#1 幻影復讐 -2- 残念だったな、トリックだよ(後)
今、千里の前にいる少女は、間違いなく閑茉季である。実の母の未來の反応を見れば明らかなことであり、千里の目にだけ違う人物に見えているというわけでもない。小柄の栗色の髪の少女。それは千里が事前に霧ヶ峰から聞かされていた閑茉季の外見的特徴でもあり、少女の見た目は全て合致している。
しかし、千里はその少女に対して「閑茉季ではない」と言い放った。普通なら真っ先に怪訝な顔か不気味なものを見るかのような脅えの表情を向けるべきだろう。
だが、自らを否定されたはずの茉季の顔は、歪んでいた。恐怖や忌避ではなく、"喜び"の笑みを浮かべて。
「ポーカーフェイスが、何だって?」
「あら……。ふふ、無意識だったみたい。……あなたは"本物"なのね」
自分の口角が上がっていることに、少女は手で触れて初めて気付いたようだ。
「何をもって"本物"なのかは知らないが。俺は君が純粋に閑茉季ではないということが分かるだけだよ」
面倒くさそうに千里は頭をかく。
「人の思いってのは、死んだ後も残る。明確な物体としてではなくても、確かに存在している。幽霊なんて言ってもいいかもな。そして……」
君はその類の存在だな。そう告げた。
「へえ、そうなんだ。こうなっても、自分のことなんかよく分からないからさ。気付いたらこうなっていたものだから、こっちも何が何やらって感じだったんだ」
「……分からない?」
それはおかしい。小声で千里が呟く。千里が知る死者の想念、思骸はその誕生に何かしら明確な指向性をもった感情が存在しているはずだった。分かりやすく例えるならば、怨霊なんかはまさにそれだ。誰それが憎い、恨めしいといった感情。その感情が思骸が生まれる起源となる。そうした性質があるため、思骸が自身を見失うことなどありえないはずだった。さきほど挙げた例のように憎悪の感情による思骸ならば、その憎悪を晴らそうとし、また別の心残りなどが起源だった場合はその起源の感情に従った動きを見せる。
要するに、思骸とは一つの命令だけを受けて動くロボットのようなものなのだ。少なくとも、千里がこの24年の人生の中で見てきた思骸たちはそうだった。だから、千里自身そういうものだと理解をしてきた。
だが、そうすると今この目の前にいるものは、ありえないことを口にした。「気付いたらこうなっていて、何がなんだか分からない」と。
「君は、思骸じゃないのか?」
「シガイ?それは生きてるかって意味かい?それはかなり難しい質問だね。今こうして動いている茉季の身体は、間違いなく生きているよ。普通に心臓が脈打ってて、地に足を付けている。でも……」
そこで少女は一息おいて、言った。
「あなたと話している私は、生きてはいないみたいだ」
少女は続けて告げる。
「私は、伊東結以。自殺したはずの、茉季の親友だよ」
「まずは整理しようか。君は自殺した伊東結以で、何故か気付くと親友の身体に意識が入り込んでいた、と」
千里は自らが知る思骸についての知識を一通り話すと、現状の確認に入った。
「そうなるわね。ちなみに自分が死ぬ間際の記憶は、その日の朝からスッポリ抜け落ちてて何も思い出せない。何で死のうと思ったかとか、そのあたりも含めて」
頭が痛い。千里は心中で唸る。彼女……結以は自分が死んだことは理解していながら、その死に関係する記憶がないと言う。しかし、それでは彼女が思骸だとする千里の考えとは齟齬が生じてしまう。思骸とは、その起源となった感情あってこそ存在できるものであり、自らの起源を覚えていない思骸なんてものは、そもそもの前提が成り立たないのだ。
だが、彼女が抱えているケースが極めて異例だということも、千里は理解していた。本来、思骸は一つの情念に縛られているが故に、コミュニケーションが不可能に近いのだ。起源となった感情に関わる単語などには反応を示す場合があるものの、それも生理的反応に近いもので、意思の疎通ができているとは言い難い。これは憎悪で怒り狂っている思骸でも、純粋に他者を心配し思いやっているものでも同様だ。思骸とは、名の通り骸なのだ。既に生きていない骸とは、どうあっても言葉を交わしたりすることはできない。
しかしそうなると、また結以の場合は繋がらなくなる。自らを伊東結以だと名乗る少女とは、普通に会話が成立しているではないか。
「で、あなたが言う思骸は、こんな風に会話したりできないはず、と。はてさて、これは一体どういう状況なのかしらね」
「それは……」
千里は、やはり原因は茉季の身体だろうと予想する。
「茉季の身体?」
「正確には、君が閑茉季の身体を通して俺と話しているから、ということだ。人に取り憑く思骸というのは、珍しくない。ただ、そのイメージは背後霊なんかの表現が近い。その取り憑いた人間を黒い靄が覆うようにしている風に俺には見えている」
