Rain Parasol

RAY

Rain Parasol - レインパラソル -


 クライアントを乗せたエレベーターの扉が閉まる。

 深々とお辞儀をしていた私はゆっくり顔を上げると、階層表示板に目をやった。数字の「2」が消えて「3」が点灯している――三階そこはクライアントの事務所があるフロア。午前の打ち合わせはこれにて終了。


「よしっ」


 胸の前で右手のこぶしを握って控えめなガッツポーズをとった。自然に頬が緩んでいく。


「――では、契約書案を作ってメールで送ってください」


 クライアントの言葉を反芻はんすうするように思い浮かべる。

 想定外の展開だった。まさか、契約締結の内諾が得られるなんて思ってもみなかったから。


「帰ったら、すぐに契約担当を捕まえて準備に入らないと。クライアントの気が変わらないうちに」


 気を抜いたらほころんでしまいそうな口元をキュッと結んで、自分に言い聞かせる――とは言いながら、午後からは別のクライアント二社とアポを取っているため、打ち合わせはおそらく時間外。


 軽い足取りでエントランスの方へ歩を進めると、自動ドアのガラス越しに、まばゆい、陽の光が射している。


「神様も祝福してくれてるのね。商談が上手くいったこと」


 テンションが上がっているせいか、何もかもがいつもと違って見える――まるで自分がどこか別の世界へ迷い込んだみたいに。


 しかし、そう感じたのも束の間。

 自動ドアが開いた瞬間、私は現実の世界へ引き戻される。


 雨が降っていた。陽が照っているのに。


 それほどひどい降りではないが、傘無しでやり過ごすのは難しい。

 このまま帰宅するなら濡れても構わないが、そうでなければ大問題――私は問題大ありの後者。「午後からの打ち合わせをキャンセルする」などという選択肢はあり得ない。午前の部が上手くいったからと言って、午後の部をないがしろにしていいわけがない。

 地下鉄の駅まではかなり距離がある。近くにコンビニなんて気の利いたものもない。


  肩に掛けたバッグのファスナーを開けて、そっと中を覗いた。


「やっぱり……」


 小さな吐息が漏れる。

 ノートパソコンの脇の空間にちょこんと収まっているのは、折りたたみ傘――ただし、雨傘アンブレラではなく日傘パラソル


『今日の横浜は、気温も高く、雲一つない青空が広がるでしょう』


 朝の天気予報で気象予報士が的中させたのは前半だけ。後半はサイコロでも転がして決めたとしか思えない。

 いずれにせよ、あの女の言葉を全面的に信じた私が馬鹿だった。


 エレベーターを降りたビジネスマンたちが、一言二言文句を言いながら次々に雨の街へと駆けて行く。

 それは、雨の「降り具合」とお腹の「減り具合」とを天秤に掛けた結果の決断。

 そんなの背中に熱い視線を送りながら、優柔不断な私は自問自答を繰り返す――「日傘パラソルを差す? それとも、雨が止むのを待つ?」


 真っ赤なパラソルを差して人混みを歩けば、たくさんの視線が私に集まるのは必至。どれほど恥ずかしいかは容易に想像がつく。

 ただ、午後から大事な打ち合わせが控えているだけに、濡れねずみになるのは避けなければならない。もちろん遅刻なんてもってのほかだ。


 そう考えると「傘を差さずに外に出ること」も「雨が止むまで待つこと」もNG。私が取るべき行動は決まったも同然。


『何やってるの? 早くしなさいよ』


 微かに鳴る、お腹の音が、そんな言葉で私をあおっているように聞こえる。


『……なるようになれよ!』


 腹をくくった私は、日傘パラソルを広げると、外の世界へと飛び出した。


★★


 品切れだったことで、半年待ってやっと手に入れた、セリーヌの日傘パラソル。まさか、こんな形で使うことになるなんて夢にも思わなかった。


 すれ違う人と視線を合わせないように歩道の一番端を進む。赤信号の待ち時間がとてつもなく長い。ショーウインドウに赤い色がチラリと映っただけで、顔から火が出そうになる。


