ある出会いで……

湯煙

たまたまでありがちな……


 気ままに立ち寄れる場所が、一人の時間を楽しめる場所が、そして誰にも何も気にされずに居られる場所がある。そんな場所がある俺は幸せだなと思うよ。最初はたまたま立ち寄ったスナックだけど、今では日常からの逃避場所として手放せない場所となった。


 スナック「灯り」、繁華街、といっても田舎の繁華街だから狭いんだが、その路地裏にある雑居ビル3Fにある。ここには近くの工場勤務のサラリーマンばかりが集まる。多分、工場の誰かが昔開拓し、今もそのまま利用されてるんだろう。


 俺の会社は駅も離れたところにあって、このスナックで顔馴染みを見たことはない。


 カラオケマイクを片手に騒ぐ集団、拍手やタンバリンで合いの手を打つママとホステス。その様子を見て愛想笑いしながらバーテンがグラスを磨いている。


 誰も俺を気にしない。

 最初は、煙草の火をつけたり、目の前に置かれた安いウィスキーのボトルで水割りを作ってくれるホステスが俺にも付いていた。

 でも俺が「一人で勝手にやりたいんだ」とママに伝えてからは、ほっといてくれるようになった。

 

 これが俺のスタイルだなんて格好つけてるわけじゃない。

 俺にとってここは、喧噪の中の孤独を楽しむ場所なんだ。


 そう思って過ごしていても、たまには客の誰かと接触することがある。

 ある金曜日、その日はそういう日になった。

 たまたま誰かと話してもいいと思っていたところに、たまたま声をかけてきた女性がいた。たったそれだけのこと。


 「お兄さん、大人しいね? こういうところ実は好きじゃない? 」


 客の集団の騒々しさから逃げてきたような感じの女性。

 多分、俺より二つか三つは年上のように見える。だが、女性の年齢など化粧や雰囲気次第で、男の俺には見分けつかなくなる。ただ、薄化粧で表情も柔らかく好感持てるタイプとは思った。でも見知らぬ男にスナックで声をかけてきたってことは、それなりに遊んでるんだろう。

 俺はこんなことを考えながら、その女性の問いに答えた。


 「いや、ここは好きだよ」

 「ふう~ん。好きで一人で楽しんでるなら、声かけたのは邪魔だったかな? 」


 俺をのぞき込むように、そして首を傾げて微笑んでいる。


 「今日は珍しく誰かと話してもいいと思っていたんだ。その相手が貴女で良かったかなと思ってるよ」

 「そう? お邪魔じゃないなら一緒に飲んでよ。後ろで騒いでるの、うちの会社の連中なんだけどさ? すぐセクハラしてくるし、このあとどこか行こうとか囁いてくるのよ。ウザくて逃げてきたんだけど、一人で飲むのはちょっと寂しいかなと思ってたのよ」


 俺達はグラスを合わせて、どうでもいい話をしたんだ。ほんと、どうでもいい話をね。つまりは仕事上の愚痴。


 お互いにお互いの世界を知らない。

 だから思い切り話したのさ。


 「おいおい、こっちはほっといて、その男とでもこの後楽しもうってのか? 」

 

 酔ってワイシャツもはだけさせた三十代半ばくらい……多分、俺より五つくらい上の男性が、俺の肩に手をかけ、隣の女性に絡んできた。


 「いいじゃないですか? 私にだって会社以外の出会いは必要なんですよ」

 

 その女性は俺の腕に身体を寄せ、腕を背中に回してきた。


 「まぁ、好きにすればいいさ。こっちはそろそろ次に行くけど、置いていっていいのか? 」


 なるほど、絡んできたんじゃなく、彼は彼なりに隣の女性を気にしてたってわけか。


 「ええ、私は私で好きにします」


 多分、上司か先輩の男性に対して、ややつっけんどんな物言いに、おや?と思っていたところ、その男性は文句を言うでもなく、ただ、分かったと一言答えて仲間のところへ戻った。


 「何よ。こんな時ばかり気を遣ってきて……」


 男性には目も向けず、カウンターの向こうに目をやってグラスを片手に女性はつぶやいた。

 ああ、あの男性と何かあったのか、それとも逆に何もないまま終わった何かがあったのか。


 「ごめんね? さあ、どんどん飲みましょう」


 多分、俺の表情は苦笑に近い笑みを浮かべてたんだろう。

 それを彼女は面倒に思っている表情と勘違いしている。

 他人の人生のちょっとした裏を見てしまったことに、俺は気まずさを覚えていただけなんだが……。


 その後も、彼女と俺は、芸能人の誰それが不倫したのはどうだとか、政治家は嘘ばかりで信用ならないだとか、どうでもいいことを話ながらグラスを重ねていった。


 「貴男、優しいわね。さっきの……気づいてたわよね。でも何も言わないし、私を誘おうともしない……ありがとうね」


 残った客は俺と彼女しかいない店内で、有線から流れる最近流行の音楽が明るく流れる。ママもバーテンもホステス達も、店内を片付け始めていた。


 俺は彼女に何も答えず、グラスを彼女の目の前まで上げてゆっくりと両目を瞬いた。彼女もグラスを持ち上げ、もう一度「ありがとう」と言ってカチンとグラスを当ててきた。


 その後、彼女を駅まで送り、一人で飲める場所を探して繁華街を彷徨った。


 翌朝、漫画喫茶の椅子で目を覚ました俺は、スマホに着信ランプが点いているのに気づいた。仕事関係のメールではない。友人でもない。


 「昨夜はありがとう。来週の金曜もまた飲みましょう? いいでしょ? 」


 トイレに行ってる間に、カウンターに置いていた俺のスマホをチェックしていたのか。


 いつもなら不快に感じることだけど、彼女ならまあいいかと思えた。


 あのスナックも一人を楽しむ場所じゃなくなりそうだ。

 彼女とこれからどうなるかは判らない。

 大事な場所を失った代わりに、友人、もしくはもっと大事な相手を手に入れる可能性を手にしたと思うことにしよう。それも悪くない。


 だが、一人になれる場所は必要だ。

 俺をほっといてくれる場所は必要なんだ。


 今夜はそんな場所を探しに飲み歩くか……。

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ある出会いで…… 湯煙 @jackassbark

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