だが、千里の目に映る茉季の身体にはそんな黒い靄の姿などはどこにもない。そこには確かに思骸の気配を感じているにも関わらずだ。
「君と閑茉季は今まで俺が見てきた取り憑きのケースとは違うらしい。であれば、そこに原因があると見るべきだろう。君の記憶がないことも、意思疎通ができることも」
ただ、肝心の何故そうなったのかが一切不明なのだが。
「なるほどね。それは私が特別なせいかしら」
「さあね。現時点では何とも。君が原因なのか、閑茉季なのか、又は別の原因があるのか……。こんなことは初めてだから分からん」
「頼りないわね。あなたは私をどうにかする為に来たんでしょう?」
「そのつもりではあるんだが……。こうも不測の事態となると、正直面倒くさくなってきた」
結以の不服そうな態度が、ひしひしと伝わってくる。
「見た目よりいい加減なのね。失望したわ」
「失望……ね。ちょっとは今の状況を懸念しているみたいだな」
「そりゃあ、親友の身体を意図せず乗っ取ってしまっているのだから、私だって悪く思わなくもないわ」
どっちだい。相変わらずのポーカーフェイスのせいで、表情からでは本心が窺えない。
「でも、まあ君の言う通りだよ。君をそのままにしておくことはできない。分かるだろう、さっき話した通り思骸は存在するだけで周囲に影響を与えてしまう」
そう、千里が思骸案件に自ら関わっていくのには理由がある。それは思骸の持つ力、能力・特性といえるものにあった。
思骸は死者の想念の残響あるいは残滓といえるものが見えざる存在となって現実に留まっているものだと千里は推測している。残留思念、という言い方が最も適切だろう。ただし、思骸はただそこにあるだけのものではない。憎悪の感情を起源とする思骸を怨霊と例えたが、ホラーものの創作物では、怨霊はその強い恨みによって現実に生きる人間を呪い殺すことがあるが、それは思骸も同様なのだ。
思骸はその抱える思いによって、現実を歪める力を持つ。
特に、残留思念という形態上なのか人の精神への干渉力が強い傾向にあり、取り憑かれた人間は幻覚・幻聴による精神異常をきたすことが多い。それは本来ありえぬ異常であり、紛れもなく死者の思いによって現実が歪められてしまった結果といえる。
千里はその異常を容認しない。死者が生者の現実を歪めるべきではない。そう信じているのだ。その信念こそが、千里が思骸に関わろうとする理由だった。
「ご立派な信念ね」
何の感情もこもっていない声で、結以がつぶやく。
「けど、同意するわ。私は死んだ。その事実は変えられないし、変えるつもりもない。今更親友の身体を奪ってまで人生やり直そうって気もしないわ」
「やり直す……?」
「私がこのまま茉季を騙って生きていくってこと。それこそ、あなたが言う現実の歪みじゃないかしら。現実に生きているはずの茉季本人の存在が無かったことになってしまうわけなのだから」
結以の言う通り、そうなれば本来あった閑茉季の人生は喪失されてしまう。結以の思骸がもたらす影響としては十分ありえる話だった。
「でも、君はそうするつもりはない」
「ええ。私はそこまで生き汚くはないつもり。じゃあ何で思骸になってんのっていう感じはあるけど……」
それでも、親友の人生を滅茶苦茶にしたいだなんて思ったことはないわ。結以は強く断言する。
「それじゃあ、君はどうする?」
「茉季の身体から離れるわ。……そう言いたいところなのだけれど。生憎と、どうすれば離れられるか皆目見当もつかないのよね。引き篭もっている間、色々と試してはみたの。でも、全然ダメだったわ」
「なるほど……。もしかすると、そこに喪失した君の起源、思骸が生まれた原因があるのかも知れない」
「根拠は?」
「そんなものはない。だけど、そうなら納得できる」
思骸は情念を起源とし、それに縛られているもの。であれば、思骸はその起源となった感情に則った行動しか出来ない。逆説的に、結以が自ら茉季の身体を手放すことができないのは、それがその起源の感情に反したことだからと言える。
「だったら、私が思骸になった理由が何なのか分かれば……」
「君をどうにかできて、閑茉季を解放できるかも知れない。推測だらけで申し訳ないが、今俺に導き出せる解決策はこれぐらいだ」
「十分だわ。どうせ、私一人じゃ引き篭もることしかできなかったのだし」
斯くして、箕島千里は伊東結以と共に結以の思骸が生まれた原因、ひいてはその死の理由を解き明かすことになった……
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