#1 幻影復讐 -8- エピローグ

 伊東家での騒動から一週間ほど後。千里は閑の碧に向かった。千里が店に入ると、そこには数人の客(いずれも常連の顔見知り)と、いつものように霧ヶ峰が先客として訪れていた。霧ヶ峰と会うのは、先日結以の思骸について一同に相談した時以来である。

 千里はカウンターの石橋に向かってアイスティーの注文をすると、カウンター席でワインを煽っている霧ヶ峰の隣に腰掛けた。

 「やあ、閑未來さんから伺ってます。娘さん、元気になったそうです。お疲れ様でした」

 「そうか……。空元気でないといいんだがな」

 「あなたはするべき事を果たしてくれました。お友達の死をどう乗り越えていくか。それは茉季さん自身が考えていかないといけません」

 「それはそうだが、自分の中の罪悪感についてもか?」

 「誰でも、そういう思いは抱えるものです。そうやって、人は生きていくんですから」

 「……」

 伊東結以の件について、千里は彼女の思骸を消し去ることで解決に至った。こうなることは霧ヶ峰の依頼ということで予想はあったが、虐待に自殺、加えて初めて出くわす自分以外の思骸にアプローチできる人物との邂逅。と、気疲れすることばかりだったなと千里は振り返る。

 あれから、結以の父は茉季の証言などにより、虐待の事実が明るみに出たことで逮捕されることになった。だが、娘のことを聞こうとすると錯乱気味になることから、事情聴取などは捗っていないと茉季からのメールで千里は聞かされた。千里との会話の中ではそこまでの異常性は感じなかったが、やはり確実に結以の父親は歪められていたらしい。いや、結以の思骸と同調した茉季が語った伊東父娘の過去からすれば、彼はとっくに歪んでしまっていたのかも知れない。自己の離婚相手への妄執によって……。

 いずれにしても、千里は自身の役割は済んだと言わんばかりに、「そうか」とだけの返信を茉季に返した。

 

 「ともかく、これで今回の件については完了ですね。報酬はいつも通り、振り込ませていただきます」

 「どーでもいいが、その金はどこから出てるんだ」

 「そんなの、石橋くんの給料に決まってるじゃないですかぁ」

 えっ!?と、石橋が固まる。霧ヶ峰はすぐに破顔して冗談ですよぉ~と笑うが、彼女がまともに働いていないのはこの店にいる全員が知っているので、信頼性はまるでないのだった。哀れ石橋……と、千里は胸中で合掌する。

 「それよりも、お前は気付いていたのか?閑茉季の力について」

 「いいえ。私はいつも通り、ただの思骸案件としてあなたに依頼を持ちかけただけです。なので、彼女のことは…」

 ピロリン。霧ヶ峰の言葉を遮るようにして軽快な電子音が響く。千里の携帯電話のメール着信音だ。千里が確認すると、

 「おやおや、噂をすれば……ですねぇ」

 横から覗き込んできた霧ヶ峰の言う通り、閑茉季からのメールであった。

 (一体何だ?)

 事件の後、霧ヶ峰を通じて茉季から千里に連絡があり、その時に茉季とメールアドレスを交換していた。それから、数日に一回はメールが送られてきている。初めは伊東結以のことに関することが主だったが、今は少しずつ千里自身のことについて質問する内容が増えてきていた。

 「むぅ……」

 今しがた届いたメールもまた、そんな内容だった。

 『千里さんがよく行くっていう"閑の碧"ってお店、ついに見つけました!』

 いつだったか、千里はつい閑の碧の話をメールで話していた。店の場所については千里は教えなかったのだが、どうやら自力で探していたことが窺える。

 「随分打ち解けてますね。ちょっと確執がありそうだと思いましたが」

 事情やらはどうあれ、千里は結以の思骸を消し去った張本人だ。ともすれば茉季からは恨まれても仕方がない。だが、実際に事件後茉季から送られてくるメールの文面はそうした背景を感じさせないものだった。てっきり恨み言でも飛んでくるかと思っていたが、メールは感謝の言葉で始められており、これには千里も少しばかり拍子抜けであった。

