第8話 現実世界の土木史
『さて、なにから聞いてみようかね』
朱面はしわがれた声で改めて話し始めた。どうも、朱面の声は人工的で、ボイスチェンジャーを通したように聞こえる。とすると、この魔法使いは体も顔も、声さえも隠していることになる。
『まず、君の来た世界は豊かだったかい?』
漠然とした質問に、僕は一瞬、考え込んだ。
「ええと……私の国に限りますが、物質的には多分、豊かです。こちらがどんな世界かよく知らずにいるもので、あんまり詳しくは答えかねますが……ていうか、僕は一介の土木屋ですので政治とか社会体制とかはちょっと」
『ふむ、君は土木の技術者と言ったね。この辺りでは土木の技術者といえば、普通は地方領主なりに仕えているものだが、君は違うというのだね』
「地方領主、というのが地方の首長のような存在でしたら、その下で働いている土木技術者はたくさんいます。でも、僕は民間の土木技術者でして、そういうのも珍しい存在ではないです」
朱面がそうやって確認するからには、この辺りに民間の土木業者というものが無いのだろう。
実は、土木事業を請け負う民間業者なんてそう歴史の古いものではない。
日本を例に取れば、民間の土木者業者が仕事を請け負いだしたのはようやく江戸時代になってからで、他国でも紛争が続く地区などでは土木業者の業態が成立したことがない地域も多い。
では、土木業者が存在しない時代には土木工事がどうやってなされていたかといえば、これは簡単で、その地区の支配者が自ら行っていたのだ。
この場合、支配者が召し抱えている土木技術者が陣頭指揮を執り、農民等が人夫として作業に参加していた。
これで、ピラミッドや万里の長城の建造も人工池の築堤も川の拡幅も干潟の干拓も行われた。
ナスカの地上絵だって、一人か二人の測量知識保持者がいて、平板と長い紐さえあれば簡単に作れる。近代以前の土木工事においては誰も彼も、土木の知識がある必要は無かった。大半の作業従事者はただ、現場監督の出す単純な指示に従っていればやがて工事は完成した。
他の、例えば住宅用に地ならしをするとか、川から農地まで水路を掘るとかの土木事業については、受益者が自ら施工をし、隣近所の住民がこれを手伝う。こうやって世界中で土木事業は行われていた。
要するに、公共性が高い工事なら王様が配下の労力を使って。個人的な工事なら個人が自らの労力で行うので、ここに土木業者は必要が無かったのだ。
これが、似た業態でも大工や石工になると早くから民間の専門業者が発生している。
これは作業員に専門知識を必要とするのがその理由だろうと考えられる。
さて、現代では土木作業においても機械の運転や操作など様々な専門知識が末端の作業員まで必要となっており、土木工事を完遂するには専門業者に依頼しないと話が出来なくなっている。
その上で、土木業者を養える程度には社会が公共投資を行っているのでなければ、民間の土木技術者は存在し得ないのだ。
この辺りに、民間の土木業者がないということは土木工事技術が発展していないか、紛争が続いていて社会インフラの整備や保守に公共投資を行う余裕がないのかのどちらかだろう。
……魔法一発で道路が出来たり、ワープをするので水道も道路も必要としないのでなければ。
『ふむ、土木を請け負う商人といえば、帝国にも何人もいるが、彼らはその代わりに利権を要求する。君の雇い主もそのような事で運営しているのかね?』
これもまた、古い時代の土木業者が取ったやり方である。
例えば、古代日本では墾田永年私財法という法律があり、本来は国有である土地を自ら開墾することによって私有する事が出来ると定められていた。
本質的には同じ考え方で、自力で建設した施設から使用料を徴取するのだ。
道路を作って、通行人から通行料を徴取したり、港湾を建設して利用する船会社から徴収する。宅地や農用地を開発して販売まで携わる。鉱山を開発して運営する等、世界中で古くから取られた手法で、国や自治体が費用を掛けずに社会インフラを整備することが出来るため、時代や地区によって、たまに行われることがあった。今でも世界的に見れば発展途上国に対して先進国が行う事がある。
日本では近現代になってほとんど見られていないが、江戸時代の後半には行われていたようである。
また、紛らわしいが日本に近年まで存在した『公団』の類いは、形は似ているが行政組織の一種からスタートしているので、厳密には異なる。
「違いますね。僕たちは契約にしたがって工事を行い、完成した後に工事代金を現金で請求します。利権とか、そういうのはあんまり無いです」
まったく無いとは言わない。支払は現金が原則だが、場合によっては他の事を目的に働かされる事もある。
駐車場として近隣の土地を借りたい時に、地主と協議した結果その土地の地ならしや砂利舗装が条件になることもあるし、資材小屋として倉庫を借りる代わりに、敷地にコンクリートを打設することもある。資材購入の代金代わりとして仕事をする場合もある。今、僕がよくわからない尋問を受けているのもそもそもは開発工事を受注する為の交換条件だし、細かく言えば現金を目的としない仕事はそれなりにある。
