#1 幻影復讐 -2- 残念だったな、トリックだよ(前)

 「暑い……」

 翌日の早朝。千里は南丹居崎駅へと足を運んでいた。朝にも関わらず気候は最悪と言う程に高まっており、ジメジメとした湿度とムンムンとした熱気に、早々に気が滅入りそうになる。加えて、南丹居崎駅はかろうじて駅員が常勤しているレベルの小さな駅であり、密封性も何もない開け放たれた駅舎の待合室は外気と変わらぬ状態だった。

 その待合室の椅子に腰掛けたまま、千里はじっとホームの方を見つめている。もうそろそろ半刻ほど立つだろうか。夏休みに入ったせいか、普段利用している学生の姿もない。と、いうよりは駅の利用者自体が数人しか居なかった。数人しか居ない彼らは、ホームでじんわりと汗を浮かべながら電車の到着を待っている。

 「……」

 千里は駅の敷地内に現れている思骸がいないか探していた。地縛霊、という表現がピッタリだろうが、思骸もまたその誕生した場所……すなわち死に場所に現れることが多いのだ。伊東結以が駅で自殺したのなら、十分この場所に現れる可能性はある。そう考えて来てみたが……

 「ハズレ、だな」

 千里の目には、結以の思骸はおろか別の思骸すら映っていない。

 思骸が視界にあればすぐに分かる。

 幽霊、思骸という異質なものを見ることができる千里だが、千里の目にすら思骸は異質なものとして映る。その姿を端的に言い表すなら、黒い靄という表現が合うだろう。ぼんやりと人の形をした黒い靄こそが、千里が見る思骸の姿だ。だが、今ここにはその姿も気配もない。

 本当は居てほしくないんだが、そうもいかないんだろうな。

 霧ヶ峰の依頼という大前提がある以上、それはほぼ確定事項だと思っていい。一瞬安堵しかけた千里だったが、その事実を思い出して肩を落とす。

 「仕方ない。次だ、次」

 そう言って気を取り直し、千里は駅を出て歩き出した。

 そんな彼の様子を、ホームの方からじっと見つめる者がいたことに、彼は最後まで気付かなかった。


 千里がインターホンを鳴らす。駅を出た千里は、そこから近くにある閑茉季の家に向かっていた。家の中から返事の声がした後、ややあって扉が開かれ、小柄な女性が顔を出した。背丈は平均の雛子より少し低い程度だ。肩まである長さの茶髪の毛先は軽くウェーブがかっており、穏やかそうな顔つきやアイボリー色のロングスカートに紺色の薄手のケープといった服装と合わせて、ふんわりとした印象を感じさせる女性だ。

 「あなたが、霧ヶ峰先生が言っていたカウンセラーの方ですか?」

 カウンセラー……ね。妥当な落とし所か、と千里は納得する。とは思いつつも、千里自身何をするべきかは未だ分かっていないのだが。それよりも……

 (霧ヶ峰、"先生"ぇ……?)

 耳慣れない響きに、千里は一瞬戸惑う。だが、あの素性の知れない霧ヶ峰のことだ。どこかでそう呼ばれるようなことをしていても不思議ではない。それに、人に何か諭すような口調で話す彼女のことを、まるで教師のようだとも千里は感じていた。

 (まあ、それを今考えても仕方がないか)

 長年、顔を合わせてはいるが、霧ヶ峰や石橋については未だ分かっていることの方が少ないのだ。それについて考えるよりは、今は依頼の方が優先すべきだろう。千里は改めて目の前に立つ女性に目を向ける。見た目の年齢からして、閑茉季の姉だろうか。

 「どうも、霧ヶ峰の紹介で参りました。箕島千里と申します。失礼ですが、あなたは茉季さんのお姉さんで?」

 女性は少し顔を赤らめながら、小さく「いえ、母の未來ミキです」と訂正した。

 「あ、お母様……」

 これが?と千里は胸中で唸る。未來の外見は、どう見積もっても20代前半のそれで、まさか高校一年生の娘がいる母親には見えない。

 「よく、言われるんです。娘と並んでいると、姉妹みたいだって」

 そこまで言って、未來は表情を翳らせる。

 「茉季が何時も通りなら、今日だって一緒にショッピングに出かけたりしていたところなんですが……」

 「……心中、お察しします。それで、霧ヶ峰から一通り伺ってはいますが、娘さんの状態はどのような感じでしょうか」

 未來が仕草だけで千里を屋内へと案内する。千里も黙したまま一礼し、後へ続く。未來が口を開いたのは、二人がリビングのソファに腰を降ろしてからだった。

 「茉季のことですが、私も夫も、さっぱり分からなくて……。最後に顔を合わせたのは亡くなった子……結以ちゃんのお葬式の日以来です。思えば、その日から様子は変でした。その時は、間もなかったのでショックで落ち込んでいるだけかと思ったのですが」

