第2話 まだ出発前
「君は、異世界と言うものをどう思うかね」
場所を常務室に移して、僕は常務と向き合って応接セットに座っていた。
ちなみに、社長と弁護士は社長室に残ったが、ジャージの男は一緒についてきて、僕の隣に座っている。
その間、紹介なりがあるかと思ったけど、結局ないまま常務が話し始めてしまった。
「異世界、ですか」
なんのこっちゃ。
僕は脳内の異世界という単語を爪でカリカリと引っ掻いた。
「黄泉の平坂とか、地底旅行みたいな意味での異世界ですか?」
どうも異世界と言われると死の世界を連想してしまう。
「いや、この地球ではない。ファンタジーな表現としての異世界だ。映画で言えば指輪物語とか、ああいうのだ」
立派な老人の口から『ファンタジー』という言葉が出てくるのは違和感があり、ちょっとおもしろかったが、空気を読んで笑うのはこらえた。
「はあ、あまり読まないですね。指輪物語は長すぎて……」
山奥や無人島など人里離れた現場では、現場までの通行に時間がかかるため、現場の横に宿舎を建てることも多い。
そこでは、休日も仕事終わりも気軽に遊びに行けないため、だいたい宿舎の食堂には大きな段ボール一杯のアダルトビデオが置いてあって、視聴が自由だったりするのだけど、それもずっと見ていると飽きるのだ。
それで僕はよく本を読んでいた。
しかし、最近は僻地でも電話局がアンテナを仮設したり、業務の仕様上、インターネット回線を引くのであまり読まなくなってしまった。
「ふむ、話を変えよう。日本の端は沖ノ鳥島だが、小さな……岩礁が我が国の領海を大きく広げているね」
「ええ、まあ」
僕はその話に頷く。もっとも、沖ノ鳥島は公的に岩礁と表現してはいけないことになっている。岩礁に本来、領海を広げる力はないからだ。
「例えば未発見の島は現在において新発見される可能性が低い。しかし、新たな島は現実に海から顔を出すこともある」
そりゃあ、海底火山や地殻変動でそういうこともあるだろう。
「新しい土地の発見は我が国に莫大な利権をもたらす、とは思わんかね」
「考え方次第かと。周辺諸国との火種にもなりますし」
僕の発言を聞いて、隣の男がわずかに動いた。ちらりと見ると、僕をにらんでいる。
「そういう考え方もあるだろうね。しかし、発見されてしまった土地を見て見ぬ振りしたところでその土地がなくなってしまうわけではない。そうなると、国としてはとりあえず、その島の領有を宣言しなければならない」
確かに、それ以外の道はなかろう。
放っておけば他のどこかの国が領有を宣言するだろう。そうなると日本は領海の面積について大きな制約を受けるかもしれない。
「それで、ここからが本題なのだ。腹を据えて聞きなさいよ。新しい土地が見つかったんだよ」
「え?」
僕は間抜けに聞き返していた。ここしばらくのニュースを思い返してもそのような報道はなかった。
「その土地は、徒歩で行けるが、こことは地続きではないんだよ」
常務はなぜかどや顔で僕に言った。昔、工事課長だったころもたまにこんな顔をしていたのでクセなんだろう。
「謎かけですか」
「ふっふっふ、違うよ。ある研究者がワープをテーマに研究しているらしいのだが、この研究者が実験を行った際に、偶然繋がった先は、この世界ではなかったんだよ」
「え?」
僕は二度目のアホ面をさらした。
イロイロとわからない。
「研究自体は今後、進めていかなければならないが、その為には基地の建設が必要になる」
ああ、話が少し見えてきた。
少し土木の感じがしてきた。
「我が社は基地建設に先駆けてその土地の地ならしを持ちかけられた。ただし、極秘とは言え、国庫から支出するのに根拠となる裏付けがいる。君は、その現地に入って見積書を作成するのが任務になる」
まあ、そりゃそうだろ。大工事を業者側の言い値でやっていたら国が大損する。
その為に、普通は発注者側が設計図を書いて積算をし、工事価格を決める。
それに従って受注したい業者は見積書を提出し、見積額が基準価格に近かったり安かったりした業者が晴れて工事を受注するのだ。
しかし、たとえば発注者が設計・積算を出来ない特殊工事についてはそれが可能な業者にひとまず参考価格を提出させる。
それを元に、また工事価格を決めて契約を締結するのだ。
「見積ですか。ちなみに、資材や人員はどうなります?」
僕は見積の前提条件を頭の中に組み立てはじめた。
例えば、コンクリートを一つとっても、工場からミキサーで運ぶのと、現場で練るのでは条件が異なる。
一般的には工場からミキサーで運んで来る方が簡単で安上がりであるが、車両が通れる道がなければ現地で練った方が安くつく。場合によっては資材を運ぶための道を新たに作る方が全体としては安いこともある。
穴を掘るにも大きな重機で掘った方が効率的だが、工事規模が小さいときは小型重機を選ばないと損をする。
前提条件次第で見積の内容は大きく変わるのだ。
「施工にあたって必要な機械類や燃料、人員はこちらから持って行く事が可能だ。が、資材を運ぶためにワープホールを開くのにまた莫大な金がかかるらしいから、可能なら単純な砂、砂利は向こうで調達出来ればそうしてくれ。簡単な調査をしてくれればそれで構わん。人夫についても、現地で調達出来れば……」
「ちょっと待ってください」
僕は思わず常務の話を遮った。これは聞き逃せない。
「一応聞きますけど、人間がいるんですか?」
これは、大事な話だ。僕は今の今まで無人島の工事をする様な気持ちでいた。そこに人間が住んでいるといないとでは話が大きく変わってくる。
「まあ、人間とはなにかという話しにもなるが……」
常務はなにか言葉を濁した。
「新しい、無人の土地だと言ったじゃないですか」
「無人とは言っていない」
「いやいや、そこに誰か住んでいたらもうその人達の土地でしょう」
「これは、国の問題で我々が口を出すことではないが、土地の所有者から買い受け、正式に売買契約を結んだそうだ」
僕は顔をしかめた。文化の違う存在にこっちの常識を押しつけてどうする。
相手にどこまで説明して、どのレベルまで理解させたのか。
現代でも、日本であっても法律上問題ないはずの契約によりトラブルが起きるのだ。
「インディアン戦争に巻き込まれて死にたくはないっすよ」
「それは大丈夫。君の任務は一週間ほど現地に通って測量と調査をしてくることだ。君自身はスコップ一杯も、砂を動かす必要がないし、現地の住民ともかかわらなくていい」
言いながら、常務は胸ポケットを抑えた。
そこには先ほど取り交わした覚書が入っているはずだ。
「ちなみに、そこの彼は君の助手兼護衛の五島君だ。国からの出向で、お目付役でもある。君が見積を法外なものにしないようにというお目付役でもある。なにか根拠を決める際はその都度、彼の理解を得てくれ」
「五島です」
ジャージの男がはじめて口を開いた。
「なお、明日からは二日おきに向こうに入って貰う。九時にこの部屋から出発。十八時に帰還だ。中日は研究所でメディカルチェック。内業は帰ってきた日の夕方にこの部屋でやれ」
現場から定時で戻って、それから製図や積算か。
つまり残業はデフォって事ですね。
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