三体蹴散らしたことのある人だから、なんの心配もないが……。


 問題は、こっちだ。


 ふたりっきりっていえば聞こえはいいが、おれはまだ光る輪で拘束されたまんまだから、ロマンチックなもんじゃない。


 ウトも戻ってこない。


 おれを捕まえるときにゃあれだけ気丈だったシェリーが、少しずつ不安げになり、ひどくそわそわし始めたのが見て取れた。「……まだかなぁ、ウト様……」小さく、つぶやく。


 まだかなぁってのはこっちのセリフだ……いつまでまな板の上の鯉でいればいいんだよ。


 うんざりとどきどきが混ざり合った不快感がどこまでも続いた。永遠にそいつを味わうのかと恐ろしくなるほど、時間だけがゆっくりと流れていった。




 やがて、


 カランカラン……カランカラン……。


 時鐘が、鳴った。到着から三〇分が過ぎたことになる。長かったんだか短かったんだか、今のおれにはよくわからない。その音をおれは快く聞いた。萎えていた気分が和らいでいく。熟練の鋳造家が、丁寧に調音したんだろう、空に溶けていく軽やかな響き……。


 と、突然、響きの中に鋭いノイズが混ざった。……だん! がん! ばん! ……シェリーが驚いて、激しく体を身震いさせる。


 音は、教会の玄関口からだった。ワゴンの窓から目に入ってきたのは、扉が激しく開き、先ほどそこから入っていったウトが、まるで白いカタマリになって戸外へ弾き出される光景だった。

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