#1 幻影復讐 -1- みえるひと

 裏通りを忙しなく歩く男がいた。男の名は箕島千里ミシマ チサト。180を超える長身に、金髪という見るものに威圧的な印象を与える男だ。千里はこの真夏日にそれなりの距離を歩いているらしく、その額からは汗が流れて止まらない。

 やがて、彼はある店の前で立ち止まった。店の入り口に設置されている看板には『喫茶・閑の碧しずかのあお』とある。

 千里が意を決したように一息吐いて扉を開くと、まるで異世界のような空気が千里を包み込んだ。

 「やあ、いらっしゃい千里さん」

 扉の涼やかな開閉音に最初に反応したのは、カウンターに立つ黒髪の少年だった。涼し気な瞳で千里を見ている。この店のアルバイト店員の石橋イシバシだ。

 「……早く閉めて」

 訂正しよう。冷ややかな瞳だった。

 だが、千里は黙して扉に手をかけて開いた時の姿勢のまま動かない。やがて、店の奥に居座っていた他の客らから抗議の声が上がる。

 何をやってる。

 ふざけるな。

 さっさと閉めろ、電柱男。

 店内に行き届いていた清涼とした風が全て、千里が開け放ったままにしている扉から放出されてしまっているのだ。それほどまでに、この屋内の空気と外気では温度差・湿度差が激しい。

 「……」

 千里は客立ちの抗議、とりわけ"電柱男"という罵声が気に障ったのか、今度は無言で扉の開閉を始めた。それにより、空気の流出だけでなく外気の流入までもが盛んになる。罵声の反撃に熱波とも言えるほどの外気を受けた客たちは、

 やめて下さい!

 俺が悪かった!

 だから落ち着いて!なんでもしますから!

 などと、口々に千里への謝罪の言葉を吐き出した。彼らとのこうしたやり取りも、いつものことだった。彼らも千里も同じくこの喫茶店の常連なのだ。

 千里は彼らが一転して媚びへつらうその様子に満足したのか、パタリと扉を閉める。

 「勘弁して下さいよ、千里さん」

 「全部あいつらが悪い。あと外の気温も」

 カウンター席に腰掛けながら、千里は睨む石橋にぼやく。

 「記録的猛暑らしいですね。ここにいる限り関係ないですけど」

 だろうな。汗一つ浮かんでいない、若さ特有のハリのある肌を見せびらかすようにニッコリ笑う石橋を、千里は煙たがるようにあしらった。

 「で、何にします?ホットコーヒーでも飲みます?」

 「お前、サービス業の才能ないよ」

 「ですが、勤続5年以上なんですよね、これが」

 そういえば、もうそんなになるのか。千里は初めて石橋に会った時のことを思い出す。とは言っても、実際のところ石橋はいつの間にかこの店で雇われていて、気付いたらもう5年以上も経っていた、という感覚なので、千里が思い出すほどの印象は強くない。

 普通、5年以上も見た目が変わらない店員なんて怪しくてしょうがないのだろうけど。

 "それ以上の怪異"を知る千里からすれば、石橋の外見が変わらないことなど些末なことに過ぎないのだった。

 「で、俺を呼び出した本人は?」

 その石橋以上の怪異の行方を千里は問う。石橋と同時に現れたその人物もまた、この店の常連客だった。

 「ああ、霧ヶ峰キリガミネさんなら、そこに」

 石橋は指で床を指し示す。下?と千里が目をやると、足元に"それ"は転がっていた。カウンター席の椅子が並ぶ床に寝転がっている人物。その腕には一升瓶が抱かれており、平日の真っ昼間にも関わらず、キツい酒気を漂わせている。横になった姿勢でも際立つのは、そのスラリとしたボディラインだ。そのしなやかかつ、丸みを帯びた形状から、その人物が女性であることを示している。そして、それ以上に目を引くのは、光を吸い込んでいるかのように白く輝く長髪だった。

 その白髪はくはつは、決して老化や脱色・染髪によるものではありえない光沢を持っており、それだけでも彼女の異常性を表していた。千里がその白髪を観察していると、持ち主がのそりと動き、髪で隠れていた双眸が、千里を確認する。

