第4話 もはや異世界と謳うのは詐欺?
丘陵地の中央付近に突きだした巨岩を触るため、僕は移動した。
長靴の底に感じる地面の感触は柔らかい。
この丘陵地自体が岩山の一部であることを考えれば、本来は礫質土の層は薄いはずだ。
もっと言えば、こんな草原地帯は自然遷移によって生まれることはない。
試しに軽く掘ってみたけど、三〇センチほど掘っても岩は出てこなかったので、あきらめた。
例えば、この丘陵の地表を左上から右下に向けて二十度で下がる六五センチの直線で表すとすると、そのどれくらいか下には必ず岩盤線というのが走っているはずだ。
それを推定する方法が『試掘』であって、丘陵地帯に一〇メートルピッチのメッシュを切って交点を掘ればかなり正確に土の中の岩盤線を把握できる。
一応、説明をしておくと『ピッチ』と言うのは連続するものの間隔のことであり、『メッシュ』とは縦と横の線で出来上がる網の目のことだ。ちなみに、岩盤線というのは礫質土と岩盤の変化点を結んだもので積算を行う場合、この上と下で大きく工法が異なるため、その位置の把握は非常に重要だ。
とはいえ、設計変更は土木工事につきものなので、おおよそのラインに岩盤線を入れて置きさえすれば、あとは実際に掘ってみて設計を変更すればいいのだ。
僕も既に『岩盤線深さ一メートル』と野帳に書き加えている。
話が逸れた。
この草原地帯はどう見ても人の手が加わっている。
草の高さが揃っているところを見ると、放牧か火入れを行っているのだろう。
いやだな。こういうところってだいたい共有地というか、入会地なんだよな。
そんな事を考えていたら岩にたどり着いた。
触ってみると、硬い。
考えてみるとこんなところにそびえている岩が軟岩のわけがない。
軟岩だったら時間の経過でボロボロと崩れてしまうから。
しかし硬岩とはいえ、撤去はさほど大変ではないだろう。
幸い、穴が開けやすい。それで発破か膨張薬剤を使えば割れる。
ちなみに、ここに大きな平地を作るのなら切り盛りが必要になる。
丘陵の中腹あたりから山の方に向けて土を削って、それを低い方に積む。それで概算四〇〇メートル幅の平地が出来る。
ただし、ざっと計算するとその場合の山腹側切土法面は九〇メートルほどになるし、平野側の盛土法面は法長が一〇〇メートルを超える。そのうえ、推定岩盤線一メートルだとすると土工のほとんどが岩掘削になってしまうため非常に高くつく。
それを避ける為には平面部の幅員を数十メートル迄にして段々にしなければいけない。
というかそもそも、平地が欲しいなら下にいくらでも広がっているんだからそっちを買い上げた方が経済的だろ。
まあその辺は一応帰って常務に報告しよう。
そんな事より、僕の目下の悩みは川まで降りるべきか否かだ。
例えば川の水質がコンクリート練りに使用できるか、川砂利や川砂は付近で豊富に採取できるか、周辺で漁業を行う者はないか。
そのほかにも注意すべき点がいくつもある。実地で川の状況を見たい。
だが、現地住民に出会わないかが重要だ。
僕の仕事は見積書作成なのであって住民との交流じゃない。
そういうのは違う職掌の話だ。
しかし、見積書作成に必要な調査は僕の職掌なので、板挟みだ。
のこのこ降りていって槍かなんかで追いかけられたらどうしよう。
五島がいないのは気楽でいいとか思ってたけど、こういうときに必要なのね。
仕方がないので僕は一人で丘を降った。
見晴らしがいいので、見つかったら走って逃げる予定だ。
一応、手には玄翁なんかを握ってはみたけど、気休め程度に。
玄翁、石頭、ボンゴシなんて言うけれど、全部ひっくるめてちょっと大きめの片手用ハンマーだ。こういうのはなんとなく最初に習った呼び名を呼び続けるもの で、僕の場合は玄翁。
ちなみに常務は石頭派だった。
川辺に着くと、周囲に人はいない。
河川改修がすすむ日本では、少なくとも人里近くの河川には護岸が組まれる。
要するに石積みの壁なんだけど、これがあると災害時に河川が溢れにくくなるので、それこそずっと昔から少しずつ川と平地を分けてきたのだ。
しかし、この川にはそれがない。
なだらかな斜面を歩いて川に入れる。対岸も同様になだらかに上がり、やがて農地が始まっている。
平成の前半から半ばにかけて、日本でも親水思想というのが河川についてもてはやされたことがあった。
水に親しむことが素晴らしいことかのように喧伝されていた。
その結果、多くの河川で簡単に川に降りられるようなスロープが整備されたのだ。
僕が土木に関わった頃には、すでに流行が終わっていて、自分で親水施設に携わったことはない。
というか、まあ、親水施設では子供を中心に死亡事故が相次いだのだから、関わらなくてよかった。施工に関わった先輩は死亡事故を嫌な顔して語るのだ。
と、いうわけでこの辺では大雨が降ると洪水が想定される。
しかし、もし水道が整備されていないのなら川に降りやすいのはメリットでもある。
まあ、僕には関係ないか。とりあえず川にどぼん。
片足を突っ込んでみる。
ゴム長靴なので浸水はしない。
大きく息を吸っても異臭はしない。水中を覗けばメダカのような小魚が泳いでいる。
いけるか?
僕は手袋を外すと指を一本だけ、水に付けた。
冷たいが、別に痛みなどもない。
ごくありふれた水かな。
あとでPHを調べるためにカラのペットボトルに水を注ぐ。
これで問題がなければ、ずいぶんとたすかる。
さらに、川辺には砂利も堆積している。
日本では既に珍しい川砂利だ。
そう。土木に携わる人以外はあまり知らないが、天然川砂利なんてもはや貴重品なのだ。
川砂利は角が取れて応力に強い部分だけが残っている上に、粒度がマチマチで最高の骨材と言われている。
今ではわざわざ岩を砕いた採石か、再生クラッシャランという砂利が一般的なので、現場で川砂利を使った事がそもそもない。
実は砕石で十分っていうのも大きいんだけどね。
当然、砂利の下には砂もある。
砂利、砂、水の三つをセメントと合わせて練った物がコンクリートなので、とりあえず現場練りは出来そうだ。
……しらんぞ。
採取権とか、取水権とか、生活保障とか、そんなのは実施にあたって担当者が十分に地元自治体や地元住民と協議するべき事だ。
まあ、絶対に揉めるんだろうけどね。
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