第10話 心の風邪をもって心の風邪を制す
花咲メイビは戸惑っていた。
例えるなら、レストランでスパゲッティを頼んだのにスプーンしかついて来なかった、くらいには戸惑っていた。
だって、目の前には、なぜか土下座のスゴロク。
(状況が読めません…)
スゴロクのやることがいちいち良く分からないのは今さらだけど、土下座の意味が本当に分からない。
「よろしくお願いします、明美先生!!」
(先生言うた!!)
作家と編集者という立場で会ったときも、スゴロクは決して先生なんて言わない。
(一体何をよろしくお願いされんねん…)
この先が怖ろしすぎて、明美はメイビとなり現実逃避する。
(土下座の男は、踏む?蹴り上げる?)
あまりに訳が分からなさすぎて、ついうっかり殺害方法を考え始めるメイビである。
「これを頼めるのは明美大先生しかいないんです!」
さらに頭を地面にめり込ませるスゴロクに、ついにメイビは聞いてみることにした。
「で、私は何をお願いされるのでしょうか」
「なんで丁寧語!?」
土下座から顔を起こしただけのスゴロクが、いつも通りつっこんでくる。
「とりあえず、土下座をやめてください」
「いや、これはオレの誠意で…」
「やめてください」
「それやったらオレの気が…」
「問答無用!立て!そして3歩離れろ」
言い訳をぶったぎる。
「きびしっ!」
「本気の土下座なんかされたら目立つねん!」
さっきから、土下座をする若い男と土下座をされる若い女に、世間の目は釘付けだ。
それがいくら職場の裏の、人通りの少ない細い薄暗い道だったとしても。
「こっちの職場の裏で土下座するってどういう了見?」
「いや、ここ裏道やし、人いてへんし」
「もし同僚に見られたらどうすんの」
「大丈夫やろ」
「何を根拠に。原崎明美は男を外で土下座させる女や、なんて思われたら」
「そのまんまやん」
「どこがやねん」
「基本的にあけちゃんSやん」
「どういうこと?」
「ほら、こういう言葉責めとか」
「こんなもん言葉責めちゃうし」
「土下座してるオレ、踏みたかったはずやし」
「踏むか。ナースシューズやし」
「ヒールやったら踏むんかい」
「…まあ、キライ、ではない…」
「はい、ドS入りました~」
「居酒屋か」
「基本、猟奇殺人書くってドSやろ」
「決まってへんやろ」
「いや、あんがいドMかも?」
「知らんわ」
やばい、このままだと結局スゴロクのペースに乗せられてしまう。
それだけはさせるまい。
ガバッと手を伸ばし、いまだ正座しているスゴロクの前髪をひっつかむ。
「とりあえず、立って話そか」
「…ドSやん…」
立ち上がりながらスゴロクがつぶやいた言葉を、あっさり聞き流して見せた。
さっきまで殺害方法を考えていた、なんてことは、永遠の秘密である。
「で、昼休みに突然押し掛けてきといて、しかもいきなりの土下座とか、どういうこと?まったく意味わからへんねんけど」
「いや、実は…」
深刻な雰囲気を出しながらスゴロクが話しだす。
そんな雰囲気に気圧されて一気に緊張するメイビだったが、聞いてみればなんてことない話だった。
スゴロクの職場の先輩が、どうも最近うつ状態らしく、一度診察してみてほしいということで。
「そんだけのことでなんで土下座なん。普通に言えばいいやん」
「いや、なんというか、公私混同っちゅうの?内緒の作家生活に事務員生活混同したくないかなー、と思って」
「いやいや、そんなん知ってんのあんだだけやん。ただの幼馴染み言うとけばいいだけの話ちゃうの」
「あ、そーやった」
このスゴロク、切れ者なのか抜けてるのか分からないところがある。
「ほな、予約入れといたらいいねんな」
「そやねん!お願いします、明美大明神さま~」
先生から出世した。
「調子ええなぁ。とりあえず、予約とれたら電話するわ」
「助かる~。やっぱり持つべきは気の利く幼馴染みやね」
調子のいいスゴロクは、もう完全にいつも通りだ。
やっぱり変に下手に出られるよりは、いつも通りのスゴロクの方がいい。
「ほな、あとで」
「あ、一つ言い忘れてた」
「何?」
なんだか嫌な予感がする。
「その先輩、花咲メイビの大ファンで、メイビの実体があけちゃんってことも、よーく知ってるから」
前言撤回。
「死ねっ!」
「ひどっ!」
それから数日後の今日。
明美は今日何度目か分からないため息をついた。
あれから、あれよあれよといううちに先輩の予約は取れ、気づけば診察当日。
そもそも、予約を取る手続きをしている時点で気が重かったのだ。
