小説家、花咲メイビの憂鬱

マフユフミ

第1話 歌うおばちゃん

花咲メイビは困っていた。

いや、全力で悩んでいた。

(これどないなってんねん…)


今メイビ、というよりは現時点での原崎明美の目の前にあるのは、黄ばんだような色した重厚な大理石のカウンター。(この色合いを説明したら、いろんな人に怒られた。しかしいくら高価なものでも黄ばんで見えるものは仕方ない。明美は表現に関しての妥協というか、嘘は決してつきたくないのだ。)

そこには数本の鉛筆と、何らかの裏紙を駆使してつくられた簡易メモ用紙。

それと、小銭を入れて受け渡しするための小皿が数枚、埃をかぶった軽い造花の花束が置かれている。


余談だが、本物の花、ましてや花瓶何て置こうものなら命とりだ。「もし何かの加減でぶん投げられたらどうする?自分の命は自分で守れ!」とは入社当初から口を酸っぱくして上司から言われていた名言である。


しかし、明美の困惑の原因はそこにはない。

メモ用紙の100枚や200枚、ぶん投げられたところで関係ないし(それくらい日常茶飯事だ)、鉛筆にはきちんとひもが付けられカウンターにくくられている。

今のこの困った状況というのは、そういった暴力事件にまつわることとは別の問題だ。ま、ある意味暴力よりタチが悪いのだが。


(どうやったら収集つくねん、ていうか収集つけようがないやん!)

心の中でつっこみという呪怨をまき散らしながら明美はカウンターから動かない。もちろん顔はやや微笑んだままの無表情だ。

その死んだ目が見ているのは、カウンターから1メートル20センチほど離れたところ。そこにひっそり佇む女性だったのだ。

(ちゅうか離れすぎっ!その割にこっち見すぎ!)

女性は小花模様の薄手のワンピースに身を包み、肩甲骨あたりまであるゆるくパーマのかかった髪を振り乱しながら、必死の形相で立っていた。

明美は無表情の中で一度瞬きした。

(おお、ジーザス!)


怖いのではない。決してない。

どれだけ振り乱したざんばら髪が頬に張り付いていようと、猫背の姿勢に対してワンピースの小花模様が主張しすぎていようと、必死すぎて丸い眼鏡がやや斜めにズレかけていようと、そんなことは本当にどうでもいいのだ。

むしろ、見た目なんてものは丸ごとオッケイ。

やばいのは行動だ。

この行動さえ、なんとかこちらで制御できないものか。

(まじ助けて…)


その女性がカウンターに現れたのは5分ほど前。

何か言いたげにきょろきょろこちらを見てくる女性に気づいた明美は彼女に声をかけた。

「こんにちは。どうなさいましたか?」

今思えば、これが諸悪の根源である。

「あの……」

女性は言いにくそうに明美を見つめる。

明美は淡くほほえんで、女性の言葉を待った。

何より大事なのは、患者様の話に耳を傾ける「傾聴」の姿勢。

明美は基本に忠実な女なのである。

「実は、自作の歌を聴いてほしいんです!」

(はい!?)

予想の斜め上からきた言葉に、明美は盛大につっこんだ。むろん心の中だけでだ。そして当然のように無表情だ。

(自作の歌?ここで?)

心の中で葛藤する暇もなく、女性は決意を込めたまなざしで明美を見つめた。

「歌います」

一言そう宣言すると、女性はさーっとカウンターから1メートル20センチほど離れた。

(早っ!遠っ!)

少しズレたつっこみを入れているうち、カウンターにはやや弱々しい、それでもきっちりメロディーをとらえられる程度の声が響いてきたのである。

(自作の歌て、演歌やん!しかもこぶし!!)

女性は真っすぐ明美の目をとらえながら、ド演歌を熱唱している。きれいにまわるこぶし。耐える女の情念。

(濃い!濃すぎるー!!)

