歓談の時間が終わると、お色直しを終えて新郎新婦が再び登場した。拍手とともに会場にやってきた姉さんは、新郎に手を引かれて、ゆったりとした足取りだった。純白のウェディングドレスから薄桃色のドレスに着替えた姉は、心なしか顔はほころび、自然に微笑んでいるようだった。

 二人そろって着席すると、今度は二人の馴れ初めを紹介するコーナーに移った。司会進行の男性が通る声で言うと、まもなく会場の明かりがゆっくりとトーンダウン。代わりにスクリーンが白みはじめた。

 それからは、またスライドショーだった。新郎新婦の大学時代の写真。二人が仲良くデートをしているときの映像が流れ始めた。曲はさっきと変わらず、最近流行の曲か、姉さんたちが中高生のころに流行った曲だった。だからか、参列者のうち姉さんと同級生の人たちは、自然と体を揺らして音楽に乗ったりしながら、映像を楽しんでいた。

 音楽に合わせて、大学時代の写真が流れていく。そこにはやはり、シスターズ・ルームのときのものはない。アレも姉さんにとっては大学時代の一ページだったというのに、作為的に切り取られたようだった。スライドショーというスクラップブックは、誰かの意志にそってシスターズ・ルームが載ることを許してくれなかったのだ。

 だけど、僕はそうさせるつもりはなかった。

 懐かしい流行曲が三曲ほど続いて、アウトロに差し掛かったころ。スクリーンに映る画像は、結婚式直前の二人のもので幕を閉じた……かのように思われた。

 しかし直後、一枚の写真がフェードインしてきたのだ。それは薄暗い空間の中、スポットライトを一身に浴びる姉さんの姿。そして僕らの姿。五年前、ライブハウス・オーバーチュアで撮られたシスターズ・ルームの写真だった。

 姉さんはその写真を見て、急に眼の色を変えた。僕の狙いはそれだった。


「いくよ」

 僕がそう声をかけたときには、もうすべての用意が整っていた。

 会場の片隅に置かれたドラムセット。アンプ一式。いま、僕はそれに繋がれたギターを片手に観衆の前へと飛び出した。ギター一本片手に。仲間とともに。

 姉さんは驚嘆の表情を浮かべていた。一方で参列者は皆、ポカンとしている。無理もない、こんな予定、本来の披露宴にはどこにもなかったのだから。僕らが半ばゲリラ的に仕組んだことなのだ。

 僕は中央に立ち、スタンドマイクをひったくった。そしてはじめにおわびをした。

「突然のことで驚かせてすみません。ですが安心してください。余興のバンド演奏です。気を楽にして、楽しんでください」

 奥の席、酔った男性陣から指笛。僕はそれに軽く応える。

「まずはじめに謝罪をしておきます。このあと起きることは、きっとみなさんを怒らせるかもしれないので。特にお義兄さん、あなたを。

 知っている方もいると思いますが、僕は新婦の泉舞結――ここでは、敢えて旧姓で呼ばせてもらいます――の弟で、泉雄貴と言いまず。今は東京の大学に通いながら、ここにいる奏純と二人でバンド活動をしています。

 ただその前に、僕はかつて違うバンドにも所属してました。そのときの僕はギターは弾けず、ボーカル担当だったんですが……。まあ、それがいまスクリーンに映ってる画像の正体です。シスターズ・ルームというバンドでした。ベースはさっき祝辞で盛大に噛んでいた千鳥円さん。ドラムは姉さんの大学時代の同級生、保志賢人さん。そしてギタリストは、何を隠そう我が姉、泉舞結だったんです。ご存じでしたか?」

 観客が顔を見合わせている。みな首を横に振って、口々に「知らない」とか「そうだったんだ」とか、「舞結ってギター弾けたんだ」などと言い合っている。

 僕はそのおしゃべりの波をかき分けるようにして、マイクに向かって言った。

「まあ、無理もありません。シスターズ・ルームは活動から一年を待たずして解散したんですから。まともに活動したことと言えば、二回ほどライブハウスで演奏したぐらいです。さすがにこの会場のなかで、あの場にいたって人はいないでしょう。

