mission0-18 遊泳する孤島



 戦いの火蓋は切って落とされた。


 ノワールたちが島に向かってきていることを察知したのか、ガルダストリア軍の艦砲が向けられる。


"来るぞ……! しっかり掴まっていろ!"


 トリトンの言葉を合図に、ノワールたちを乗せたシャチは一層速度を上げる。


 ドーン!


 艦砲の内側が赤く燃え、黒い砲弾を吐き出した。


 砲弾は風を切る音を鳴らしながらみるみるうちに迫ってくる。


 シャチはしなやかな泳ぎで砲弾の軌道から逃れた。だが、その進行方向を塞ぐかのように次の砲撃が降り注ぐ。島に近づけば近づくほど軍艦の射程距離内に入る。砲撃は徐々に勢いを増し、逃れる場所など与えてはくれないかのようだった。


「本当にこのまま切り抜けられるのか!? 泳いで避けるにも限界が……!」


 砲撃の轟音が響く中、ジョーヌが叫ぶ。


 すると、彼の問いに答えるように、彼らを乗せているシャチは高らかに鳴いた。


"心配なんかいらねぇよ! 族長も言っていただろ、上陸してからのことだけ考えろって!”


 進行方向はそのまま島に向かってまっすぐに、シャチは泳ぐ速度をぐんと上げた。人間の船をも超えるスピードだ。ノワールたちは飛ばされないように彼の背にしがみつく。あっという間に軍艦が列をなすあたりまで到達した。両脇から向かい合うようにして並ぶ威圧的な軍艦の数々。シャチの背に乗ったノワールたちを見下すかのように、砲台がこちらに向けられている。


「まずい、狙われて——」


 ノワールたちが砲撃を避けようと伏せたその時、どこか遠くで鈍い打撃音が響いた。砲撃だろうか? だが近くで大砲が飛んでいる様子はない。


「見て、あれ……!」


 シアンが自分たちに大砲を向けていた船の方を指した。


 いつの間にか船体が大きく傾き、乗組員たちがざわめく声が聞こえてくる。


 ドーン!!


 もう一度音が響き、ノワールたちは何が起きているのか理解した。軍艦の右舷船底近くにうごめく黒い影が見える。シャチの群れだ。


“海のギャングを舐めるんじゃねぇぜっ!”


 シャチたちは何度も軍艦に向かって体当たりを続けた。思わぬ海からの襲撃に軍艦はなすすべもなく、ついにバランスを崩して転覆してしまった。衝撃で巨大な水柱が立ち上る。周囲の軍艦も動揺したのか、一旦砲撃を弱めてシャチたちの強襲から逃れようと距離をとりだす。


“今のうちに飛ばすぜぇぇぇぇぇっ!”


 ノワールたちを乗せたシャチは弧を描くように傾いた軍艦を避けて泳ぐと、そこから一気に陸に向かって進みだした。砲撃によって阻まれていた道は今やがら空き状態だ。


 やがて後方で再び大砲の音が響いた。


 ノワールはハッとして振り返る。


 しびれを切らした一隻が味方の艦に群がるシャチたちめがけて攻撃を始めたのだ。強靭な身体を持つシャチたちといえど、直接砲弾を食らったらひとたまりもない。黒い影が海に沈んでいく。


「だめだ、このままじゃみんなが……」


 弱気な声を出すノワールだったが、シャチは泳ぐ速度を緩めない。隣を泳ぐトリトンはたしなめるような短い音で鳴く。


“海王になることを決めた男が後ろを見るな。皆覚悟の上で戦っている。お前がポセイドンの力を覚醒させ、海の平和を取り戻すことに望みを託して”


「……っ」


 ノワールはぎゅっと拳を握り締める。


 トリトンの言う通りだ。ここで引き返せば、せっかく拓けた〈遊泳する孤島〉への道が閉ざされてしまうかもしれない。そうなっては、命を賭けて軍艦に挑んだシャチたちの働きが無駄になってしまう。


 いくら平和のためとはいえ、戦うことを決めた時点でどこかで必ず血は流れるのだ。


 分かっていたはずなのに、いざ目の当たりにすると足がすくんでしまう。


 自分にそこまでしてもらう価値が本当にあるのかと、疑いたくなってしまう。


「進もう、ノワール」


 シアンが彼の肩を叩く。その手はノワールと同じくひんやりと血の気が引いていて、どこか震えているようだった。


 恐れを抱いているのは、一人ではない。


 それでも、戦うことを決めた時点で、もう後に退くという選択肢は残されていないのだ。


 ノワールはゆっくりと縦に頷く。


「ああ……もう、迷わない」






 砲撃の音で騒々しい海上に比べ、〈遊泳する孤島〉はしんと静まり返っていた。


 ノワールたちが上陸した岸には、小舟を停めておくための杭や漁で使う網など、かつてここに人の営みがあったことを証明する痕跡が残っていたが、どれもしばらく使われていないせいで古びて自然と同化しかけている。


「侵入者を確認! 攻撃開始!」


 どこかで見張っていたのか、兵士の叫び声とともに激しい銃撃が降り注ぐ。


 どうやら十七年ぶりに故郷に戻った感慨に浸る時間すら与えてくれないらしい。


 クレイジーがすっと前に進み出る。


「ひどいよねェ……『侵入者』だなんて」


 にやにやと口元をほころばせながら片手を胸の前に掲げると、銃弾が飛んでくる方向へと振り払った。指と指の隙間から銀のナイフが飛んでいく。やがて短い悲鳴とともに、草陰に隠れていた兵士が姿を現した。喉元や胸をナイフで貫かれ、こと切れた状態で。