 「うにゃ……おやおや、千里くんじゃあにゃいですかぁ」

 呂律が回っていない。この世のものならざる美しさに目を奪われかけていた千里は、その美しさの持ち主の人となりを思い返し、一気に現実に立ち戻る。

 「相変わらずだな……霧ヶ峰」

 そうだ、こいつは……ただの飲んだくれだった。


 「失礼ですねー、私がそんないつも飲んでるみたいな言い方ー」

 「いやいつも飲んでるだろう。酒を。そして飲まれてるだろう。酒に」

 千里が霧ヶ峰を目にする時、彼女が飲酒していない時は無い。時節に関わりなく、彼女は常に酒を飲んでいる。そして、酒に飲まれていた。

 「大体あんた、店はいいのか。あの店が営業中のところなんて見たことがないぞ」

 喫茶・閑の碧が位置する通りからほど近くにある商店街。霧ヶ峰はその商店街に店を構える店主でもある。もっとも、千里の言葉通りその店が開かれているところを見たものはいない。

 「お店ぇ……?いいんですよぉ、まだ時期じゃないのでぇ~」

 「いつ来るんだよその時期は……」

 千里はうふふ、とへらへら笑ってばかりいる霧ヶ峰の様子に、心底呆れた様子で肩をすくめた。

 「まあまあ。霧ヶ峰さんは別口で仕事もしてますから」

 「そうで~っす!さすがハルくん、わかってますねぇ~」

 割って入ってフォローする石橋に、調子のいいことを言いながら霧ヶ峰がおどけてみせた。

 「まさか、俺に毎度妙な依頼を回しているのがその仕事ってワケじゃあないよな……?」

 「そう言わずにぃ。ぜ~んぶ、ことなんですから」

 またそう調子のいいことを……。千里がフン、と鼻を鳴らすも霧ヶ峰は意にも介していない様子で話を続ける。

 「あなたを今日呼び出したのも、その依頼の件ですので」

 そう言い放った霧ヶ峰の声色からは、それまでの酒の気配を一切感じさせない。まるで冷ややかな刃を喉元に突き立てられているかのような錯覚を、千里に抱かせる。

 「聞いてくれますね?」

 頷く他、千里に道はない。


 「先日、南丹居崎駅で人身事故があったことはご存知ですか?」

 千里は石橋からアイスコーヒーを受け取り口に運ぼうとしたが、改めて隣に座り直した霧ヶ峰が切り出した話題に、動きを止める。

 「いや……」

 「そうですか。まあ直截に言うと、飛び込み自殺があったんです。亡くなったのは丹居崎高校に通う、一年生の女の子。名前を伊東結以といいます」

 それがどうした、と千里は目で促す。

 「事故があったのは、朝の登校時間。その日は終業式の日ということでした。それで、当時は当然他の学生もいたわけですが……」

 霧ヶ峰は胸ポケットから一枚の写真を取り出して、テーブルに置いた。写真には、丹居崎高校の制服を着た小柄な少女が写っている。明るい茶髪を短く切りそろえており、髪型から頭の形がきれいな丸型をしていることが分かる。

