第6話 いよいよ異世界か

 はいはい、帰還ね。

 ビーコンから音が鳴ったので、僕は立ち上がって荷物を纏めた。

 川の観察を終えた後は特にやることもなくなったので、岩の辺りに移動して昼飯を食った後は昼寝をしていたのだ。

 ブルーシートを敷いて、寝ていたのだけど、日が傾いて本格的に寒くなり始めていたのでちょうどよかった。

 片手に空の弁当箱。もう一方にブルーシートを雑に突っ込んだリュックで、一瞬の光の後、常務室に立っていた。

 周囲には白衣の連中に混じって社長と常務も僕を見ていた。

 横を見ると、明らかに泥まみれの五島が呆然として立っており、何があったのかは知らないけどひどく楽しそうだった。


「うむ、お疲れさん」


 常務の言葉を合図にしていたように白衣の連中が動き出して僕と五島に群がってきた。

 上着や靴を脱がされ、それらはビニールで厳重にパッキングされた。

 爪のアカも採取しようとするので、手袋をしていたことを告げるとこれも没収された。


「別にいいけど代わりをくださいよ」


 作業用革手袋は高価なのだ。僕が使っているのはだいたい一双で二千円ほどする。

 ついでに採取してきた水と、砂利や砂も出して成分検査や強度検査を頼む。

 極端に酸性値が高かったり有機物が過分に含まれていたらそのまま使えない。

 口の中の細胞を取られたり、鼻の奥の粘膜を取られたりで忙しく三〇分ほどたかられて、ようやく解放された。

 下着姿のまま、地下のシャワー室に連れて行かれて体を洗うと、あらかじめ用意していた私物のTシャツとハーフパンツを着て常務室に戻った。

 五島も同様だったが、話しかけても黙って頷くだけだった。

 再び、常務室に戻ると、白衣の連中はあらかた引き下がって、常務と僕、それに五島が残された。

 応接テーブルには弁当とお茶が袋に入ったまま置いてあり、どうやら夕食ということらしかった。


「さて、内業の前に飯だ」


 常務が席に着き、僕と五島にも席に着くように促す。

 僕は渡された弁当を見てゲンナリした。

 近所のスーパーの総菜コーナーで置いているたいして美味くもない弁当で、しかも半額シールが貼られている。


「もうちょっといい物を頼みますよ」

「バカ、おごって貰って文句言うな」


 ということは常務の奢りらしい。

 とはいえ、昔は現場を仕切っていた男で、飯を制する者が現場を制するとか言っていたのだ。

 これで制する事が出来ると思っているなら、現場から離れすぎてカンが腐っている。

 仕方なく僕は弁当を一つ取って蓋を開ける。


「ところで、いろいろ相談したいこともあるんですけど、常務と五島さんしかいないんですか?」


 現場判断としては相談相手が常務で文句ないが、積算の基礎に関わる条件の部分では五島よりももっと上の役に立ち会って欲しい。


「俺じゃ不足か?」


五島がむっとして呟く。


「不足っていうか、五島さんは土木の経験がありますか?」


 一口に土木と言っても、大企業の土木と中小企業の土木、国家公務員の土木職と町役場の土木職ではそれぞれ見ている物が違う。それでも素人よりは全然いい。


「俺に土木はわからん。が、この件は俺が担当だ。何でも相談してもらいたい」


 不機嫌そうに見得を切る。


「じゃあ、相談ですけど、浅いところで硬岩が出ても切ります?」

「コウガン……?」

「てな感じで、なんのこっちゃわからないでしょ。まあ、僕としては五島さんがいいって言ったって根拠だけでもいいんですけど、あの、逆に聞きたいんですけど、五島さんで不足はないと、それが発注者の意見としてのフィックスだと考えてもよろしいんですね?」


 これは大事だ。

 一般的な工事であれば、発注者側の代表者である『監督員』と受注業者側の代表者である『現場代理人』が意見を摺り合わせつつ現場を決める。

 例えば、現地に湧き水が発生して工法変更を検討する場合、現場代理人が勝手に変更する訳にはいかない。

 もし、打合せ簿も交わさずに工法を変えて工事を進めた場合、その部分の工事代金は支払われない事もある。どころか手直しといって、一度現場を元に戻した上で再度工事し直さなければならなくなる。


「確かに俺は素人だ。だが、あんた達は専門家なんだからわかるように説明をしてくれよ」


 そう言われて僕は常務と目を見合わせた。

 営利目的の土木屋に向かってそんな事を言ってはいけない。

 五島の台詞は僕たちに如何様でも好きにやってくれ、と言っているのに等しい。

予算の範囲で千億でも二千億でもつまめそうだった。


「五島さん、まあ落ち着いて。朝部の言い方も問題があったが、しかし五島さん。私たちも仕事なんですよ。例えば私たちが積み上げた積算とその設計がそのまま通ればいいんです。しかしね、方向を定めて進んだ後にやっぱり違った、と言われると困りますもので。ええ、もちろん、専門用語でも工法の歴史でも注釈をして差し上げることは出来ますが……そうですね。よし、私たちも何パターンか工法を検討しましょう。それで五島さんに持ち帰っていただいて、改めてそちらの方でお考えいただくと言うことで」