しかし、最終的には現金だ。
従業員の給料を必ず現金払でなければならない以上、現金の獲得が企業としての目的になる。
『現金ね。ちなみに君の収入は金貨で換算するとどのくらいか?』
「すみません、金貨の価値がちょっとわからないです」
『それもそうか』
「アサベの国で奴隷はいくらだ。それでおおよその価値を考えよう」
突然、ノークスが口を開いたが、よりによって奴隷である。
「それもごめんなさい。奴隷制は取っていないので、周りには雇用労働者しかいないです」
「え、しょうがないな。じゃあ塩とか小麦の買える量で換算するか?」
ノークスが不満そうに言った。
こっちからすれば微妙な価値観だが、この辺りでは価値がある程度固定されているのかも知れない。
「ちょっと、料理をしないもんですから、値段がわからないです」
申し訳なさそうに謝ってみせるが、ノークスはやや不満そうだ。
『独身と言っていたが、料理をしないのか。居酒屋が発達しているのだね』
「まあ、そう……なのかな? 小銭持ってたらとりあえず飢え死にはしないと思いますけど」
『流通がしっかりしているのか?』
「そうですね。ここの状況を知りませんけど、国の中なら数日の内にどこへでも物を送れます」
馬車での陸送がメインの物流だとすれば、トラックや鉄道、飛行機などの高速輸送は考えられないだろう。
と、急に馬車が停車した。
「旦那、川です。押してください」
外から御者の声がした。
「よしきた。アサベ、君も手伝ってくれ」
そう言うとノークスは馬車から飛び出した。
一瞬どうしようかと朱面を見てみたが、仮面の上から表情が読めるわけでもないので、諦めて腰を上げた。荷物をどうするか迷ったが、逃げるのも難しいだろうから信頼を深めるため、座席において外に出た。
外に出ると、馬が川に口を付けて水を飲んでいた。
今まで馬車が進んできた未舗装道が川に直行して消え、対岸からまた始まっている。
川と言っても小川で、川幅は五メートル程、深さも三十センチ程しかない。
「ここを渡るんですか?」
「そうだ。川底に石が敷いてあるだろ。車輪が石から落ちたら大変だから、俺たちは後ろからそれを見とく。まあ、あの御者は腕がいいからまずないけど、倒れそうになったら支えろよ。そうして、あっちで川から車輪が上がるときには後ろから二人で押す。これも気合いを入れないと馬車が倒れる。手を抜くなよ」
確かに、川底には板状の石が数枚並べてあり、道状になっている。
「それじゃ、旦那。行きますよ」
御者が告げ、馬車はゆっくりと進み始めた。
川を渡り終え、馬が川から上がり、馬車の前輪が岸にさしかかる。
「今だ、押せ!」
ノークスの号令に合わせて馬車を押すと、すっと持ち上がり馬車も岸に上がった。
「旦那、もういいですよ」
御者が言って、僕とノークスは馬車から手を放す。
一瞬であるが、全力を出したノークスの顔は紅潮し、息も荒い。僕も似たようなもので、汗ばんでいるのがわかった。
「橋とかないんですか?」
「大きいのなら上流に十キロほど行ったところにあるよ。有料だけどな」
「ここにも架けたらいいのに」
どう考えてもそちらの方が合理的だ。
「なぜ。歩いて渡れる小川だぜ?」
「雨が降ったら通れないでしょ。それともなにか魔法とかで渡るんですか」
「魔法って……」
『それまで』
馬車の中から朱面が声を掛けた。
『二人とも上がっておいで』
ノークスは一瞬、僕の方を見たが、黙ったまま馬車に飛び乗った。
ノークスが差し出した手を掴み、僕も動いたままの馬車に乗り込む。
『座りなさい』
朱面が冷たく言う。
僕とノークスが元の席に戻ると、朱面は小さな棒でノークスの頭を小突いた。
『アサベ、先に言っておけばよかったね。君が帝国の情報を知ることは可能な限り禁止させて貰う。橋の場所とか……』
ペシッ。
「痛っ」
『そういうのは他国の者に知られると国の脅威になる。もし君がいろいろと余計な事まで知ってしまえば、儂は君を解放できなくなる』
ペシ
「痛……ごめんなさい、お師匠様」
ノークスが申し訳なさそうに頭を下げる。
なるほど、そんなものか。確かに、中世なんかでは地図も軍事情報だと聞いたことがある。
「わかりました。なにを聞いたらダメかもあんまりわかりませんので、ダメなことはそう言って貰えたら助かります。ていうか、僕の仕事に関係ないことは余所で話さないって約束しますよ」
『国の生命線を口約束に委ねるほど、愚かなことはないが、一応信じよう。儂らとの対話で知り得た知識は余所で話さないようにな』
言って朱面は棒を引っ込めた。て、今気づいたけどあれは教鞭なのだろうか。だとすれば実物を見たのははじめてである。意外なところで中世っぽい。
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