第9話 小さな川の橋の話

『それで、話の続きを教えておくれ。なぜあそこに橋が架かった方がいいのか。前提として川を渡る魔法についてはないものとしてな』


 頭の中で言葉を練る。


「ないよりは、あった方が便利でしょ?」


 全てを飛び越えて、短く答えてみる。

 教科書的に答えるのなら、物流コストの引き下げによる流通物量の増大、経済の活性化うんぬんの答えになるのだろうが、結局は面倒だからだ。

 川に入るのは面倒だし、手で押すのも手間だ。天気を見て、晴れが続いたときしか通れない道を通るのは流通計画の段階でうんざりするだろう。

 そこで、橋があればそのあたりは全部解決。多少の雨でも悠々と橋を渡って対岸に降り立てばいい。


『ふむ。それはそうだが、しかし誰が橋を架けるかね。その後の保守は誰が負担するのか。その辺りを聞いてみたいね』

「あなたたちの言葉で言えば地方領主でしょうね。王様が直接架けてもいいんですけど、僕の国ではそのどちらかが橋を架けますよ。まあ、地方で架ける橋の工事費も国が半分くらいは出すらしいですけど」

「ここに橋があればそりゃあ便利だろうさ。しかし、その恩恵を最も受けるのは農民や商人達だ。にもかかわらず工事費用は貴族持ちって誰が納得するんだよ」


 ノークスが不満げに言った。

 確かに、まあそういう考え方もあるかもしれない。先進国各国にも近代まであった考え方だ。

 正直、僕はこの帝国とやらが発展しようが関係ないのである。あとは適当に誤魔化して……。

ピシッ!


「痛て」

『儂が話しているんだ。口を挟むんじゃないよ』


 朱面が教鞭を振り回し、ノークスが頭を抱える。


『さて、悪かったね。続けておくれ』


 続き、と言われてもな。それはどちらかというと社会デザインとか経済学の話になるじゃないだろうか。


「ここの社会体制を知らないんですけど、税金は徴収しているかと思います。住民が商売をやって富を得れば、領主が徴収できる税額も上がると。それで地方の財政に余裕が出来ればまた、新たな橋や道路を作って、住民を更に富ませれば更に税金を徴収できると。建前はそんな感じです」


 僕のような土木屋が生きていけるのはそういう建前のおかげである。

 この社会体制には大きな問題を孕んでいて、それは既に噴出しているのだけど。


「て、いう大きな話の前に、その小川を渡すくらいの橋ならすぐ出来るでしょう」


 話の本題である。

 たかが五メートルだ。専門家では無い僕にでも工法は見当がつく。

 コンクリートがあれば方塊を置いて、そのうえにプレキャストの床版を据えるのが一般的だろう。

 あるいはボックスカルバートも多用される。

 いずれにせよ、河積を侵さない範囲で……。うん。ごめんね。一個ずつ説明をしよう。

 コンクリートで作った四角い塊を方塊という。

 プレキャストというのはつまりあらかじめ工場で作成して現場に搬入するコンクリート製品のこと。

 床版というのは橋を構成する部材の一つで、渡るときに実際に物が乗る部分である。

 方塊の上に、プレキャストの床版を乗せればものすごく単純な橋が出来てしまい、これを床版橋と言う。シンプルすぎてあんまり見ないけど。

 ボックスカルバートも、プレキャスト製品には違いないのだけど、どちらかというとコンクリート二次製品と呼ばれる類いの物で、規格があってメーカーが量産している。

 工事ではカタログの中から現場にあうものを現地に据えるわけだけど、じゃあ、ボックスカルバートはというと、二次製品の中で、四角い(ボックス)暗渠(カルバート)の事をさす。

 じゃあ暗渠とは、となると、埋められた水路のことだ。

 要は四角いコンクリートの箱の中を水が流れて、上を人が通行するのだ。

 説明が長くなったが、ボックスカルバートには規格によっては大型車両だろうと耐える頑丈さがあるので、そのまま橋として使われることも多い。

 ええと、それから河積か。これは単純で河の断面積の事だ。

 通常、河積は上流から下流に行くに従って大きくなる。そうすることによって、増水時も川の水が溢れにくくなる。逆にどこか一点で河積を絞ると、増水時にボトルネックとなって、河川の越水を招く。この、ある地点での河積を上流側より小さくする事をさして『河積を侵す』と表現している。ちなみに、意図的でなくても豪雨の際は流木などが橋に引っかかり一時的に河積が減少し、越水被害を生む事がある。


『石工を何人も雇わなければいけない。石の加工も運搬も大変だよ』


 ん? アーチ橋をイメージしているのだろうか。


「いや、木でいいですよ。どうせ通ってもこの馬車くらいなんでしょうから。丸太を四本縦に埋めて基礎にすれば簡単でしょう。人手と材料があれば二日くらいですよ」


 河の左岸と右岸に丸太を二本渡して、その丸太の間に厚めの板を渡して固定すれば、馬車が通るくらいなら用が足りる。僕が乗せられている馬車は木製なので丸太や製材がないとはいわんだろ。


『なるほど、簡易な橋か』


 朱面が頷く。


『確かに、地方に行けばそういう橋も見かける。しかし、きちんと考えた事もなかったので思いつかなかった』


 そういうのはよくある。土木に限ったことではないのだろうが、当たり前にあるものは注目したことがないと、思考に浮いてこない。

 立派な施設には感心もするし、覚えているのだが、簡易な間に合わせの構造物は 往々にして忘れ去られる。当然、記録も残されない。


「とはいえ、その橋がいったいいくらの財産を生むかっていうのはわかりづらいんですけどね」


 交通状況を改善すれば様々な効果が見られるが、それを計算するのは僕の仕事ではない。そして、現実として、地方領主は改善の効果を実感する前に橋の建設にかかった経費の明細を見て顔をしかめるのだろう。


「僕の国では道路がついていない土地は死んでいる土地として扱われるんです。どんなに広い農地でも、そこに行くまでの道が整備されないと、生産物が市場に流れないからです。だから、必ずあらゆる施設が道に接しているし、道は十分な交通量を裁ける広さを持っていますし、交通を阻害しないように河には橋が架けられます。それが当然という価値観で生きているものですから」


 だから今更、交通用インフラの大切さを説こうなどと考えた事もなかった。


『ふむ、ふむ』


 馬車は進み、荷台は揺れる。


『では、その道路についても君の話が聞きたいね』


 朱面が楽しそうに言った。

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