第8話 オシャレの基本は我慢から
花咲メイビは耐えていた。
ここ数分、じっと視線をそらすまいとして。
それでも耐えきれずにうつむいてしまいたくなる首を叱咤しつつ、さも何事もないような顔をしながら必死に耐えていた。
だって、可笑しいんだもの。
客観的に見て、全然笑えるような状況ではない。
なぜならメイビは、今まさに患者から怒鳴られている最中だったからだ。
それでもこの状況は、あとからあとからメイビのツボを刺激する。
(なぜそのチョイス…)
怒鳴っている患者の着る服は、タンクトップだった。
季節は冬。それもこの冬一番の寒さ、を毎日更新していっているような2月。
患者のタンクトップはダルダルで、風を通しそうどころか風を遮ることさえしないだろうという代物だ。
(しかもなぜその色…)
そしてその色は、なぜか肌色だった。
今でいうところのうすだいだい。
タンクトップというよりは、むしろパンストだ。
(パンスト着てはる…なんたる変態…)
しかも、今は目の前で怒鳴っているためパンスト様に見えているが、遠目で見れば完全に肌と同化しているのだ。
すなわち、遠目で見たら半裸なのである。
(半裸のおっちゃんが怒鳴ってる…)
想像するだけでぷるぷるしてくる。
外の世界なら、通報ものではないだろうか。
(しかもズボン…)
裸に見える上半身の下は、自分の手で引きちぎったんだろうというくらい、丈のないズボン。
糸はだらだら垂れまくり、パンツが見えるか見えないかのラインで切り揃えられた裾は、ダメージジーンズも真っ青のダメージ具合だ。
(こっちのダメージの方が深刻…)
主に、腹筋的意味ではあるが。
こうなれば、もう通報されてしまえ。
というより、私が通報してしまいたい。
日常にこんな半裸マン、野放しにしていいはずがない。
まあ、実際は着てはるんやけど。
話の内容なんて頭に一切入ってこない。
おっちゃんが怒鳴るたび、れろれろの首回りは揺れ、ズボンの裾から垂れる糸はさわさわ動く。
そしてその揺れは、知らず知らずのうちに流れているBGMのリズムとあってくる。
(なに?誘ってんの?笑いの世界へ誘ってるの??)
怒鳴りながら半裸でからだの周囲を使ってリズムをとるおじちゃん。
(…深いわぁ…)
真顔のメイビの思考は、1周も2周も廻ってしまい、だんだんおじちゃんを崇め始めている。
そんなメイビのもとに、新たな刺客。
「ちょっとすみません…」
思慮深そうな声は、どうやら診察券を出したいらしい。
怒鳴るおじちゃんが窓口を封鎖しているため、そんな基本動作がままならない。
他の患者さんに迷惑をかけてしまったこと、それに気づかなかったことを受付担当として恥じながら、メイビはおじちゃんを刺激せぬよう細心の注意を払いながら、新たな患者に目を向ける。
と。
(…なぜー!!!)
あの思慮深そうな声はなんだったのだろう。
新たなる患者の着ている服は、タンクトップだったのだ。
(なぜダブルタンクトップ!?)
はい、もう足りてます。
視覚的にタンクトップでおなかいっぱいです。
さらに言うなら、新たなる患者のタンクトップは黒。
下は黒いレザーパンツ。
小脇に抱えるのは経済新聞。
(食い合わせ悪っ!)
ほぼ半裸タンクトップと、ちょいワルタンクトップ。
メイビの目の前で、夢の共演が行われているのである。
さっきも言ったが、今は真冬。
一年でもっとも寒いとされる2月。
(なぜ袖をつけようとしない…)
おじちゃんたちの好みははかりしれないのである。
そんな動揺をおくびにも出さず、メイビは診察券を受けとる。
「申し訳ございません。お預かりいたします」
セカンドタンクトップは、微笑んでその場を立ち去った。
(なんて紳士的タンクトッパー!)