 「この子、閑茉季シズク マキちゃんがその現場に居合わせてから、自分の部屋に閉じこもったきり出て来なくなっちゃったんです」

 「は?」

 「だから、この子を何とかして下さい。それが、今回の依頼です」

 「えぇ……。そういうのは、精神カウンセラーとか、専門家の仕事じゃないのか……?」

 千里の言い分はもっともだ。飛び込み自殺を目撃してふさぎ込んでしまった少女のケアなど、その方面では全くの素人の千里に、どうにかできるほどの技術も知識も無い。

 「でも、あなたにしか解決できないんですよ、千里くん」

 ぐっ、と千里は唸る。今まで幾度となく霧ヶ峰からこうして依頼を持ちかけられてきたが、そのどれもが、確かに彼女の言う通りだったのだ。

 千里にしか、解決できない。

 今までも荒唐無稽で、一見して千里の手に負えないような依頼もあった。だが、行き当たってみれば、それは千里にしか解決し得ないものだったということは何度もある。

 その度に、千里はこの霧ヶ峰という女にある種の恐怖をさえ感じる。そして今回もまた、すべてを見透かしているかのような彼女の物言いに、千里は何も言えなくなった。

 結局、千里は何をすればいいのか分からないまま、霧ヶ峰の依頼を受けることに了承した。

 「ありがとう。信じてましたよ、千里くん」

 「白々しい……。お前、いつか見てろよ?」

 「いつかっていつよ?アンタ、いつもそうやって丸め込まれてんじゃん」

 不意に、千里の背後で声がする。振り返ると、黒髪を頭の後ろで束ねたエプロン姿の女が立っていた。

 「雛子……」

 千里がそう呼ぶ女性は、鹿野雛子カノ ヒナコ。年齢は千里よりも下だが、彼女の伯母がこの店の店長であり、今はその代理として務めている。本来の店長はここ数年、趣味の旅の為に留守にしており、その間に雛子が任されているというわけだ。

 雛子は伯母を慕っており、学生の頃からこの店の手伝いと称して遊びに来ていた。かれこれ8年来にもなる常連客の千里とも慣れ親しんだ間柄だった。

 「ヒナさ~ん、お酒買ってきてくれましたぁ?」

 先程までの鋭い態度を一気に軟化させた霧ヶ峰が、雛子に手を振りながらにへら、とした笑みを浮かべる。

 「はい、レイさん」

 「おぉ~、これですこれです」

 雛子が手に下げた鞄から一升瓶を取り出し、霧ヶ峰へ手渡す。受け取った霧ヶ峰は一層顔を綻ばせた。一体、こんな顔をする女のどこに恐れる要素が……。千里は胸中でひとりごちるが、決して口にはしなかった。

 ……得体の知れないものは、この世には沢山ある。

 (例えば、俺自身も……)

 千里は自分の手のひらを見つめながら、ゆっくりと息を吐いた。

 箕島千里にしかなし得ない依頼。

 霧ヶ峰の物言いと、それに納得する千里本人の態度。傍から見れば、奇妙な構図に見えることだろう。何せ、一見して千里は何ら特殊な人物には見えない。せいぜい、背が高いことぐらいしか外見的な特徴はない。そんな彼の、一体どこが特別だと言うのか。

 「なぁに難しい顔してんだか」

 雛子の呆れた声に、千里はむっと更に眉根を寄せる。

 「お前には分からないよ」

 「ええ、分かんないわよ。なんて」

 呆れた調子のまま発せられた事実。だが、そこには決して疑いの色は含まれていない。雛子は、"千里が幽霊を見ることができる"という前提のうえで呆れていたのだ。馴染みの関係とはいえ、万人が聞けば万人が疑いを持つであろうその事実に対して、あまりに薄い反応である。

 だが、それはその事実が紛れもない真実であるという証明でもあった。

 箕島千里は、幽霊を見ることができる。

 ただ、その表現は言葉の綾とでもいうべきものだ。実際に千里が見ているものが幽霊かどうか、実のところ千里自身も完全に把握しているわけではなかった。千里の目に映るそれが、幽霊と称するのが最も分かりやすく、妥当だったというだけの話である。

 千里に見えるものについて分かっていることは、それが死に際の人間が抱いた強い想念を元に生まれること。そして、その存在が生者に対して何らかの影響を与えるケースがあり、多くの場合それは悪影響であるということだ。

 そして、千里はそれを「人の思いの骸」という言葉から、思骸シガイと名付けていた。

 「ウジウジ考えても、結局あんたはやるんだから。こんな所で油売ってないでさっさとやりゃーいいのよ」

 「暴論だな……」

 だが、その通りだ。まあ、雛子の言うような丸め込まれ方はしてないが、と千里は心の中で予防線を張っておく。依頼に向かうのは最終的には自分の意思だということにしておきたい。

 (そうする理由もちゃんとある)

 千里はアイスコーヒーを飲み干すと、件の女子高生・閑茉季の住所を霧ヶ峰に訊ねた。

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