第7話 異世界で変なのに絡まれる

 二日後、再び異世界に踏み込んだ僕は『予測不可能な揺れ』と科学者が説明した現象にばっちり遭遇し、前回の丘とはかけ離れたところに出現してしまった。

 前回は五島がズレてしまったので、説明を求めたが、どうも根源的にシステムを動かす理論にわずかなブレは生じるらしく、波長が交差する点を無理に固定すると 反動でうまく目的地に立てなかった方が大きく飛ばされることがあるのだという。

 何を言っているかはさっぱりわからなかった。

 僕はいつもの現場恰好でどこか道の上に立っていた。

 道の広さは五メートル程度で、道の左右には簡単な木柵が続き、その向こうには小麦畑が広がっていた。

 いや、小麦そのものではないのだと思うが、広く耕作しているのだから主食的なものなのだろうと予測できる。

 葉はまだ緑で、糊熟期の前なのだろう。

 周辺には人気はなく、目を凝らせば離れた畑の中で数人の農夫がなにか作業をしている。

 さて、どうしたものか。

 五島のように合流を目指すのであればどこにか向かわなければならないが、方角もわからないし言葉もわからない。

 人目に触れてトラブルに巻き込まれるくらいなら夕方までどこかに隠れていた方が賢いかもしれない。

 道はなだらかな勾配をつけているが、どちらに進んでも建物なんかは見えない。

 ならば、と僕は低い方に歩き出した。

 理由は下り坂のほうが楽だからだ。

 水も弁当も持っているので、どこか人目につかない場所を探して隠れていよう。

 と歩き出してすぐに、背後からガラガラと音がした。

 振り向くと、丘の向こうから馬車がこちらに向かっていた。

 馬? ロバ? とにかくそういった類の動物に御者付きの幌馬車がひかれている。

 どうしたらいいのか。

 隠れるか、逃げるか。

 そうこう考えているうちに馬車は僕の目の前で停止した。

 御者が僕をジロリと睨む。

 ああ、初めまして異世界人。

 御者は一言で表するなら『酔っぱらったオヤジ』だった。

 髪も目も色素が薄く茶色い。肌も白いのだろうが、その顔は日に焼けて赤くなっている。

 しまったな。

 僕は少し後悔をした。

 今日もゴム長を履いてきてしまっている。

 動いている現場に入るときは必ず、つま先に鉄板が入った安全靴とヘルメットをかぶっているのだが事前下見などはゴム長に帽子なのだ。

 いずれにせよ、走れない。土木や未開地測量の現場で走ることはあまりないので、仕方がないのだが、ランニングシューズを履いてくればよかった。

 逃げる選択肢が消え、僕は突っ立っていた。

 と、馬車の荷台から男が一人、降りてきた。まだ若い。二〇才程度だろうか。自然素材で出来たシャツとズボンに身を包み、腰には片手用ハンマー程度の小さな斧を下げていた。顔は整っていて、眩しそうに僕を見ている。

 やがて、彼はなにがしかの言葉を呟いた。

 聞き取りづらい言語で、なにを言っているかはさっぱりわからなかった。


「え?」


 思わず聞き返した僕に、顔をしかめ、幌馬車を振り返って何事か呼びかけた。

 と、幌の中から異様な物体が滑り出てきた。

 黒に近い紫の布の塊。いや、よく見ればそれは人が布を頭から纏っているのが見て取れる。

 僕の感覚で行けば、その中にいる人間は子供か、でなければ異様な小柄だ。

 布から見える顔がまた僕を驚かせた。

 木製の、それも赤々と塗られた仮面をかぶっていたのだ。

 どこからどう見ても文句なく怪しい、まさに怪人は僕に向かって手袋に入った手をかざし、何事か呟きだした。

 それから、手で印を切ると、ずるずると荷台に戻っていった。


「えっと、言葉はわかるか?」


 青年が僕に話しかけた。

 なるほど、これが魔法か。

 さっきまでさっぱりだった言葉の意味がするすると頭に入っていく。

 五島がいうよりずいぶんとわかりやすいので、先ほどの怪人は名のある魔法使いかも知れない。


「言葉、わかります」


 少し緊張して、なぜか片言になってしまったが、青年はあまり気にせずに頷いた。


「私は、皇帝直轄魔学師寮の者である。お前は帝国の人間ではなさそうだが、何者だ?」


 表情や口調に怒りなどの雰囲気は感じられないが、さりとて友好的でもなく、なによりいつの間に引き抜いたのか、右手には小斧が握られていた。

 張り合えそうな荷物として、リュックの中には石頭ハンマーが入っていたが、どう考えても対人戦を想定した小斧に、石や鉄を叩く為のハンマーで立ち向かえるとは思えない。

 早々に心の中でバンザイをした。民間人なのだから、暴力に対して屈する事に迷いはない。


「全て話します。攻撃をしないでください」


 いつの間にか御者の男もクロスボウを手にし、僕を狙っていた。


「素直に話せば攻撃はしない。お前は何者だ」


 情けない表情を浮かべるのは得意だ。少しでも可哀想に思ってくれれば儲けものである。


「僕は土木の技術者です。私の所属する会社が土地を借りて、そこの下見に来たのですが、案内人とはぐれてしまって途方に暮れているところです」

「他国の者に土地を貸すことは帝国法で禁止されている。お前はどう見ても帝国民ではないだろう。国はどこだ」

「帝国法はわかりません。会社から見てこいと言われてやってきただけです。日本から来ました」

「ニホン……聞いたことがない。どこにある?」


 どこ。一体何と答えればいいのだろう。

 東の果てか?