 ……と、前置きが長くなりました。こうして昔のメンバーを集めたのは、ほかでもありません。姉さんの結婚を祝福するためです。でも、かつて姉さんは言いました。僕らがバンドを組む直前のことです。

『わたしたちがやろうとしてるのは、結婚式でやるようなコピーバンドじゃないでしょ』

 そう、シスターズ・ルームというバンドは、本来結婚式でやるようなバンドじゃないんです。だからシスターズ・ルームとしては、この場に立っていてはマズいんです。だから今日は――」

 言って、僕は姉さんのほうを振り向いた。

 姉さんは僕をじっと見つめていた。驚きと、不安と、母が子を叱咤するような眼差しで。しかし僕は、姉の瞳のなかに一条の光を見た。それは、姉が持ち続けていた好奇心の輝き。失われつつある青春の光。僕は、姉の瞳のなかに期待と興奮の眼差しを見いだした。そして、それにすべてを賭けた。

 再びマイクに相対すると、僕は言った。

「だから今日は、シスターズ・ルームとして演奏します」


 後ろに控えていた三人が目を丸くした。考えが間に合わない、とでも言うように。僕にとってそれは、承知の上でのことだった。

 僕は静まりかえった会場の中で、肩から提げたギターをおろした。チェリーカラーのエピフォン・リヴィエラ。それは、たしかにシスターズ・ルームだったころの姉さんのものではない。だけど、今だけはその代わりになってもらうしかなかった。カジノの代役に。

 僕は、僕のギターを姉さんに差し出したのだ。新郎の隣で、唖然とした顔をする姉さんに向けて。

「ごめんなさい、お義兄さん。一瞬だけ姉をお借りします。芳屋舞結じゃなくて、泉舞結として。……頼む姉さん、弾いてくれ。これを正真正銘、最後のライブにしよう。シスターズ・ルームとして、最後の」

 姉さんも、芳屋さんもキョトンとしていた。当然のことだ。誰も理解が追いついていない。しかし、姉さんだけはすぐに追いついてきた。

「雄貴、でもわたし……」

「わかってる。五年のブランクがどれほどのものかは、わかるよ。だから姉さんは弾けるとこだけ弾いてくれればいい。あとは奏純がなんとかするから。だから代わりに、僕と一緒に歌って欲しいんだ。芳屋舞結としてじゃなくて、シスターズ・ルームの泉舞結として」

「でも、わたし……」

 姉さんはそう口にしてから、しばらくのあいだ目を伏せた。迷っていたのだと思う。僕のこの突然の提案に乗るか、否か。

 シスターズ・ルームは解散した。姉さんが解散させた。それを今更やろうと言っている。それも、結婚式の場で。姉さんの頭の中にどれだけの不安材料があって、天秤を揺らめかしていたのか。それは僕にはわからない。だけど、ある一言がその秤を釣り合わせた。

「やればいいよ。舞結のやりたいようにやればいい」

 芳屋さんだった。

 僕はてっきり、彼は怒るものかと思っていた。だけど義兄は朗らかな笑みを浮かべて、姉の肩を持ったのだ。優しく送り出すように。

「……わかった。ありがとう」

 姉さんは、指輪のはめられた手でギターを掴んだ。

 弦が揺れて、それがアンプに増幅されて、鈍い音をかき鳴らした。だけどそれもすぐに止まった。姉さんは僕の隣に立って、ギターを構え、スタンドマイクに相対したのだ。

 僕は姉さんと肩を並べた。そして、マイクに向かって叫んだ。

「曲は、オアシスで『アクイース』」

 刹那、姉さんは弦に挟まれたピックを抜き取ると、一気にそれを振り下ろした。

 鳴り響く爆音。いつだって僕は、姉さんの音のあとについてきた。いまこの瞬間だって、そうだ。

 姉さんが鳴らした音に続いて、奏純が入った。イントロのリフが鳴り響いて、そしてドラムが勢いよく飛び込んでくる。散らかり放題のなかに円さんがやってきて、それをまとめ上げた。

