-6-

 「開いた……」


 シェリーは不思議そうな顔をした。……うれしそうな顔、ではなかった。


 「ざっとこんなもんだ。文句なかろ?」


 おれは立ち上がり、鍵をシェリーの首に戻してやった。なにぶんタッパの差があるせいか、その行為が威圧的に映ったのだろうか、シェリーがびくっと体を震わせて怯え、再び手の中に魔法を作りにかかる……さっきの、人を拘束する光の輪の魔法だ。


 「い、いちどだけと言いました! あらためて捕縛を……」


 おれは頭を掻いた。あきれた女だ。


 「この中にひとりで入る気か?」


 言って、力を込めて扉の把手を押した。きしみを立てて、扉が開く。


 ……中はがらんとしていた。しすぎていた。身廊に沿って並んでいた座席があらかた壊されていたのだ。床に破片が散らばり、ここで大がかりな破壊が行われたことを物語っていた。内部の柱も、柱は無事だが装飾の彫刻はいくつも無惨な破片や亀裂をさらしている。……奥に据えられた教壇や女神像やステンドグラスは対照的に無傷で、美しくも所在なさげだ。


 この様子を覗き込んだシェリーがひどく身を硬くした。


 「どうして、こんな……」


 自分の仕事場が荒らされているんだから、誰しも驚くとは思うが、それにしても、シェリーの緊張度合いは尋常ではなかった。……よくわからん、やっぱり、いちばん怖いのはおれなんだろうか。


 やなこった、こっちだっていつまでも犯罪者扱いじゃたまったもんじゃない。


 「魔物かソウルが、中に入り込んでるな。ウトっておっさんは、そいつにやられたんだ。ブラッケンってのも、どうなっているんだか……」トドメを刺すことにする。「手遅れに、ならなきゃいいがなァ」


 シェリーは泣きそうな顔をした。


 「調べに入るんならついていくが、手ぶらは、イヤだぜ」


 「……お願い、します」シェリーは厳しい表情のまま、言った。


 これでお許しが出た。おれは、馬車へとって返し、取り上げられた荷物の中から、愛用の大トンカチを手に持つと、ぶん、と頭上で一回転させた。うん、やっぱこいつがないと落ち着かねぇや。


 そんなおれをなおこわごわと見るシェリーの前に立って、おれは破壊された教会の中へ足を踏み入れた。




 教会の中はがらんとしているばかりでなく、しぃんと静まっていた。ときおりどこからか、みし、みし、と木の破片がこすれあうような音がやけに響いて聞こえてくる。何か、下水道のような悪臭も漂ってくる。


 戦士一筋四〇年の旦那なら、ソウルの気配ってのがわかっちまうんだが、おれはなかなかそこまではいかない。おれにわかるのは、じわじわと肌に伝わってくる、暗さ、涼しさ、うさんくささ、そんなところだ。女神のフレスコ画が描かれた天井はおれの背丈で見上げてもはるかに高く、背景の雲がまるで本物のように遠く見えた。それなのになぜだか圧迫感があって息苦しいのは、荒らされていることよりも、教会という佶屈きっくつとした空間そのものの力かもしれない。ステンドグラスから入り込む色つきの光が、おれたちの影に絡んで束縛しようとしているように思われた。


 「ブラッケン様……奥かしら……」


 シェリーが、破片の散らばっていない場所を選んで、身廊を少し先に進み、教壇と扉との中間くらいの位置に立った。そこで首をぐるりと回し、……あ、と声をあげた。「ブラッケン様?」


 見上げる視線の先を追うと、白い人影が、高い位置の窓に沿うキャットウォークの回廊から、中二階の部屋へ入っていく。


 「あそこは?」


 「あの部屋から、鐘楼に登れます」


 「追おう! 上がる階段はどっちだ?」


 あっちです、とシェリーが指差した先には、壊れた座席の破片がうず高く積もった小山があった。これを乗り越えていかないと、回廊に上がる階段へはたどり着けないらしい。


 ともかく先に進もうとすると、


 カランカラン……カランカラン……


 鐘が鳴った。一瞬、ああ、またかと聞き流しそうになって、……はっとした。


 ついさっき、鳴ったばかりのはず……?!