 地球じゃないしな。まあ、とりあえず素直に。


「異世界です」


 青年は顔をしかめた。


「なんだそれは?」

「ええと、ここではない世界というか、説明が難しいんですけど……」

「貴様、悪魔の類いか?」


 なぜそうなる。


「いや、そうではなくて……」

「よく見ればその服も変だ。なんだその布は」


 なにといわれても普通の作業服です。安物。青っぽいというか緑っぽいというか、ホームセンターならどこででも売っている量産品だ。

 ちなみに、うちの会社では社名が旨に刺繍された、薄い朱色の作業服が会社から支給されるのであるが、僕自身がこのカラーを好まないため、着ることは少ない。


「すみません。縫製に詳しくないもので、どういう布のどういう服かとかはちょっと答えられないです」

「ふむ、怪しいヤツだ」


 青年の目つきが鋭くなる。

 そりゃそうだろう。逆にこの青年が東京あたりを歩いていても不審者だろうし。ていうか、さっきの仮面の魔法使いよりはずっとマシだろう。

 と、いつの間にか魔法使いが馬車からこちらを覗いていた。


『悪魔じゃないよな。儂らと大差ない人間じゃろ』


 ギョッとするようなシワがれた低い声。


『生まれた場所が違う。それを無理矢理召喚魔法で呼び寄せたのかの』

「ええと、まあ……そんな感じです」


 正確には呼ばれたのではなくて送り込まれたのだけど、その辺は余裕があれば説明したいと思う。


『それで、どこに行くのかね。面白そうだし、迷子だというのなら儂らと一緒に来なさい』


 青年は素早く斧を腰に戻し、御者もクロスボウを座席に置いた。


「じゃあ行こうか」


 青年は有無を言わさず、僕のベルトを掴んだ。あ、これは逃げられない。

 無理して逃げる必要もないので、僕は指示されるままに荷台に乗り込む。

 左右にベンチ状の座席が取付られているが、奥半分は木箱が積んであり、手前半分の右側に魔法使いが座っていた。

 促されて僕がその向かいに腰掛けると、横に青年が腰を掛けた。

 ていうか、狭い。しかし、相手は武器を突きつける男だ。極力刺激しないように身を縮めてぶつからないように気を使う。が、馬車が動き出すと揺れが酷く、すぐにそれどころではなくなってしまった。


『さて、話の続きをしよう』


 魔法使いが口を開く。正確には仮面で隠れて口は見えないのだけれど、とにかく話し始めた。


『君が召喚された場所はどこかね。召喚術は途絶えて長いが、使える者がいるのなら是非会ってみたい』

「いえ、召喚というか、ええと、なんというか」


 言葉を頭の中で探す。


『ちなみに、召喚されたのは君一人かね』

「ああ、それは二人です。案内人らしいんですけど、はぐれちゃって」

「役に立たない案内人もあったものだね」


 青年が笑う。表情からはさっきまでの警戒が少しだけ薄れている。おそらく、僕の情けない態度が警戒に値しないと感じたのだろう。


『君の名前はなんというのか?』

「朝部です。年齢は三十四歳。独身で、一人暮らしです」


 聞かれていないことまで答えるのは、初対面の人と会話のきっかけを探る基本だ。


「へえ……すごいね」


 青年が目を丸くする。


「一人で暮らしてるの? 君は傭兵かなにか?」

『というか三十四歳で独身なのか? アサベの住んでいる国ではそれが普通なのか?』


 いきなり二人が食いついた。


「いや、傭兵とかではないです。普通の土木屋です」

『さっきも言っておったが、君は貴族に仕える従者かね?』

「え、普通の会社員ですけど」

「会社、という事は商人の下で番頭かなにかしているのか?」

「ええと、商人といえば商人なのかな。資本家に雇われている労働者です。一般人ですよ」

『ふふふ、面白いな』


 朱い面の奥で魔法使いが笑った。


『アサベの住む世界はこの帝国とずいぶんと違うじゃないか。じっくりと話を聞きたいもんだね』

「アサベ、君がどこから来たかは知らないが、君は今、帝国魔学師“朱面の翁”の興味を引いた。魔学師の探求行為には皇帝陛下を除き、帝国に存在するあらゆる者が協力しなければならない義務がある。よって、君は今からお師匠様のお気が済むまで拘束させて貰う。なお、衣食などは魔学師助手のこのノークスが世話をする。また、拘束期間の謝礼として、一日辺り金貨二枚が贈呈される。これは、解放時に額面を記したチケットを発行するので、期間内に帝都内魔学師寮の会計官をたずね、換金して貰うこと。以上、了解したな?」


 突然、青年が朗々としゃべり出し、僕に了解を促した。


「え、ああ、まあ」


 僕が曖昧に頷くと、朱面と名乗る魔法使いは肩を揺らして笑った。


『了承と取る。なに、そう何年も拘束するわけじゃない。儂が解放する前に逃げれば、ノークスが追っていって君を殺すじゃろ。それだけは覚えておいてくれ』


 頷きながら、僕は内心で落ち着いていた。

 夕方になれば装置が作動して僕は元の世界に戻るのだから。

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