「え」


 思わず僕は言葉を発していた。


「その複数パターンの工法検討って誰がやるんですか?」

「お前に決まっているだろうが」


 僕は顔をしかめた。

 パターンを分けると言うことは、地形図に計画図を入れた図面を何枚も作り、設計書を何冊も作ることになる。

 複雑な線は入れないとして、それでも一件あたり五時間ほどかかるだろう。

 正直面倒だ。


「いや、でも急ぎでしょ。僕も忙しいんですよね」


 発注者側に知識があれば、地形図を見ながら協議すれば工法をある程度絞り込めるはずだが、余計な手間だ。


「あのねえ、お前はいま社長特命に就いているんだよ。それくらいはやりなさい」


 常務の態度にはとりつく島もない。


「じゃ、せめて助手を付けてくださいよ。僕が一から十まで作業は出来ませんよ」

「ダメに決まっているだろ。口外厳禁、関わる人数も最低限だ」


 常務室には本来常務が使う机に僕のパソコンが据えられており、横にはプリンタが有線直結で取り付けられていた。

 当然、インターネットには接続できないとのことで、ずいぶんと乱暴な原始化だ。

 僕は弁当を持って常務の机に移動した。

 思ったよりも固い椅子に腰をかけてパソコンの電源を入れる。

 やや待ってデジタルカメラを接続、撮影した写真データをパソコンに取り込んだ。

 事前の説明では業務終了後、このパソコンごと没収されるとの事だが、豪毅なことだ。

 弁当をつつきながら写真をA4用紙一枚あたり四枚の配置で印刷をかける。

 用紙にして五〇枚の写真が印刷される頃には僕は弁当を食べ終わっていた。

 常務はお茶をすすりながら写真を眺める。五島も横に座ってそれをのぞき込んでいる。


「なんていうか、普通の丘だな」


 僕は続いてCADソフトを立ち上げ、画面の縮尺を一/一〇〇〇に設定。

 現地踏査のデータに合わせて六五〇メートルの斜線を一本引く。

 左下から右上に向かって、角度は二〇度。右端は六〇度の斜線、左端は水平の線に交差させる。

 これで概略計画の基本となる地形が出来た。所要時間は一分。

 甚だ簡単だが、最初のポンチの段階ではこんなもんだ。

 早速、A3用紙に大きく印刷してみる。印刷部数は人数分。

 プリンタから排出された三枚の紙を取って応接テーブルに戻る。


「で、五島さんは現地を知っているんですか?」


 僕は五島に聞いた。今日は一緒に行動するはずだったが、転送された場所にいなかったのだ。


「俺はあの世界に行くのは今日で四度目だ。以前、この写真の丘も確認している」

「今日はどちらへ?」

「俺が転送された先は、この丘からおそらく数十キロ離れた場所だった。方位磁石と通行人の話を聞きながら一日中、丘を目指していたのだが、結局たどり着けなかった」

「え、あっちの言葉を話せるんですか?」

「以前、あちらに行ったときにな、魔法をかけて貰った」

『魔法?』


 僕と常務の声が重なった。


「あちらには、魔法と呼ばれる技術が存在している、と聞いている。俺自身が調査した範囲では家畜を呼び集めやすくなるとか、釣りで魚がかかりやすくなるとか、豊作になるかも知れない、食あたりになりにくいといった祈祷程度の概念を魔法と呼んでいるようだが、中には火起こしなどの理屈がわからん技術もあるらしい。それに、俺がかけて貰ったのは確かに通話を可能にするなにがしかのマジナイだった。それ以降、俺はあちらの人間の言葉が少しだけ理解できるようになった」

「少しだけなんですか?」

「感覚としては酷く方言訛りの強い地域に入り込んだようなもんだ。お互いに簡単な言葉なら比較的通じやすい。身振り手振りでどうにか意思疎通が出来ることもある。しかし、これもそんな状況で聞いたことなので曖昧だが、どうもマジナイを施す側の技量も大きいらしい」

「それは不思議ですね」


 常務が身を乗り出している。

 この男はこんな老齢であるが、指輪物語やゲド戦記の愛読者だったりするのでファンタジーには理解があるのだろう。昔、読めといわれて分厚い本を借りたが、娯楽のない山中の飯場でさえ僕にとっては枕以上の価値はなかった。


「ちなみに、あの丘の周辺は国境付近らしい。通訳の魔法はポピュラーで十人に一人は使えるが、せいぜい挨拶くらいだな。俺が魔法をかけて貰ったのは領主の館に使えるという魔法使いだったが、周囲の話を聞くに、所詮田舎者だと。もっと都会に行けば日常会話に困らん程度は期待していいそうだ」


 ずいぶんとファンタジーな異世界だ。

 もっとも、僕は向こうの世界で未だ人間を見ていないのでどんな存在かもわかりかねる。

 しかし、意思の疎通が可能なら近隣住民の雇用が可能なのではなかろうか。

 そうなればいろいろとやれることも増えてくる。

 僕は頭の中で工程を並べはじめていた。

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