幼馴染みからの依頼でと告げれば、途端に目を光らせた人が数人。
「原崎さんの幼馴染みって、男?女?」
「…男です」
(こーいうことに反応する人、おるよなー)
明美はそっとため息をつく。
「その人かっこいいの?」
「まあ、普通かと…」
スゴロクに関して、そういう目で見たことが一切ないので答えようがない。
だって、あのスゴロクだ。
変態脳的な相性は抜群かもしれないけれど、と腹の中で思う。
たぶん、向こうからもそうだろう。
「幼馴染み、なんて言うてほんまは付き合ってんちゃうん?」
「ありません、それだけは絶対」
ここだけはしっかり否定する明美だった。
もちろん幼馴染みで、今は担当編集者。関係は大ありだが。
(くそっ、めんどくさいな…)
「でも、来るのは幼馴染みじゃなくて、その会社の先輩ですからね」
しっかり言っておく。
こういう類いの人たちには、妙な恋愛妄想を抱かせないに限るのだ。
なのに。
「はいはい」
半笑いで返されてしまった。
(こいつら絶対信じてない…)
ま、実際先輩さんが来たらそれで落ち着くだろう、なんて。
思ってたのに。
「なんでお前まで来てるねん」
目の前にはニヤニヤ顔のスゴロク。
「え、そりゃ、付き添いってやつ?」
「ややこしいときに来んな!」
見えないところにパンチを一発。
「お、さすがドS!」
「もうその話ええっちゅうねん」
このままでは何も進まない。
「とりあえず、先輩にこの問診票書いてもらって」
スゴロクに用紙を押しつける。
ほら、仲良いんじゃない、なんておばさんのうるさい視線がうっとうしい。
「へー、これがあけちゃんの職場か~」
そんなこと知ってか知らずか、スゴロクが妙に感慨深げにつぶやく。
親戚のおっちゃんに働いている姿を偶然見られたようなむずかゆさが明美を襲う。
「そうやで。だから、邪魔せんといて」
いろんな視線から逃れるように、対応はあえて冷たく。
普段の受付としてはあるまじき行為なのだが、相手がスゴロクなのだから仕方ない。
明美は自分にそう言い聞かせる。
「そっかー、ここでかー」
明美の冷たい態度なんて意にも介さないスゴロクは、マイペースに話し続ける。
「何がよ」
つい聞き返した明美に、スゴロクはニヤリと笑みを浮かべ、耳元でささやいた。
「あの話もこの話も、ここで生まれたんやな」
言うてることも言い方も、もーややこしい!!
「…っ!!」
「おぅふっ…」
スゴロクの腹にパンチを一発お見舞いし、
形だけ先輩さんに挨拶だけして、明美は持ち場へと戻ったのだった。
それでもやっぱり多少は気になる。
(大丈夫やったかな?)
先輩さんよりもスゴロクが。
だって、率先していらんことしそうなので。
(よし、あとから見に行こう)
それなのに、その日はなんだかんだで忙しく、スゴロクとその先輩にはそこから会うことがなかった。
(無事終わったんかな?)
少し気になる。
スゴロクに関しては全くもって気にはしていないが。
それでも、気に掛けている様子をおばちゃん達に見られでもしたら、たちまちヤツらの恋愛妄想の餌食である。
(しゃあない、今度スゴロクにでも聞くか…)
やっぱり、自分の身は守りたい明美であった。
「あけぴー!!ほんまありがとう~!!」
そんなテンションの高い電話をスゴロクが掛けてきたのは、その数日後のことだった。
「先輩、すっかり元気になったわ~」
その言葉にほっとする明美。
「よかったね。で、薬とか通院とかはどーなん?」
「あ、そういう必要はないねんて」
「え、うつやったのに?」
「うん。あけちゃんとこの患者さんら見て、こうなったらあかん!絶対なりたくない!思ったら自然と元気になったみたい」
「どないやねん!!」
そりゃ、許嫁~言うて近寄ってくるおっさんとか、無駄にタンクトップの集団とか、濃い~く仕上がっておりますけれども。
「そうそう、先輩が言うてたけど」
「何?」
「あの環境なら、これからもどんどん猟奇的なお話できますね!やって」
「どんな結論!?」
数ヶ月後、書店にならんだハードカバーの新刊は、気の弱い雑誌編集者が締め切りに追われるたびに精神を病み、通い始めた心療内科の患者たちをどんどん殺害していくというサイコホラーだった。
「先輩ついに主役デビューですね!」
とのスゴロクの言葉に、
「立場逆やーん!!」
と叫ぶ先輩がいたとか、いなかったとか。
小説家、花咲メイビの憂鬱 マフユフミ @winterday
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