 「それはいいんだが、どうにもな……」

 どうにも、千里はここ数日のメールには当初の感謝以外の別の意思を感じていた。「お何歳なんですか?」「休日は何してるんですか?」「好きな食べ物は何ですか?」などなど。それらの質問に対してのらりくらりとした返答で交わしている現状だ。

 「えぇ~、どうしてですかぁ?若い女の子と仲良くなろうって気はないんですか?」

 心底つまらなそうに、霧ヶ峰が口を尖らせながら言う。

 「いや……だって、気まずいだろう」

 結果として恨まれはしなかったにせよ、結以を消し去った事実は変わらず、その負い目を千里が感じるのは無理からぬ話だった。

 「でも、感謝しかされてないんですよね?じゃあいいじゃないですか」

 「じゃあいいって……お前なぁ」

 他人事だと思って。と、呆れる千里だったが、ぴっと、指を立てた手を顔の前に差し出されて黙らされる。

 「あんまり後ろ向きに考えるのは感心しませんよ。それに、彼女は初めてあなたと同じ"世界"を見ることができる人なんでしょう。関わり合うことはお互いのためにもよいことだと、私は思いますよ」

 どうしようもなく正しいことを柔らかい目で語る霧ヶ峰。普段の言動を鑑みれば一笑に付すところだが、その言葉は一々胸に突き刺さってくるのだから、手に負えない。千里が諦観のため息をつく。

 (こういう所は、本当に苦手だ)

 と、そこで涼し気なベルの音が鳴る。閑の碧の出入り口に設置された、扉の開閉を知らせる音だ。カウンター席で出入り口に背を向けた格好だった千里と霧ヶ峰が頭だけで振り返る。そこには、背の低い少女が立っていた。

 「あっ!千里さん!!」

 元気よく声を上げた少女は、先ほど千里たちが話題にしていた閑茉季であった。相変わらず茹だるような暑さの屋外を歩いてきたせいか、その両頬は少し上気して赤くなっている。背丈と合わせて、まるで小学生のようにも見える。

 「まさか千里さんが居るなんて、ビックリしました!感激です!」

 千里の傍らに駆け寄った茉季は、彼に会えたことがよほど嬉しかったのか、興奮気味に話しかけてくる。

 「ああ、そりゃあどうも……」

 その勢いに押され気味になりつつ、千里は頬杖をついた。

 「すいません店員さん、冷たいお水もらえますか?」

 いつの間にか千里の隣に座った茉季が、石橋へ注文する。石橋は「かしこまりました」と笑顔で頷いた。千里が何気なく見ると、にやにやとした目で笑みを浮かべている石橋と目が合った。

 (何笑ってんだ)

 眉根を寄せて睨みつける千里に、肩を竦めてみせる石橋。すると今度は茉季の反対側の隣に座る霧ヶ峰が同じようににやにやと笑いながら茉季に話しかける。

 「あなたが閑茉季さん?」

 「え?はい、そうですけど……」

 「私は霧ヶ峰といいます。お母さんから聞いていませんか?」

 「あーっ!あなたがあの!」

 「んー、どの私なのか分かりませんけど。多分、その私です。それよりも、どうしてここに?」

 「えっと……その、私どうしても千里さんにお礼がしたくて」

 「礼ならもうしただろう」

 「メールじゃなくって、直接!ですよ。それに……」

 渡したいものも、あるので。最後の方は小声でもじもじとした言葉で茉季が言う。 

 「渡したいもの?」

 「はい、これ……どうぞ!」

 茉季が肩かけている鞄から、可愛らしい模様のプリントされた包装紙に包まれたものを取り出すと、千里へと手渡した。

 「これは?」

 「だから、お礼です。私と……結以を止めてくれた、お礼。もしあのまま私たちが復讐を遂げていたとしても、誰も幸せにはなれませんでした。……きっと。いえ、最初からそうなるだろうって予感はあったんですけど」