明美の叫びは、誰にも届かない。

そして、女性のド演歌は、なぜかきれいに周囲から無視されている。

(すげぇスルースキル!)

もちろん、それがなければやっていけない職場である。

誰が仕事に来て、見知らぬ自作のド演歌を聴く羽目になると思うだろうか。

患者側からすると、なんで診察に来て素人の見知らぬおばちゃんの熱いド演歌聴かなあかんねん!というところだろうか。

しかし、そんな思いはぶつけるだけ野暮というものである。


歌はまだまだ続く。

弱いながらも届く歌声から察するに、どうやら2番に入ったようである。

(1番だけちゃうんかい!)

申し訳なさそうなカウンターでのやり取りは今は昔。

女性はフルコーラスで歌う気満々のようだ。


ちなみに言うが、今は午前10時20分を少し回ったところ。

バリバリ外来時間中である。

患者も看護師も、もちろん医師もいる。

そのなかで、ド演歌である。

リサイタルである。

女性のオンステージなのである。

(誰かええかげんつっこめよ!!)

かくいう明美も、つっこみはしない。心以外では。

何より大事なのは「傾聴」。耳を傾けることなのだ。

明美は基本に忠実な女なのである。

それが会話であれド演歌であれ、耳は傾けなければならないのだ。

(やべぇ、プルプルしてきた)

無表情に徹してきた表情筋といろんな感情の我慢が極限に達したころ、女性の歌は38回目のこぶし回しを終えた。


このタイミングで言うのもどうかと思うが、明美には悪いというか、妙な癖がある。どうにも不可解な事象は「おもろいもん」として分類わけしてしまう。

怖がるのもしんどいし、神経質になるのもめんどくさい。

それなら、面白がればいいじゃない。

(か、書きてぇ…)

ついでに言うと、明美はおもろいもんに出会ってしまうと、花咲メイビになってしまう。

正確に言うと、その出来事をモチーフにどうしても小説が書きたくなってしまうのだ。

しかも、本人が「おもろい!」と思って書きたくなるのにも関わらず、その作品たちは軒並み猟奇殺人事件である。

明美はそんな自分のことを一種の病気だと理解している。

だからこそ、こんな妙な職場で楽しく働けているし、こんないろいろな出来事をおもしろいと思ってしまう。

たぶん、変態である。

そして、そんなミステリー作品を生み出す自分の力を「変態脳」と明美は呼ぶ。

(頼む、誰か私に紙とペンをプリーズ)

おもろさが高じてきて、もう止まらない。

やや微笑んだ無表情のまま、明美は、というより今は花咲メイビは切実に思う。

(オレの変態脳がうずくぜ…)

もはや無表情も限界となってきたメイビが厨二になりかかったころ、やっと女性の歌は終わりを迎えた。


「終わりました」

達成感さえみなぎらせてこちらへと向かってきた女性に、メイビが言えたのはただ一言。

「お上手ですね」


淡い微笑みの下、握るペンはとまらない。

メモ用紙にぎっしり書かれた汚い字は、家に帰ってきれいにタイピングされるのだろう。

「ありがとう」

歌い切った女性は、薄い水色のレースのハンカチで額の汗をぬぐいながら、満足げに家に帰っていった。

今日女性は診察の日ではなかったから、たぶん歌うためだけに来たのだろう。

それならやはり、聴いてあげてよかった。


どれだけ聴かされた人間がいたたまれないような思いをしたとしても。


(それにしても、なんであんなにカウンターから下がりはったんやろ?)

売れっ子ミステリー作家、花咲メイビにも解けない謎がひとつ残ったのだった。



それから1か月後、病院で歌うおばちゃんがどんどん猟奇的に人を殺していくという、新しいタイプのミステリー小説が花咲メイビ名義で発表された。


「あのおばちゃん、犯人にしてごめーん!!」


メイビの心の叫びは、誰にも届かない。



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