第9話 どっちが本物なのかって話

花咲メイビは遊んでいた。

今はまさに平日の午前中。当然のように病院事務員原崎明美として、絶賛仕事中である。

しかし明美は、すでにメイビとなって遊んでいるのだ。

そう、これは壮大なごっこ遊び。

目の前の光景を目にして、メイビは無理矢理遊んでいる。

いや、遊んでいると言い聞かせている。


(だってコレ、どう考えたって無理なやつやん)

プルプルする二の腕を押さえながら、比較的冷静な視線で周囲を見る。

真面目な顔で対応している先輩。

でもペンを持つ手が震えてるの知ってますよ。

(私の目がごまかされるとお思いか)


ぐいぐい元凶ににじり寄られている課長。

笑顔を作っているその口の端がひくひく震えている。

(うん、うん。目の前で笑えませんよね)


そしてメイビはメイビで、ほんの少し離れた場所からひたすら変態脳を発動させている。

(だってコレ、どう考えたってあかんやつやん)

みんながみんな、元凶の持つ無駄な求心力にやられている。


ことの発端は、一人の患者が窓口に訪れたことだった。

「すみません」

女性にしては低くて少しハスキーがかった独特の声は、まあまあ前から入院している常連さん、寺田幸恵さんだった。

「こんにちは。どうされましたか」


ここでメイビは考える。

このとき掛けていた言葉が「どうされましたか」でなかったら、今のこんな状況を産み出していなかったのだろうか、と。

「どうかしたのか」と聞いたからこそ、彼女はこうなってしまった。

だって彼女、どうにかなっちゃってこうなってるわけだから。


たとえば。

「最近どう?」

事務員としては失格な、ツレもしくはタモリさん以外には通用しない言い回しなら、彼女の息の根を止められていたのだろうか。

ただ、「どうもこうもないんですよ」と切り返されていたら、現状と変わらない事態が待っているだろうことは用意に想像できる。


では、

「病棟の看護師さんが呼んでましたよ、早く帰ってください」

そう言えば、うまくすればすぐ病棟に帰ってくれていたのかもしれない。

ただ、一番悪いのは、その言葉がすべて捏造の嘘しかないということだろう。

何か言いたかったはずの患者を遮って嘘をつく。

受付事務員としてはあり得ない行為だ。

しかも、傾聴どころか傾聴の逆をいっている。

だって、言いたいことを言う前にぶったぎっているんだから。


いろんなパターンの受け答えを頭のなかにシミュレーションしてみるけれど、どれ一つとってもいい結果を産み出さない。


松田聖子、恐るべし。


そう、窓口に来ているのは、なんと松田聖子である。

ごりごりのアイドルとしてデビュー、数々の男性と浮き名を流し、それでもやっぱり歌がうまくて美人さんの、あの松田聖子である。


悲しいのが、それがあからさまなる「自称」であることだ。


先程メイビがぐだぐだと考えていた、自称聖子出現時の実際の会話はこうだった。

「すみません」

「こんにちは。どうされましたか」

「マネージャーが迎えにこないんですけど」


ん?今マネージャーとおっしゃいました??


「どちらか行かれるんですか?お迎え呼ばれているんですか?」

気になる単語はあるけれど、出掛ける約束をすっぽかされたのなら、話を聞いてあげて病棟にも確認をとらなければならない。

「今日ね、レコーディングなんですよ」

ん?レコーディング?

「聖子、次のアルバム出さないといけないんで」

ん?聖子??もしや???

「こっちも松田聖子のプライドあるんで、ちゃんとしたスタジオで録らないといけないじゃないですか」

いやいやいや、あなたただの寺田幸恵さんですよね。

松田聖子のプライドを寺田幸恵さんが持ってるわけないですよね。

「そやのにマネージャー来えへんし、レコーディング遅れるじゃないですか」


気がつけば、明美の目の前で、ボサボサの髪を振り乱したやたら背の高い猫背の自称松田聖子がイラついていた。


(なんてシュール!)