「さァ、増援が来る前に祭壇に向かおう。まさかここでビビって引き返すなんてことしないよね?」


 クレイジーの問いにノワールは頷き、島の中心に向かって歩き出した。倒れた兵士の横を通り過ぎる時、誰にも気づかれないくらい小さな声で「ごめんなさい」と呟きながら。


 島全体を形成しているドーム状の黒い岩の中へ入る。ところどころに汚れて擦り切れた布や、壊れた壺、流木で作られた工芸品が転がっていた。かつてアンフィトリテの一族がここに住んでいた証だ。


「ノワールの家もどこかにあるのかな」


「はっきりは覚えてない……けど」


 ノワールはきょろきょろと辺りを見渡した後、集落の中では比較的大きな洞穴の中に入っていった。壁に設置されている松明は湿気っていて火がつかない。クレイジーが呪術で小さな炎を生み出すと、ようやく家の中の様子を見ることができた。十七年前の襲撃の時に荒らされたのか、家具はぼろぼろに壊れていて散らかっている。


 中の様子を見てもここが自分の家なのかどうかはいまいちピンとこない。だが、ノワールはふと壁に掛けられた小さな肖像画に向ける。そこに描かれていたのは二人の男女。すぐに両親の絵であることがわかった。記憶の中の母親の顔は曖昧になりかけていたが、絵を見て鮮やかに補完されていく。


「母さんと……父さん?」


 疑問形になってしまったのは仕方のないことだった。トリトン曰く、ノワールが生まれる前に首長シレーヌの夫は亡くなっているのだという。ノワールは自分の父親の顔を見たことがないのだ。


(けど……知ってる。なんだかよく知っている顔のような気がする)


 既視感の理由を知りたくて、ノワールはじっとその肖像画を見つめる。だがわずかな知り合いの顔を思い浮かべてみても、一致するものはない。


(そもそも、こんな風に目に傷がある人なんて——)


 ドン!


 大きな音がしたかと思うと、熱と爆風が洞穴の中に入り込んできた。ノワールたちはとっさにその場に伏せる。


「物音がしたぞ! こっちだ!」


 外からは兵士の叫び声と、大勢が近づいてきている足音が聞こえる。やがて洞穴の中に充満していた煙が晴れてくると、入り口の方に何十人もの兵士が銃を向けて待機しているのが見えた。


 これでは袋のネズミだ。


「……クレイジー、あんたのナイフ、あと何本ある?」


 シアンが尋ねる。


「十本は。それと、あんまり得意分野じゃないんだけど、気を散らす程度の呪術は使えるよ」


 クレイジーはそう答えて、両手を開く。その大きな手の中には小型のナイフと呪術に使われる触媒の薬がすでに用意されていた。


 シアンの革靴と地面が擦れる音が響く。


「それなら十分。前衛は頼むわよッ!」


 彼女は洞穴から敵に向かってまっすぐに飛び出していった。


「シアン!」


 外で待機していた敵兵たちが一斉にシアンに向けて引き金を引こうとした。だが、それよりもクレイジーの放ったナイフの方が早かった。前衛の兵士たちが次々と倒れ、うろたえる後衛に対し、シアンは素早く打撃を繰り出す。敵の数は多い。それぞれ一撃で倒せるよう、急所だけを狙っていく。


「ノワール! 今のうちに!」


 シアンとクレイジーの不意打ちに陣形を乱していたガルダストリアの兵士たちであったが、人数が多い分修復も早い。連携が取れないよう二人を囲い込み始めている。


 ここで彼らを見捨ててしまったら——




「いいから早く行って!」




 シアンがノワールの考えを察しているかのように叫んだ。


「時間稼ぎくらい、私たちに任せてよね! きつい戦いになるかもしれないけど、あんたがとっととポセイドンの神石とやらを覚醒させて、戻ってきてくれるって信じてるから!」


「けど……!」


 トンと誰かに背中を押される。


 振り返ると、ジョーヌがノワールに向かって優しく微笑んでいた。


「大丈夫だ。この程度の死線なら今まで何度も乗り越えてきているからな。君は予定どおりポセイドンの祭壇に向かいなさい」


「ジョーヌ……」


 ノワールの視線の端に、爆風を免れた両親の肖像画が映る。彼らの優しげな顔もまた、ノワールを後押ししてくれているかのようだった。


「……わかった。絶対、戻ってくるから……!」


 ノワールは全速力で駆け出した。


 追ってくる兵士もいたが、ノワールが相手をする必要はなかった。振り返る必要もなかった。クレイジーとシアンが足止めしてくれるはず。その信頼があったから。






 集落を突破し、ノワールは地下祭壇へと続く階段を下りていた。集落での戦闘状況とは裏腹に、しんとしていて少しひんやりする。息を吸うと澄んだ空気が身体の中に満ちていく感じがした。


 胸元の灰色の石が、地下に下りていくたびにほんのりと温かくなっていく。


 やがて、開けた空間に出た。


 あらかじめシャチたちから話を聞いていた通り、円形の空間の中央に祭壇があって、周囲は染み込んだ海水に満ちている。黒の岩礁によって形成されている場所のはずだが、海水がしみている場所は透き通った青色をしていた。どこからか差し込んでくる陽の光に照らされ、空間は青く神々しい雰囲気に包まれている。


 祭壇には、三叉の槍が立てられていた。三叉に分かれた刺先の根元には窪みがある。ちょうど、ノワールの持っている石がはまる大きさの窪みだ。


 祭壇はすぐ目の前。


 だが、立ちはだかる者が一人。




「カハハハ……まさか本当にここまで来るとは思いませんでしたよ。アンフィトリテの少年」




 宰相リゲル・ドレーク。


 ノワールにとって最大の仇敵が待ち構えていた。


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海王の誓い 〜Black Cross mission 0〜 乙島紅 @himawa_ri_e

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