土木工事見積譚 現場は異世界です。

イワトオ

第1話 異世界行き 経緯

 なんかしたっけな。

 僕は社長の呼び出しを受けて社長室に来ていた。


「ふむ、まあ座りなさい」


 社長の横に立つ高見常務が応接セットのソファを指し示した。

 ソファには既に二人の男達が腰をかけている。

 一人は華奢なスーツの老人。

 もう一人はやや大柄な僕と同年配の目つきが鋭いジャージの男。

 二人が向かい合わせに置かれたソファの片方に座っているので、なんとなく僕はその逆に腰掛けた。

 社長は、自分の椅子からこちらを見ている。

 高見常務だけが立っているが、僕の横に座る気はないらしい。


「ときに、朝部くん。君はいくつになったかな」


「三十四です」


 僕は答えた。


「早いものだ。私の部下に君が配属されてもう十五年か」


 なぜ、こんなに場にそぐわない話をするのだろうか。

 違和感しか感じない。

 確かに、僕が工業高校を卒業してこの大盛建設に入社した当時、高見常務は工事課長だったが、二年もしないうちに昇格して部長になったため、それほど親しい付き合いはない。

 部長から役員になって、この十年ほど、一緒に酒を飲んだこともないのだ。

 と、いうよりもそんな僕と旧交を温めるような話なら二人でやればいいはずで、社長と見覚えのない二人組がいるこの場で選ぶ話題じゃないだろ。


「篠原部長もね、朝部はうちのエースだってさ。この人材不足の業界で、まったく余人に代えがたしとは君のことだ。君はこの大盛建設を背負って立つ人材になってくれた」


 これは、世に言うリストラか?

 いや、しかし建設業界は空前の人手不足。有資格者で経験もある僕を切るのか?

 僕の疑問に気づかず、あるいは無視して常務は続ける。


「君は、工事部から設計部、特殊製品工場にも行って、また工事部に戻ってきた」


「ええ、まあ」


「今回は君にね、社長特命を請けて貰いたいんだ」


 僕はじわり、と冷や汗が湧くのを感じた。

 先輩から聞かされた事があるが、社長特命とは即ち、海外勤務だ。

 海外勤務と聞けば優雅なイメージを持つかも知れないが、ここは大手土木会社で僕は土建屋である。

 向かう先は大抵、荒野である。

 中東のプラント、アフリカでの工場、中米の高速道路。

 高い確率で、近くに反体制の武装勢力が存在する。


「すみません、常務。僕はあまり英語も・・・」


「ふむ、さすがにキャリアがあると察しがいいね」


 常務はニヤリと笑った。


「だが、心配する必要はない。君を海外出張させようとは思っていない。ただ、今の工事部に籍を置いたままで、私の常務室への出勤を命ずるだけだ」


 さっぱり話が見えなかった。社長特命を受けた二十名ほどの社員は確かに、名簿上は『常務室付き』となっているが、実際は海外の現場に常駐しており、常務室に出勤するなんて聞いたことはない。


「しかも、この社長特命を受けてくれるのなら、君の本棒を職歴5年分程度アップさせるつもりだ」


 『特別手当』ではなく『本棒』がアップすると言う事はまるで違うのだが、その辺は省く。ただ、本棒を上げるという事は手当を貰うよりも収入の増加に繋がるのも事実である。


「ただし、この特命は社運をかけたものである関係で徹底的に部外秘だ。もし、君がこれ以上の説明を望むのであれば、特命を受ける旨のサインをいただくことにしたい。ちなみに、そちらに居られるのが我が社の顧問弁護士である山井先生だ」


 向かいに座っていたスーツの老人が会釈をして二枚の書類を取り出した。


「どうも、山井です。こちら、もし特命を断る場合の守秘義務を確認する制約書類です。口頭で説明させていただきますが、あなたはこの社長室での会話内容の一切を他所で話すことを禁止させていただきます。これは、社の損害を回避する為ですが、もし、あなたが誰かにこの話の内容を漏洩した場合、損害の有無にかかわらず懲戒免職処分とさせていただき、あなたはそれに異議を唱えないという内容が書いてあります。さらに、社からの損害賠償請求も発生する事をご理解の上、サインをお願いします」


 渡された書類に目を通すと、説明された内容が丁寧に記載されている。


「つづいて、こちらは特命を受命する旨の誓約書兼覚書です。こちら守秘義務に関しては先ほどと同等の内容ですが、その後の本棒引き上げ、それを特命終了後に下げないことなどのあなたの受けるメリットについても記載されています。受命する場合は、あなたと社長で互いに押印したものを2部作成し、社で1部、あなたが1部保管します。ただし、この覚書の存在自体が秘匿すべき事項になっておりますので、保管には細心注意を払ってください、と言うような事が書いてあります」


 大仰だ。


「一つだけ、教えてください。命の危険はありますか?」


 常務は小さく頷いて小声を出した。


「本来であれば、これ以上は誓約書にサインをして貰わないと説明出来ないのだけど、君は可愛い部下だ。これだけは断言できる。君はこれから受け持つ現場で地球上のあらゆるテロ組織、反政府勢力、ヤクザなどの反社会的団体から攻撃や圧力を受けることはないだろう。自動小銃やマシンガンで撃たれることもなかろう」


 正直、長時間労働には慣れている。現場が終わってから関連書類を作成するのだから、定時で帰宅することはそもそもない。『月に50万を稼ぐために地獄を見る』土木の世界にいるのだから、どこで仕事をしてもあまり変わりはないだろう。

 僕は誓約書を慎重に読み込み、二枚とも隅々まで、細工の有無を確認した。

 問題ない。


「常務、この特命、受けたいと思います」


 常務の嫌な笑顔を見て、僕は少しだけ後悔した。

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