『みんな「狐の嫁入り」が悪いんだから!』


 そんな心の声が発せられた瞬間、ふと「あること」が私の脳裏をよぎる。


『どうして天気雨のことを「狐の嫁入り」なんて言うんだろう?』


 眉間に皺を寄せた私は、太陽と雨雲が同居する空に目をやる。

 

 嫁入りと言えば、いわゆる結婚式。結婚式と言えば、古今東西いつの世も一族にとっての一大イベント――それは「神通力を駆使して人を化かす」などと言われている狐の一族にとっても同じ。


 そんな狐たちが一堂に会し、祝いのうたげの場で酒に酔って羽目を外せば、様々な神通力が輻輳ふくそうして収拾がつかなくなるのではないか? その一つが「天気雨」という形で現れるのではないか? そうだ。そうに違いない。


『めでたい! めでたい! じゃあ、誰か余興を頼む。人間どもを化かしてくれ!』

『おいらがやってやろう。とっておきのネタがあるんだ』

『ちょっと待ったぁ! 俺にやらせろよ。溜まったストレスを発散してぇんだ』

『抜け駆けは止めとくれ。あたいが先だよ。こういうときは、女狐優先レディファーストだろ?』

『ちょうど新しい術を試したいと思ってたんだ。僕にやらせてよ』 


 頭の中で、狐たちのうたげの様子が、昔見たシネマのようにこと細かに再現される。


 不意に笑みが浮かぶ――を発揮して他愛も無いことを真剣に考えている自分に気づいたから。


 青い空からは、相変わらず雨の粒が降り注いでいる。

 雨が降っているのは紛れもない事実。決して幻覚などではない。「狐が幻を見せている」などとたかくくったら酷い目に遭う。


「……腹をくくると、結構大胆になれるものね」


 日傘パラソルの目的外使用にも、通りを行き交う人の好奇の目にも慣れてきたのか、そんな言葉が漏れる。

 大胆になった私の中で、横浜中華街へ足を延ばすことが決定される。


★★★


 雨降りの平日ということもあって、メイン通りはいつもより人の数が少ない。通りを行き交う人がほとんど傘を差していないのは、おそらくどの天気予報も外れたからだろう。


 原色が目に鮮やかな、異国情緒あふれる街並み。

 ビジネスマンに混じって、観光客とおぼしき人が足早に通り過ぎていく。頭の上に掲げた土産袋ではこの雨を防ぐのは難しそうだ。


 そんな中、真っ赤な日傘パラソルを片手に悠々と歩く私。ビジネスマンや旅行者と同じ空間にいるはずなのに、私だけがは別の空間にいるような気がした。パラソルの派手な赤色と中華街の原色とがマッチしているせいか、自分がこの街に融け込んでいるみたい。

 さっきまでの恥ずかしさはどこへやら。今は見られることが快感にさえ思えてしまう。


『天気雨の中、日傘パラソルを差してうれしそうに歩く女が一人』

 

 そんな光景を目の当たりにしたら、狐たちはどう思うのだろう?

 自分たちの神通力に動じない人間がいることを悔しいと感じるのか? それとも、風変わりな人間に会えたことをうれしいと感じるのか?


 私の妄想はまだまだ終わりそうにない――と思った矢先、再びお腹が鳴る。さっきよりも音が大きい。条件反射のように周りを見回して誰もいないことを確認した。


「お腹……空いた……」


 神通力ならぬ妄想力の源が底を突きかけている。

 私が発しているのは、差し詰め、エネルギーの補給を求めるSOS。

 真っ赤な日傘パラソルは、午後からの第二ラウンドに備えて中華街の裏通りへと吸い込まれていく。


 雨が上がったところを見ると、のイベントもそろそろお開きなのだろう。



 RAY

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Rain Parasol RAY @MIDNIGHT_RAY

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