 次の瞬間、がらがらと木が崩れる音がした。「破片が積もった山」に見えたものは、体中に破片をまぶしたネズミの魔物だったのだ。巨大で、牙が異常に成長したネズミ。体高がシェリーの背丈ほどもある。目をらんらんと光らせ、憎しみと怒りに満ちているようだ。……ネズミに憎まれる覚えはない、おれたちがチーズじゃないから気分を害したのだろうか。


 シェリーがその異形に驚いて、きゃっと一声あげるとおれの後ろに隠れた。おれも思わず、これは一仕事せねばなるまいとてトンカチを構えたが、


 「……よく考えたら、きみ、魔物もソウルも一撃にできる神聖魔法、使えたよな?」


 「あ、は、はい」


 「突進だけは防ぐから、そいつを一発ぶち込んでやってくれるか?」


 シェリーはうなずくと、目を閉じて祈り始めた。……すると、手の中に白い光の球体が生まれ出す……数秒、かかるらしい。


 ネズミは待たなかった。連中のちうちう鳴く声はもっと甲高いもんだと思っていたが、図体がでかいせいか、こいつは錆びついたノコギリみたいにぎゅうぎゅう鳴きやがる。床の木くずを踏みしめて、小股にちろりちろり何歩か間合いを詰めてきた後、やおら長い牙をむいて飛びかかってきた。


 もちろん好きにはさせない。その牙に向けておれはトンカチを振り下ろす! 牙と鉄で鉄の勝ち、牙をへし折って、ネズミを床に叩き落とした。


 ネズミがひるんだところで、シェリーが一歩前へ出た。「このぉぉぉ!」声とともに、その手に生まれた光球が放たれ、螺旋を描きながらすっ飛んでいく。驚いたネズミは背を向けて、じぐざぐ走って逃げようとしたが、光球はしっぽを追い、背に食らいつき、白い光で包み込んだ。すると木やかぶと虫の魔物と同じように、ネズミ魔物もいとも簡単にカスになってしまった。……ふぅ、と息をつくシェリー。


 このワザは強い。「女神リトゥリーの御加護」を絶対視したくもなろうものだ。拘束の魔法だってあるわけだし、単純戦闘能力なら、おれはおろか旦那さえ、メじゃない。


 なのに。息をついた後、彼女のこうべは垂れたままだ。




 「……なぁ、ひとつ訊いていいか?」


 「はい?」


 「そんなに強い魔法を使いこなせるのに、さっきから何をびくびくしてるんだ?」


 はっと顔を上げて……また、伏せる。


 「強い魔法だから、です……」シェリーの唇から、ぽつり、と言葉がこぼれた。「ウト様の傷、あれは、神聖魔法によるものです……」


 一瞬、彼女が何を言い出したのかよくわからなかった。「神聖魔法ってのは、ふつう、人を傷つけないもんじゃないのか?」


 「光球の魔法は、圧力はありますから、……扉に叩きつけられたのなら、あんなふうに……」


 「つまり、ウトは神聖魔法の使い手に吹っ飛ばされた、と?」それもこの教会の中にいる人間。いるはずの人間。シェリーの上役であるウトでさえあっさりやられてしまう相手。「……ブラッケン教区長、ってことか?」


 ウトが、痛みをおして苦しげに残した言葉。あれは、「ブラッケンが中でたいへんな目に遭っているからはやく助けよ」ではなく、「ブラッケンが中でたいへんなことをしでかしているからはやく阻止せよ」という意味だったのか……。


 となると、ブラッケンがソウルに憑かれてしまった可能性がすこぶる高い。


 「信じたくないです……でも、私、教区長様に会うのが怖くて……」


 「でも、心配なんだ。救えるものなら、今すぐ救いたい、と」


 「私にとっては、父親のような……それ以上の存在ですから」


 教区長クラスの神官を取り込んだソウル。……並じゃねぇな。相手が教区長とあっては、シェリーの神聖魔法が通用しない可能性もある。だが、おれが見たあの白い影は確かに人間だった、魔物化していない以上、助かる余地はまだあるかも知れない。


 顔を伏せたまま、泣き出しそうなシェリー。ふん、と鼻をひとつ鳴らして、おれは腹をくくった。トンカチを背負い直して、ネズミのカスを蹴り飛ばす。


 「行こう。ブラッケンは鐘楼に上ったんだろう」


 「でも……」


 「最悪の場合、おれが有無言わさず殴り殺す」


 「……!」


 「どうせおれは犯罪人だ。懲役で奴隷みたいな生活を強いられるくらいなら、首はねられた方がマシだからな、ついでに殺人の汚名も着て土壇場に行ってやる。だから……」おれは、ちっこいシェリーの頭をひっつかむと、自分を見上げさせて、はっきり言ってやった。「てめぇは、教区長を助けられるって可能性だけ、信じてりゃいいんだ」


 「あ、……、はい……」


 答えを待たずに背を向けた。トンカチを担いで階段へ向けて歩き出した。何だか照れくさい。だが、おれへの心証を正すためにも、まずは信じてもらわなけりゃ、始まらないんだ。


 また、ぽつりと声が聞こえて、おれは少し安心した。


 「ありがとう、アッジさん……」

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