 茉季は石橋から差し出された水の入ったグラスを両手で受取り、気恥ずかしそうに笑って口をつけた。

 「私だけだったらどうすることもできなくて……。だから、本当に千里さんには感謝しているんです。ありがとう、ございましたっ!」

 そう言って、茉季は残った水をゴクゴクと音を立てて一気に飲み干し、席を立つ。そしてそのまま、一礼すると慌ただしく店を出て行った。

 「えぇ……」

 困惑した表情で茉季の後ろ姿を見送った千里は、周囲から色々な感情のこもった視線を感じ、頭を抱える。

 「よかったじゃないですか。彼女、心から感謝してましたよ」

 「っていうか感謝だけって感じでもなかったですよね?あちゃー、こりゃヒナさんピンチだ」

 霧ヶ峰と石橋も、さきほど以上に下世話な笑顔を浮かべている有様に、千里は肩を落とすのだった。



***



 私の……いや、私たちの計画は潰えた。

 結以の思骸は消え去って、その強い憎悪も今はもうどこにもない。

 私が結以のお父さんに抱いた義憤も、あの夜を経たことで少しずつ収まってきていた。それは勿論、あの人が逮捕されたからというのもあるが……。何より、彼の言葉が私の心に響いたからだろう。

 千里さんの、あの言葉。

 結以に対して放った、彼の怒りの言葉。私が結以に言いたくて、言えなかったこと。


 どうして、私に話してくれなかったの?


 さすがに、死んでからその復讐を手伝えなんて、身勝手過ぎるよ。本当にそれは重大な裏切りだと思った。私のことを、結以は何だと思っていたんだろうと、怒りたくもなった。でも、結以が思骸に成り果てている現実を前にして、私は何も言えなかった。なぜなら、私が彼女の生前に何もしてあげることができなかったのは、紛れもない事実だったから。だから、その罪滅ぼしのつもりもあって、私は協力を受け入れた。それが罪滅ぼしどころか新しい罪を犯すことだと分かっていながら。

 つまるところ、私も結以も、どうしようもなく歪んでしまっていたんだと思う。死んでからしか現実を変えようとしなかった結以も、間違ったことだと知りながら自分の罪悪感や悲しみを誤魔化そうとした私も……。

 それを、千里さんは止めてくれた。ううん、それだけじゃなくて、彼は本気で怒ってくれていた。

 結以の思骸を抱えるうちに、私は思骸が見えるようになったけれど、それだけじゃなくて人の感情というものを、それまで以上に敏感に感じ取れるようになった。だから彼の憤りが形ばかりのものじゃなかったことはよく分かっている。

 私は、とても嬉しかった。こんな歪んでしまったどうしようもない私たちに本気で怒って、止めようとしてくれる人がいたことが。

 だから、私はこの感謝の気持ちを忘れない。

 その為の第一歩として、まずは彼と知り合っていきたいと思う。

 彼が私に少なからず負い目を感じているのも知っている。だけど、それは間違いですよ、と知っておいてもらいたい。

 だって、それは、"私の中の彼女も同じ思い"だから。


 さあ、次はどうしよう。とりあえず、あの店に通うことから始めようか。



思骸のディストーション

#1 幻影復讐 完






観測結果。

 ケース『クジラ』は一部の残して消失。

 集合体を成していた思骸のほとんどは結合から分離して離散した模様。

 別のケースに影響する可能性もあり、複数のケースポイントへの観測を強化する必要あり。

 

 ……と。

 手帳にスラスラと書き連ね、その人物はぱたんとその手帳を閉じた。

 「また面白いものを見せてくれよ、千里」

 誰にも聞こえない声でつぶやいたその人物は、丹居崎市の雑踏の中へ消えていった……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

思骸のディストーション kou @kkr134

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