 僕はその音の羅列のなかに、また飛び込んでいった。観客が受け止めてくれることを願って客席に飛び込むロックスターのように。


     ♪


 ――僕は君の瞳のなかの光を見たかったんだだけなんだ《I only wanna see the light that shines behind your eyes》

 不思議な感覚だった。もう五年も経っているのに。姉さんとはいま合わせたばかりなのに。すべてが予定調和済みのことみたいだった。

 あの感覚はすぐに蘇った。僕の声と、姉さんの奏でる音の距離とがゼロになる。溶け合う。隣で弾く姉さんの体温が感じられて、僕はよりいっそう姉と一つになっているみたいだった。

 そして――

『だって、僕らにはお互いが必要だから《Because we need each other》』

 姉さんが僕にコーラスする。

 姉の声帯が空気を震わせる音。リヴィエラがかき鳴らす弦の振幅運動。それらすべての音が共振し、共鳴し、あたり一面を巻き込んでいく。その感覚。音が溶け合う感覚。僕は忘れない。忘れはしない。

『だって、僕らはお互いに信じてるから《We believe in one another》』

 でも、これで最後なのだ。

 引き留めていたいという思いと、その先に行ってはダメだという思いがせめぎ合う。

 ――わかってる。

 頭のなかで『卒業』のラストシーンがリフレインする。僕は、これ以上先に行ってはならない。これ以上姉さんを引き留めちゃいけない。姉の邪魔をしちゃいけない。僕らはもう、お互いに別の道を進み始めたのだから。

 だけど、最後にもう一度だけチャンスを――


 だって、僕らにはお互いが必要だから


 だって、僕らはお互いに信じてるから


 僕にはわかってる、お互いに打ち解け合うって


 僕らの魂のに眠るものを


 魂のなかに眠るものを……


     ♪


 すべてが終わったとき、僕は放心状態だった。

 もう何を歌ったのかも覚えていない。『アクイース』に始まって、それから勢いでオアシスのカバーだけでなく、シスターズ・ルーム時代の曲までやったかもしれない。とにかく、僕は無我夢中だった。これが最後だと思ったら、むしろすべてを投げやりにするみたいに歌ってしまった。噛みしめるように。口惜しむようにではなく。一瞬で、フェラーリのように駆け抜けていった。

 汗だくの僕は、それが単に歌い疲れたからではなく、モッズコートを羽織っていたからだと気づいた。それに、スポットライトを浴びていたからとも。

 一度は呆気にとられていた客席も、いまや一つの熱気のなかに取り込まれていた。僕と姉さんが始めたことは、一つのバンドとなり、大きなうねりをあげながら、観衆までも取り込んだ。いま目の前に広がる光景こそが、まさしくその現れだった。

 隣を見ると、汗だくの姉さんがギターを手に笑っていた。薄桃色のドレスには、うっすらと汗のあとが見える。せっかくのお色直しが台無しだ。

 だけど、それでよかった。

「ありがとう、雄貴」

 姉さんは改めて僕の目を見て言った。

 会場じゅうが僕ら姉弟を見ていた。父さんも母さんも、新郎も、その両親までも。

 僕は何も言えなかった。これ以上なにをすればいいかもわからなかった。最後に姉さんを巻き込むことにばっかり頭がいっていて、そのあとどうすればいいか何も考えてなかったのだ。

「いいよ、雄貴。もういいの」

「いいって……?」

「マイクさ、貸して」

 姉さんがマイクを僕から奪う。

 姉はリヴィエラを肩からおろして、僕に手渡した。その手は、単にギターを返しただけではなかった。「さようなら」と楽器に、バンドに言い残しているみたいだった。

 そして姉さんはマイクに向かって言った。いままでで一番大きな声で。あのときのように。

「今度こそ、本当の本当に、シスターズ・ルームは解散します。いままでありがとうございました」

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シスターズ・ルーム 機乃遙 @jehuty1120

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