 しかし、茉季は次の日から部屋から出てこなくなった。問いかけても返事はなく、無理やり開けようとしても扉は何故かどうやってもびくともしないらしい。

 「さすがに、一週間にもなると、心配で……」

 「なるほど。では、一刻も早く解決しないといけませんね」

 「でも、出てきてくれるでしょうか」

 「そのために、私は来ました」

 お任せください、とにっこり笑ってみせる千里。こういう営業スマイル的なものは正直不慣れではあったが、娘を純粋に心配する未來の姿に、多少なりとも不安を和らげてやりたかった。

 また、一方でこの自信有りげな言葉も、ある種の確信をもって放たれたものでもあった。この閑邸に足を踏み入れた瞬間から感じている感覚。その感覚を千里はよく知っていた。それこそが、千里がここに来た理由でもある故に。

 (思骸が、いるな)

 またしても、霧ヶ峰の依頼は思骸絡みだった。意図的にしても、出来すぎているな。千里はそう独り言ちた。


 未來の案内に従い、千里は二階にある一つの部屋の前に辿り着く。ドアには可愛らしい装飾の立て札が掛けられており、そこには『MAKI』と書かれている。ここが、件の閑茉季の部屋のようだ。

 「茉季、起きてる……?」

 未來が数度のノックの後、声をかける。しかし、返事はない。だがその扉の向こうからは確かに人の気配がある。それは千里だけでなく未來も察知しているようで、また何度か名前を呼びながら扉を叩く。

 「あー……初めまして、閑茉季さん。俺……私は箕島千里という者です。あなたのことでご両親から相談を受けて来ました。一度、お話をしたいと思うのだけれど、ここを開けてもらえるかな」

 千里はなるべく優しげに聞こえるようにと、霧ヶ峰の口調を真似てみる。基本的に無礼な方だという自覚はある為、真似でもしなければこういう言葉遣いはできそうもなかった。

 「話をするだけなら、このままでもいいかも知れない。だけれど、私たちはまだ顔も合わせていない。それでは、やはりしっかりとお話することはできないと思うんだ。お互い顔を見てからじゃないと、分からないからね。……と」

 "色々"に含みを持たせた言い方で千里が語りかける。声による返答はないままだが、やがてギシリ、と床を踏む音が部屋の中で鳴る。

 「茉季……?」

 未來のつぶやきと同時に、扉の施錠が解かれる錠音がした。そして、ゆっくりと扉が開かれる。そうして姿を見せたのは、母親と同じ栗色の髪をショートヘアーにした、とても小柄な少女だった。少女は千里も見慣れた服――丹居崎高校の女子制服を着ていた。電気が消され、カーテンも一切陽の光を通さないほどに閉め切られた暗闇の部屋とは正反対の、汚れ一つない白のセーラー服だ。

 未來が「茉季!」と声を上げて少女を抱き締める。この少女こそが、閑茉季で間違いないようだ。

 「お母さん、とりあえず今は……」

 「あっ……そ、それもそうね。こうして出てきてくれたのだし。茉季、あなたお風呂とかは……」

 茉季は虚ろな目のままだが、未來の言葉には頷き返したりと、意識はしっかりしているようだ。

 その後、未來になされるがまま、茉季は風呂場へと連れて行かれていった……


 風呂と着替えを済ませた茉季は、40分後に漸く客間で待つ千里の元に現れた。黄白色のブラウスに、黒地のホットパンツというラフな格好だ。

 「二階に来てくれる?茉季の……私の、部屋で話しましょう」

 千里にだけ聞こえるよう、至近距離まで近づき、それだけ言うと茉季はすたすたと二階の自室へと戻っていった。千里は心配そうに見る未來を、「親の前では話しづらいことがあると言われた」となだめて、茉季の後を追う。

 かくして、茉季の部屋に入った千里。茉季は千里が部屋の中央まで進むのを確認すると、扉の鍵を閉めた。

 背後で施錠音を聞いた千里は、茉季に背を向けたまま問いかける。

 「で、そこまでして聞かれたくない話というのは?」

 「そう堅くならないでよ。あなたが気を張っているの、すごく伝わってくるわ。こっちまでヘンな緊張しちゃう」

 「緊張している風には見えないな。随分余裕そうだ」

 「ポーカーフェイスには自信があるのよ、昔から」

 「じゃあ実は君の方こそ緊張してる?」

 「さて、どうかしら。男の人と密室で二人っきりっていうのは経験したことがないから、緊張してるかも知れない。少しは。でも……」

 でも?とは聞き返さない。千里の思考は別のところにある。それにしても。

 (随分饒舌に話すものだ)

 「……まぁ、いいや。それで、私と顔を合わせてみて何か分かったかしら?」

 「ああ、分かったよ。回りくどいことは苦手だから直截に伝えよう」

 千里が振り返り、扉にもたれ掛かっている茉季を見据え、

 「君は、閑茉季ではないな」

 わけの分からないことを口にした。

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