正直、帰りにタンクトップを買って帰ろうかと思ってしまうほどのタンクトップ率である。
ファーストタンクトップはまだ何事かを怒鳴っている。
それに視線を向けながら、手早くセカンドタンクトップの受付を済ませる。
ああ、もう帰りたい。
腹筋が無理。
無表情を取り繕うのにも限界というものがあったりする。
おもしろすぎて。
しばし遠くに意識を向けてしまったせいか、ファーストタンクトップがメイビに食って掛かる。
「ちょっとねーちゃん、ちゃんと聞いてんのか??」
いやいや、舌巻かれても半裸の人怖くないし。
それでも、あまり逆上させるのも得策ではない。
なんか投げられたりしたら、たぶん痛いし。
淡くほほえんで、聞いてますアピール。
それでもファースト、怒りが納まらない様子。
(やばい、ちょっと現実逃避しすぎた…)
打開策を見つけようと心の中で様々な扉を開くメイビに、さらなる刺客が現れる。
「何を言うてはるんや、坂上さん。お姉ちゃん困ってはるがな」
なんと救いの手を差し伸べる者が現れたのだ。
どうやらファーストタンクトップの知り合いらしい。
怒りに打ち震えていたファーストが、その声にふと意識を向けるのが分かった。
「なんや、山中さんかいな」
久々に友人に会ったのが嬉しかったのか、ファーストの機嫌が急転直下良くなったのが分かる。
(救いの神やー!!)
窮地を救ってくれた山中さんに、感謝の眼差しを向けようとしたメイビは、我が目を疑った。
(まさか!)
そう、そのまさか。山中さんが着ていたのは、タンクトップだったのだ。しかも真っ白の。
(なぜここまでタンクトップ…)
奇跡のタンクトップ率である。
知らない間にタンクトップが流行していたのか。はたまた地元のマイナールールでもあるのだろうか。
それにしても。
(…タンクトップだけでこのバリエーション。深すぎる…)
まさかの3色。あ、一つは肌色というか、限りなく透明に近いパンストなのだが。
何度も言うが、今は真冬。
そんなにタンクトップが売れる季節ではないはずなのだ。
(世界はタンクトップが支配する…)
だんだん感覚がおかしくなってくるメイビなのであった。
山中さん改めサードタンクトップは、うまい具合にファーストタンクトップを受付外に誘導してくれる。
ファーストタンクトップも友人との会話に夢中になり、さっきまで怒鳴っていたのを忘れているようだ。
ほんとにありがとうございます、そう思いながらサードタンクトップの方に目をやると、さわやかな笑顔を浮かべたサードがこちらを見ていた。
(ヤバい、ほれる…)
メイビの好みのタイプが今、「白いタンクトップが似合う人」に上書きされたのであった。
「な、なんやこれーっ!!」
真昼の編集部に、情けない男の悲鳴が響き渡る。
声の主は、当然のようにスゴロク、敏腕若手編集者かつメイビの幼なじみ、江口すぐるである。
スゴロクの手に握られていたのはかわいい水色のリボンでラッピングされていた白い箱。
中にはピンクのメッセージカードに書かれた「ハッピーバレンタイン」の文字。
今日は2月17日。なるほど、三日ほど遅れたバレンタインのプレゼントらしいことは見てとれる。
おかしいのは、なぜかそれを受け取ったスゴロクが大絶叫しているということだろう。
「何があったんや、あけちゃん…」
スゴロクの机に広げられたプレゼントの差出人は原崎明美。その中身は、3つのチロルチョコと、真っ白な10枚のタンクトップだった。
「袖ちょうだいよー…」
一ヶ月後、爆発的売れ行きを見せたホワイトデー特別企画・サスペンスショートストーリー集の中で、最も話題となり異彩を放っていたのは、病院の待合室で男達がタンクトップにグルグル巻きにされ殺されていく、花咲メイビの作品「ホワイトタンクトップ」だった。
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