聖子ちゃん、そんな上下ネイビーの毛玉できかけてるジャージ着てるんや、とか。

聖子ちゃんの癖に声めちゃめちゃハスキーやん、とか

考えれば考えるほど、明美はメイビへと突入するのだった。


そして、ぷるぷるしつづける脳みそで導きだしたメイビなりの答えが、

(ああこれは、崇高なる松田聖子ごっこなんや)

妙に腑に落ちた。


そして現在に至る。


聖子はあくまで聖子のまま、いまだ来ないマネージャーへの怒りを口にする。

なんとかなだめようとしている先輩も課長も、かなりのダメージをくらっている。

「いや、だからね寺田さん」

「松田ですけど」

このやりとり、何回聞いてんねん。


早々と前線を抜け出し、己の仕事に没頭しているフリをするメイビは、頭のなかで松田聖子殺人事件を展開する。


いい加減、松田聖子ごっこに堕ちてくりゃいい。

真実はどうでもいいとして、寺田さんがそう思ってんねんからそれでいいねん。

否定したって何も生みやしない。


そう思っているから、メイビは無理矢理にでも遊ぶ。

森永病院医事課全体を巻き込んだ、壮大な松田聖子ごっこで。


(ヤベ、頭ん中聖子ちゃんの抱いてが回りだした)

しっとりしたラブバラード。

歌うはもちろん自称聖子ちゃん、寺田さん。

ボサボサのロン毛振り乱して、ネイビーのジャージ上下でしっとり歌う。

♪抱いて抱いてー、いてー♪

(抱けるかっ!!)

絵的にキツすぎた。


「ちょっとそこのお姉さん」

現実逃避していたメイビに、現実は容赦ない。

ついに自称聖子にそっち側へと引き戻された。

「はい、どうされました?」

何事もなかったかのように対峙する。


平常心が大切って、昔どっかのお坊さんが言ってた気がするから。

どこのか忘れたけど。


「こんなけスケジュール狂わされて、どうするつもり?」

いや、別に私が狂わせたんちゃうし。

でもここは、松田聖子ごっこに乗っかってみる。

「お忙しい聖子さんのお手を煩わせてしまい申し訳ありません。ここはわたくしの方から事務所に連絡をとり、しかるべき対処をいたします。ここで大声を出されては喉にさわります。さあ、早くお部屋で体と喉を休めてください」

ノンブレス。

花咲メイビ、やればできる子なのだ。

「…わかってるならいいねん」

あんなに頑なだった自称聖子、ついに部屋へと引き下がった。

勝者、花咲メイビ。


「原崎~!」

さっきまで自称聖子にやや絡まれていた先輩が近づいてくる。

「なかなかやるやん」

「それほどでも」

「…しかし、ものすごい松田聖子やったなあ。」

「あんなん、乗っかったったらええんですよ。否定しても聖子やねんし」

「…さてはお主、花咲メイビだな」

素性を知っている先輩がニヤニヤしながら小声で言ってくる。


なぜバレた??


そして、その日の夜。

急にスゴロクに呼び出された明美は、普段あまり着ないシックなワンピース姿で街のホテルの前にいた。

「あけちゃーん!!」

これまた普段は着ないおしゃれなスーツに身を包んだスゴロクが、それでもいつも通りのテンションでやって来た。

「どうしたん、急に。ごはんやったらいつものファミレスでええやん」

「たまにはちょっとええ思いしようや」

スゴロクがなんかニヤニヤしてる。

はっきり言って怪しい。何をたくらんでるのか。

「それにしても小綺麗なカッコて」

「ほら、最近あけちゃん忙しかったやん。このスゴロク様、癒しのためなんかないかなぁ、と考えていたわけですよ」

そんなこと考えてくれてたんなら、ちょっとうれしいけど。

でもちょっとキモい。

「…怪しい」

「オレ信用なさすぎやんっ!」

過去の己を顧みよ。

なんて、わざわざ言いはせんけど。

「で?いい癒しはあったん?」

「そ。これ。」

そう言ってスゴロクが差し出したのは。

「なんかのチケット?」

「そやねん!会社の福利厚生で当たったん。興味なくてもホテルでのディナーショーやから、おいしいごはんは確実やん!」

よくよく見てみれば、それはディナーショーのチケットだった。

「なかなか手に入らへんねんで、聖子ちゃん」

見るとチケットには「松田聖子」の文字。

まぢか!?

「…無意味にタイムリーすぎるわ!」

思わずスゴロクの肩をしばく明美であった。

「あけちゃんひどーっ!!」

夜の町にスゴロクの叫びが響き渡ったのだった。



ある冬に出されたミステリーのベストセラー小説は、有名歌手の偽物が各地に現れ、現れた先々で次々人を殺していくというストーリーだった。

「あのディナーショーでこんなん思い付くなんて、さすがあけちゃんやな」

「まあな」

本当のモデルは寺田さんやけど。

という言葉を飲み込むメイビなのだった。

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