思骸のディストーション

kou

#1 幻影復讐 -0- プロローグ 

 目覚ましの音で目を覚ます。このけたたましい電子音は携帯電話に設定したアラームのものだ。

 と、いうことは時刻が最終デッドラインを迎えたことを意味する。

 寝呆けた意識は一気に吹き飛び、ベッドの上でもんどり打って私は起き上がる。

 目に入ったのは眼前に転がっている死屍累々(スイッチを切られたまま乱雑に布団の上に放り置かれた無数の目覚まし時計)。その内の一つが指す時刻を改めて目にして、寝起きにして早々に嫌な汗が背中にぶわっと湧き上がった。

 「こらー!そろそろ起きなさーい!」

 時を同じくして、階下からお母さんの怒鳴り声がする。

 「起きたー!!」と返事をしながら寝間着を脱ぎ捨てる。壁にかけてある制服に手をかけ、急いで着込むと、ドタバタと音を立てるのも厭わず、私は階段を降りた。

 既にお父さんは出かけたようで、居間ではお母さんがテーブルに腰を預けた姿勢でテレビを見ていた。お母さんは私を見ると、「やれやれ」といった風な表情を見せる。悲しいことだが、いつものことだ。

 「お弁当はそこ。朝御飯は?」

 洗面所で簡単に身支度を済ませた私が居間に戻ると、お母さんが声をかけてきた。

 「大丈夫!」

 私は親指を立てる。昨晩は友達に借りた映画を見るために夜更かしをしてしまい、その際に口寂しくなった私は、ついカップ麺を出来心で食べてしまった。そのせいか、朝の空腹感が無かったのだ。

 「夜更かしに間食なんかするからだよ。若い内からそんな有様じゃ、彼氏できないぞ」

 「余計なお世話だよっ!」

 それから、私は「いってきます!」とそのまま家を出た。


 私が通う丹居崎ニイザキ高校までは、電車通学になる。そのため、私は最寄り駅である南丹居崎駅へと走る。

 家を出た時間から考えると、そろそろ見えてくるだろうか。

 そんなことを考えると、目当てのもの――いや、人が目に入る。

 その人は、私と同じ制服を着ている。

 だいぶ、背丈は違うけれど。

 腰ほどまである長い黒髪を頭の後ろでひとつ結びにしていて、それが歩く度に揺れている。この後ろ姿を見ると、いつもと同じ朝が来た、という気分になる。

 「おっはよー!結以!」

 私の声に振り返った友達、伊東結以イトウ ユイは、今日も不思議な雰囲気を漂わせていた。


 「そのボサボサ頭の様子じゃ、ギリギリだったみたいね。今日は終業式なのに」

 結以が走ってきたせいで跳ね返った私の髪を手櫛で溶かしながら目を細めて笑う。一見、その表情は人を小馬鹿にしているように見えがちだが、私からするとそれが彼女の笑顔のデフォルトなのだ。……デフォルトだよね?

 ともかく、結以の笑顔はいつもこんな感じだ。他の同級生だったらもっと「キャハハ」とか「ギャハハ」とか声を上げたりするような場面でも、こんな具合だから、周りからもちょっと不思議ちゃんみたいに思われている。本人は全然気にしていないみたいだけど。

 「結以が貸してくれた映画のせいだよ!止め時が見当たらなくて最後まで見ちゃったんだから!」

 「へえ。それで、どうだったの?」

 「えっとねー……」

 私たちはそれから、昨夜見た映画の話をしながら駅へと歩いた。映画の内容自体は何てことのない恋愛映画だ。けれど、どこか惹き付けられる魅力があった。

 作中で、二人の男女が水族館へ向かう場面があり、そこでの一幕が私は気に入ったと話すと、結以もゆるやかに頷いて同意してくれた。

 タイトルは、『くじらの歌』というのだが、そんな普通の恋愛映画が結以のお気に入りということを考えると、少しおかしく思う。結構かわいいとこあるじゃん、みたいな。


 そうして歩いている内に、私たちは駅に着く。高架の上にある為、階段を登って駅へと入る。いつも通り、電車の到着にピッタリだ。

 間もなくこの駅を通過する、隣県の都市部へ直通している快速電車を見送れば、次に来る電車が私たちがいつも乗る電車だ。

 ホームで話しながら待っていると、その快速電車のホーム通過を知らせるアナウンスが流れる。


 ふと、結以が喋っていた私の唇に人差し指を軽く押し当て、話を遮った。

 「結以……?」

 「……」

 結以は私の顔を覗き込んだまま、口を開かない。私と結以の身長差は結以が高めということもあって(決して私が低いわけじゃない。断じて。……断じて)、意味有りげな目で見下ろす者とそれをきょとんとした顔で見上げている者という構図になる。加えて見下ろす少女の人差し指は見上げている少女の口元に。見るものが見れば誤解されそうな図だ。

 「えっと……どした?」

 そんな格好のままなのが気恥ずかしくなって、身をずらす。


 と、同時にサイレン。快速電車が来る。


 ごう、と風が舞う。同時に、重い音。早朝とはいえ、七月も終わりに近付いた蒸し暑い季節に一瞬涼やかな爽快感が轟音と共に走り抜けた。

 しかし、瞬く間に通り過ぎていくはずの電車は、耳を劈かんばかりの金属音を伴って、その動きを緩やかに停止させる。


 はっとして見ると、結以の姿がない。

 「え……」

 私は頬が濡れていることに気付く。汗ではありえない妙な生温かさに、不快感が湧き出る。

 そして、が結以だということに気付いた私は、がくりと倒れ伏す。

 辺りの景色と、一様に騒がしくなり始めた人々のざわめきが、徐々に遠いもののように思えてきて、私の意識はそこで途絶えた。


 そうして、私の夏休みが始まった。

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