勇者の帰還(ジュブナイル、ニヒリズム、メッチェン)

寛成ひろなりただいまー。お蕎麦買って来た!」


 玄関のドアが勢いよく開く音に続き、ナージャの元気な声が聞こえて来た。寛成は2DKのアパートの自室のソファに深く腰掛け、TVを見ながら呟くように、「おかえり」と声を上げただけだった。

 ダイニングをぱたぱたと軽快に歩く足音が聞こえ、寛成の部屋のドアがコンコンとノックされる。はいよーと適当な返事をすると、買い物袋を手にしたナージャが入って来て、寛成の隣に勢いよく腰かける。


「う~! 今日も頑張った! 寛成ほめて?」

「よしよし」


 寛成の肩にもたせ掛けている銀髪を面倒くさそうに撫でると、ナージャは目をつぶってしばらくそのままでいた。が、がばっと起き上がると、買い物袋から蕎麦を二つ取り出してローテーブルへと置き始める。


「お腹空いた! じゃあご飯にしよ!」


 二人はしばらく黙ってずるずると蕎麦を啜った。ナージャは器用に箸を使い、ワサビまで入れて美味しそうに蕎麦を食べている。寛成よりも早く食べきると、パンと顔の前で両手を合わせると、ご馳走様でした! と挨拶までして見せた。

 寛成は、そのナージャの生命力に溢れた様子を胡乱な目で見つめる。すると、思わずポツリと呟きが漏れた。


「なあ、ナージャ、なんか俺、勉強する意味あんのかな」

「ん? どうしたの?」

「なんとなく医者になるって言って始めた勉強なんだけどさ、医者になって、命を救う意味なんであるのかな、て思い始めてさ」

「寛成?」

「というか、そもそも人生に意味なんてあるのかな、なんて思ってな。みんないつかは死ぬんだし、そのタイミングが違うだけだ。意味なんてないさ。だったら、こんなに必死になってそのタイミングをずらそうとしてるだけなんて、なんなんだろうな、何様のつもりなのかな、俺。って考えちゃってな」


 寛成は、と箸を動かしながら、ナージャの方を見ずにそう言った。


「そんなニヒリスト虚無主義者みたいな事言って。寛成は私のジュブナイル冒険小説みたいなメモを信じてくれた人じゃないの。きっと疲れているだけよ」

「あの頃は子供だったんだよ。今はそうじゃない」


 寛成とナージャの出会いは、ナージャが古本屋の本に挟んでおいた、クイズのようなナゾ解きメモだった。小学生の頃に偶然そのメモを見つけた寛成は、メモの指示に素直に従ってナージャと出会い、ちょっとした冒険を経て世界を救った経験がある。

 その後、高校の時に日本の学校へと転校してきたナージャと再会し、それ以来なんだかんだと一緒に過ごしている。寛成は医師の道を進むと宣言して医大への受験勉強を始め、ナージャは、それなら看護師になると言って看護師の専門学校へ入学する事にした。結果、寛成の受験は失敗して留年し、ナージャは看護学校に通いながら、インターンという名目の即戦力として近隣の病院を飛び回る忙しい日々を送っていた。


「そっかー。でもね、私、寛成の言ってる事少し分かるかも」


 ナージャは寛成に頭を持たせかけて、そう言った。しかし、その「わかっている」というポーズが、寛成を少しイラつかせた。現場の先輩となっているナージャが、うまく寛成を丸め込もうとしているように思えたのだ。寛成の口からは、自嘲気味の卑屈な笑い声が漏れた。


「へえ、わかるのか」


 ナージャは寛成のそんな様子には気付かずに、頭を持たせかけたまま、ため息を吐き出すように続けた。


「わかるよー。だって、あんなに頑張って救った世界なのにね。あんま代わり映えしないし、私たちも大人になっちゃうしね。お医者さんになって、頑張ったって、何かの役に立つのかなあ。とか思うよ」

「そうなのか?」

「うん、現場超キツイし、めっちゃ怒られるし。時間無いのに日本語わかんないと思われて凄く丁寧に説明されて焦るし」


 ナージャは肩にもたせ掛けていた頭をそのままくるりと回転させ、寛成の胸に顔を埋めた。そして胸に向かって話を続ける。


「でもね、寛成。寛成は私が病気になったら治したいと思うじゃん?」

「そりゃ、まあな」

「でしょ? 私だって寛成が病気だったら治したいと思うもん。だからね、それでいいんだと思うよ。世界とかもう救わなくていいから、近くにいる人を救って、治せるようになれば」


 ナージャは顔を上げて寛成を下から見つめる。その髪や胸元からは、ふわっと体臭とお香の混ざった匂いが立ち上がってきた。


「近くの、そばの人を治す、か……」


 寛成が呟くと、ナージャがくすっと笑った。


って駄洒落?」

「違うって!」

「あははは。ごめんごめん。だからね、寛成。誰かのソバの人を救えるようになってね。それって凄く、素敵な事だと思う。もしそう思えなかったらね……」


 ナージャはそう言うと、いったん言葉を切って目を逸らせた。


「もしそう思えなかったら、わ、私だけを治せるように頑張ればいいんじゃない?」


 そう言うと、がばっと顔を胸に埋めた。

 寛成はしばらくポカーンとしていたが、その顔には次第に笑みが広がる。ぎゅっとナージャを抱きしめると、顔を見せろよー、とせがむものの、ナージャは嫌々をしてそのまま顔を胸に押し付け続けていた。


 もう世界を救う為に頑張る必要はない。というか、できないだろう。寛成とナージャは、もう、少年と少女ではない。でも、ナージャの為になら――。

 寛成はそんな風に考えながら、もう一度ナージャに顔を上げさせるべく、お腹をこちょこちょとくすぐり始めた。

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ダイヤルワンオーエイト 吉岡梅 @uomasa

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